1980年、レークプラシッド五輪を中継
NHKを退局したのは「後先考えずに…」
1985年、41歳の春にNHKを退局しました。理由は、受け身のスタンスでは物足りなかったからです。アナウンサーというのはどの局でも同じようですが、アナウンス室で待機して、報道局やバラエティー局から「この原稿を読んでほしい」「ナレーションを入れてほしい」などの依頼があって、初めて動き出します。私は大学を卒業して、報道記者志望でNHKを受験したにもかかわらず、アナウンサーとして採用された経緯がありました。ですから、もっと能動的に、自分で社会の問題を深掘りして視聴者にお届けしたい、という思いが根本にありました。
それでNHKに見切りをつけ、後先考えずに飛び出してしまいました。そうしたところ、運良くTBSと専属契約(1991年まで)を結ばせていただきまして、退局してすぐに朝の情報番組『朝のホットライン』を担当することになり、5年間、総合司会を務めました。そして、1993年に始まった昼の情報番組『ザ・ワイド』の司会は14年半務めさせていただきました。
