弔問に訪れた王貞治氏を、一茂と三奈が出迎えた
「アンチ巨人はいてもアンチ長嶋はいない」
長嶋さんは、高度経済成長の時代を体現したスターだった。1936年に千葉県佐倉市で生まれた長嶋さんは、東京六大学野球の立教大学で頭角を現し、1958年に巨人に入団した。初年度から本塁打王と打点王のタイトルに輝き、一期後輩の王貞治氏との「ONコンビ」で一時代を築いた。
天覧試合でのサヨナラホームランといった大舞台での印象的な活躍と明るいキャラクターで、「アンチ巨人はいてもアンチ長嶋はいない」とされるほどだった。
ミスタープロ野球──
いつしか長嶋さんは、そう呼ばれるようになった。
グラウンドで見せる厳しい視線や、コミカルで愛くるしい表情が野球人気の拡大に一役買った長嶋さん。だが、彼が多くの国民の支持を得たのは、単に野球選手として活躍したことだけが理由ではなかった。長嶋さんに「日本人が憧れる家族像」を投影する人は多かった。
長嶋さんは1965年に、亜希子夫人と結婚。長嶋さんが29才、亜希子夫人は22才だった。披露宴はホテルニューオータニで行われ、国民的大スターの結婚に日本中が沸いた。
「亜希子さんは田園調布雙葉学園出身で、出版社の社長令嬢。英語、フランス語をマスターした才女でした。長嶋さんとは、1964年の東京五輪のコンパニオン時代に出会いました。
一目惚れした長嶋さんが毎日電話をかけて口説き落とし、交際スタートから40日で婚約、約100日でゴールインという超スピード婚だったことにも、世間は“ミスターらしい”と評判でした」(別のスポーツ紙記者)
その後、2男2女に恵まれた長嶋ファミリーは、田園調布にある自宅で理想の幸せを描いた。
※女性セブン2025年6月19日号