ライフ

【書評】川本三郎氏が選ぶ、79年前の戦争を知るための1冊 『北岸部隊』従軍作家・林芙美子がとらえた兵隊の低い視点からの戦争

『北岸部隊 伏字復元版』/林芙美子・著

『北岸部隊 伏字復元版』/林芙美子・著

 敗戦から今夏で1979年。戦争を体験した世代の高齢化に伴い、300万人以上もの犠牲者を出した、悲惨な先の大戦に関する記憶の風化が心配されている。いっぽう、世界を見わたせばウクライナやガザなど、未だ戦火は絶えず、さらに海洋覇権奪取を目論む中国、核ミサイルの実戦配備を急ぐ北朝鮮など、我が国を取り巻く状況も大きく変化してきている。

 79回目の終戦の日を前に、「あの戦争とはなんだったのか?」「あの戦争で日本人は変わったのか?」などを考えるための1冊を、『週刊ポスト』書評委員に推挙してもらった。

【書評】『北岸部隊 伏字復元版』/林芙美子・著/中公文庫/(2002年7月刊)
【評者】川本三郎(評論家)

 戦争そのものは否定しえても、戦場で戦っている兵隊のことは否定することは出来ない。戦争を語ることの難しさはここにある。

 昭和の作家、林芙美子は昭和十二年に日中戦争が始まってから二度、従軍作家として中国戦線に出かけ戦場の兵隊たちの苦労を描いた。最初は昭和十二年の十二月、南京陥落の直後。二度目は昭和十三年九月、漢口攻略戦に従軍し、このとき「(女流作家として)漢口一番乗り」と評判をとった。

 そのため、戦後、軍に協力したとして批判された。井上ひさしが戯曲『太鼓たたいて笛ふいて』で描いたように、平たくいえば軍のお先棒をかついだのだから、批判されても仕方がなかった。

 しかし、昭和十四年に中央公論社から出版された従軍記『北岸部隊』(二〇〇二年に中公文庫で復刊)を読むと、林芙美子は「戦争」よりも「兵隊」を描くことを大事にしていることが分かる。ここには戦意高揚も戦争賛歌も思ったより少ない。あるのは、戦場にいる兵隊への思いである。

 林芙美子は終始、前線の兵隊と行動を共にする。銃弾の音を聞きながら露営する。負傷した日本兵にサイダーを飲ませる。黙々と行軍してゆく兵隊に頭を下げる。銃後の日本人が抱く「兵隊さんよ、ありがとう」と同じ共同体の心情である。あくまでも兵隊の低い視点から戦争をとらえている。

 従軍作家だからといって特別待遇は受けない。揚子江を溯る船では兵隊に交じって毛布を敷き、リュックを枕に寝る。つねに庶民と共にあろうとした『放浪記』の作家ならではの姿勢である。

 兵隊が故郷の子どもの話をするときはしんみりとする。手紙に「親一代のこの戦争でたくさんだ」と書く。戦意高揚とはほど遠い。

 敵である中国人には厳しい目を向けているのは仕方がないが、それでも、道端の殺された中国人将校の手帖に若い女性の写真が入っているのを見て胸を痛める。戦争の不条理を見たからだろう、帰国後の林芙美子は沈黙してゆく。

※週刊ポスト2024年8月16・23日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

まだ重要な問題が残されている(中居正広氏/時事通信フォト)
中居正広氏と被害女性Aさんの“事案後のメール”に「フジ幹部B氏」が繰り返し登場する動かぬ証拠 「業務の延長線上」だったのか、残された最後の問題
週刊ポスト
生徒のスマホ使用を注意しても……(写真提供/イメージマート)
《教員の性犯罪事件続発》過去に教員による盗撮事件あった高校で「教員への態度が明らかに変わった」 スマホ使用の注意に生徒から「先生、盗撮しないで」
NEWSポストセブン
(写真/イメージマート)
《ロマンス詐欺だけじゃない》減らない“セレブ詐欺”、ターゲットは独り身の年配男性 セレブ女性と会って“いい思い”をして5万円もらえるが…性的欲求を利用した驚くべき手口 
NEWSポストセブン
遠野なぎこ(本人のインスタグラムより)
《ブログが主な収入源…》女優・遠野なぎこ、レギュラー番組“全滅”で悩んでいた「金銭苦」、1週間前に公表した「診断結果」「薬の処方」
NEWSポストセブン
京都祇園で横行するYouTuberによる“ビジネス”とは(左/YouTubeより、右/時事通信フォト)
《芸舞妓を自宅前までつきまとって動画を回して…》京都祇園で横行するYouTuberによる“ビジネス”「防犯ブザーを携帯する人も」複数の被害報告
NEWSポストセブン
由莉は愛子さまの自然体の笑顔を引き出していた(2021年11月、東京・千代田区/宮内庁提供)
愛子さま、愛犬「由莉」との別れ 7才から連れ添った“妹のような存在は登校困難時の良きサポート役、セラピー犬として小児病棟でも活動
女性セブン
インフルエンサーのアニー・ナイト(Instagramより)
海外の20代女性インフルエンサー「6時間で583人の男性と関係を持つ」企画で8600万円ゲット…ついに夢のマイホームを購入
NEWSポストセブン
ホストクラブや風俗店、飲食店のネオン看板がひしめく新宿歌舞伎町(イメージ、時事通信フォト)
《「歌舞伎町弁護士」のもとにやって来た相談者は「女風」のセラピスト》3か月でホストを諦めた男性に声を掛けた「紫色の靴を履いた男」
NEWSポストセブン
『帰れマンデー presents 全国大衆食堂グランプリ 豪華2時間SP』が月曜ではなく日曜に放送される(番組公式HPより)
番組表に異変?『帰れマンデー』『どうなの会』『バス旅』…曜日をまたいで“越境放送”が相次ぐ背景 
NEWSポストセブン
遠野なぎこ(本人のインスタグラムより)
《自宅から遺体見つかる》遠野なぎこ、近隣住民が明かす「部屋からなんとも言えない臭いが…」ヘルパーの訪問がきっかけで発見
NEWSポストセブン
2014年に結婚した2人(左・時事通信フォト)
《仲間由紀恵「妊活中の不倫報道」乗り越えた8年》双子の母となった妻の手料理に夫・田中哲司は“幸せ太り”、「子どもたちがうるさくてすみません」の家族旅行
NEWSポストセブン
詐称疑惑の渦中にある静岡県伊東市の田久保眞紀市長(左/Xより)
《大学時代は自由奔放》学歴詐称疑惑の田久保市長、地元住民が語る素顔「裏表がなくて、ひょうきんな方」「お母さんは『自由気ままな放蕩娘』と…」
NEWSポストセブン