普通に見える人たちが、いつでもどこでもキレる(写真提供/イメージマート)
カスハラ条例は彼ら医療従事者にも適用される。「それでも、無くなることはないのでは」と彼は話す。
「みんな余裕がないんでしょうね。そうやって店でも公共機関でも病院でも、子どもの学校にもちょっとのことでキレる。自分の正義なのか鬱憤ばらしなのかわかりませんが、医者としてではなく個人的な感想を述べさせていただくなら、そういう人たちは無意識に『つらい私をわかって』『私を見て』というメッセージを発信しているのかもしれませんね。申し訳ないけど迷惑なメッセージですが」
どんな理由があるにせよ他者を蔑ろにするような行為で当たり散らすことはあってはならない。「人間誰しもそんなもの」をこうしたカスハラにまで言い訳として使うのは不穏当極まりないように思う。
30年前に比べれば明らかに経済的地位は下がり、1995年にはアメリカに次ぐ断トツの経済大国として世界全体の2割近くのGDPを占めた日本は、いまや平均年収では韓国どころかスロベニアやリトアニアにも抜かれている(OECD国際比較)。
貧すれば鈍するなんて言葉は好きではないが、どの調査会社でも「増えた」とされるカスハラ。このままでは、いよいよ性善説で成り立ってきたこの国の社会倫理の崩壊を迎えかねない。もう性善説で考えるのは限界と国に判断されかねない。
その先にあるのはそれこそ中国など一部の国で実験しているような日常の善行悪行を国が監視して採点する国民総点数制だろう。大げさでなく、現在の運転免許に代表されるような点数制だって一部の悪行によって厳しくなり、結局のところ自分たちで自分たちの首を締めた続けた結果もあるのだから。
最後にカスハラ、刑法上では暴行罪や傷害罪はもちろん名誉毀損罪や侮辱罪、業務妨害罪、威力業務妨害罪、不退去罪などが適用される可能性のある、れっきとした犯罪行為である。また民事でもカスハラに対する損害賠償に厳しく臨む企業や団体が増えた。ちょっとした機嫌や鬱憤のはけ口のつもりが自分をさらに追い詰める、私見だがカスハラはある意味、自傷行為にも近いのかもしれない。
多くに迷惑をかけるだけでなく、カスハラとその性根が積み重なれば最終的には自分自身の人生を暗く不幸なものにするように思う。客とは対価のままにサービスを提供していただく側でしかない。相手のためはもちろん自分自身のためにも本当にわきまえて欲しい。
日野百草(ひの・ひゃくそう)/出版社勤務を経て、内外の社会問題や社会倫理、近現代史のルポルタージュを手掛ける。日本ペンクラブ広報委員会委員。