ハイスペゆえに隠れてしまう発達障害がある(イメージ)
優秀さゆえに一流企業に入社したはいいが、周囲もハイスペックな人だらけ。学生時代はなんとか能力の高さでカバーしていた「困りごと」が、だんだん深刻になってきて──。
有名国立大を卒業後一流企業に就職した40代男性は、はたからはエリート街道をひた走っているように見えた。しかし次第に仕事でミスが目立ち、周囲の人とうまくいかず、果てには退職勧告を出されて、家に帰ると家族に八つ当たり……。
追い詰められた彼がADHD(注意欠如多動性障害)の診断を受けて判明した“ある特徴”とは──。
精神科医の岩波明氏が、高学歴発達障害の人々のリアルや、適切な対処や治療によって社会復帰するまでの過程を記した著書『高学歴発達障害エリートたちの転落と再生』(文春新書)より、一部抜粋して再構成。【全4回の第3回。第1回を読む】
頻繁に周囲にちょっかいを出す
YKさん(男性)は40代前半。大手生命保険会社に勤務する会社員である。彼は受診した近隣のクリニックの医師に勧められて発達障害の専門外来を受診した。前医では、「自閉症スペクトラム障害の疑い」と診断されていたが、本人は次のようなことを訴えていた。
・物を取りに行っても、途中で考えが途切れて、別のことにとりかかったりする。
・時間どおりに物事が進まない。
・忘れ物やなくし物が多い。
・妻や子供やそれ以外の人に対して、怒ると制御がきかない。
幼稚園のころから落ち着きのない子供だった。周りの子供のじゃまをしたり、ちょっかいを出したりすることが多く、よく怒られていた。また周囲の子供と同じように行動することが苦手だった。小学生になってもよく周囲にちょっかいを出し、前の席の子供に手を出したりするために、一番前の席に座らされたこともあった。
彼はじっとしていることが苦手で、忘れ物や落とし物が頻繁にあった。成績は上位だったが、学習面でも生活面でもケアレスミスが多かった。人の話をきちんと聞くことは苦手な一方、好きなことには集中する傾向がみられた。中学生のときは、ささいな事から他の生徒とのトラブルが頻繁にあった。
高校時代は自分を抑えて、受験勉強に専念した。そのおかげで関西方面にある偏差値の高い国立大学の工学部に合格した。大学時代には大きなトラブルはなかったが、人間関係でうまくいかず、あまり楽しい思い出はない。