『おかわりは急に嫌 私と『富士日記』』/素粒社/1870円
【著者インタビュー】古賀及子さん/『おかわりは急に嫌 私と『富士日記』』/素粒社/1870円
【本の内容】
《『富士日記』の印象的なパートを引用し、隣を歩くように勝手に足並みを合わせながら自身の体験を照らし合わせる。生活を素直に豊かに見つめるさまを全身で受け取り、名作をいっそう深く味わいたい。その目的で作ったのが本書だ》(「はじめに」より)。昭和がいまに息づいていると感じる箇所もあれば、思わずツッコミを入れる箇所もある。古賀さんと『富士日記』著者の武田百合子が響き合い、読んでいるうちに日記を書きたくなること請け合いの傑作エッセイ集。
武田百合子の目の良さや天才的な筆力に驚かされた
日記文学の金字塔とも言われる武田百合子『富士日記』を、日記エッセイが人気の古賀及子さんがくり返し読み、百合子の文章から枝分かれするように引き出された記憶の数々をつづっていく。
『富士日記』の魅力を紹介しながら、作品論や作家論ではなく、古賀さん自身の記憶や思い出が呼び起こされていくスタイルが面白い。
「そもそも私、ブログにアップした日記を同人誌にして頒布してたんですね。それをご覧になった編集者がぜひ本にと言ってくださって、『日記エッセイ』として2冊、出させていただくことになりました。
今回の本は、私が『富士日記』をものすごく好きでかなり影響を受けているということを知っているその編集者から『富士日記』の好きな一節を読んで感じたことや、自分のエピソードを紐づけて新たにエッセイを書く企画はどうですか?と提案いただいて。ためしに10編ほど書いてネットにアップしたところ好評で、本にできそうということで、1冊になる分量を書き足しました」
武田百合子(1925~1993)は作家・武田泰淳の妻。夫の没後、富士の山荘で過ごした家族の時間を記録した日記を雑誌に発表し、その伸びやかな文才が高い評価を受けた。上中下巻の『富士日記』(中公文庫)は、いまも読み継がれている。
「武田百合子というと、キャラクターの面白さが語られがちだと思うんです。実際、アクティブでパワーのあるかただったようですけど、『富士日記』を読んでいると、目の良さであるとか、天才的な筆力に私は驚かされます。自然と、武田百合子の目を借りて私も考える、という書き方になりました」
初めて『富士日記』を読んだのは中学生ぐらいの時だったそう。
「あまり細かくは覚えていないんですが、『日記が本になって図書館に並ぶことがあるんだ!』みたいな印象でした。パラパラとページをめくると、買ったものとか食べたものとかが書いてあって、なんか面白いなと思いましたね」
きちんと読んだのは大人になって、ライターの仕事を始めてからだった。
「もともとウェブのライターとして仕事を始めたんですね。黎明期のインターネットって、学術的な利用を除くと、個人で日記を書く人が多かったように思います。『そう言えば』と思い出して『富士日記』を一揃い買って、たまに取り出しては読んでいました」
ちなみに古賀さんが働いていたのは、「デイリーポータルZ」というサイトで、個性豊かな書き手を輩出する媒体である。
「私、文章を書くってなんだかドロドロした怖いことだと思ってたんです。でも『富士日記』を読んで、こういう乾いた文章の手つきみたいなものもあるんだとわかった気がします。よく見ること、あえて感想を書かないことがあるのも『富士日記』のまねだったりして、すごく影響を受けたと思います」
『おかわりは急に嫌』のタイトルは、山荘で家族と夕食の焼きそばを食べていた百合子が二皿目を食べている途中でいやになり、泰淳から「急にいやになるというのが悪い癖だ」と言われたエピソードから取られている。
日常を鮮やかに切り取って、ふっと差し出す武田百合子の文章の真髄が、ちょっと風変わりなタイトルから立ち上がってくる。
古賀さん自身が日記をつけ始めたのは遅く、2018年から。日記の本を続けて出したことで、日記のワークショップに呼ばれることもあるそうだ。
「日記って、『書かなきゃいけない』と人に思わせる不思議な文芸ですよね。『お金を払うことで、自分に日記を書かせるためにワークショップに来ました』というかたもいて、それぐらい焦燥感を駆り立てるものなのかと。
私自身は、日記を書くために見たものとか聞いたものとか、せっせとメモを取ります。パソコンを立ち上げていればパソコンのメモに、なければスマホのメモに。手元にスマホがなければレシートの裏とかにメモして、パソコンにはさんでおきます。パソコンを開けた時にひらっと出てくるようにしておいて転記します。その時すごく心動かされても、翌朝には忘れてしまうから。むしろ忘れてしまうようなことを私は書きたいので」