それから、当時40代で体力的にも自信があったからでしょうが、自分で自分を追い込んでしまった面もあります。普通ならアシスタントに任せるような部分まで全部自分で描いていました。
たとえば、選手のユニフォームやグローブについては、できればアシスタントに任せたいんです。でも、球を捕ったときにグローブにできる皺しわとか、投げるときのユニフォームの胸のマークの感じとか、アシスタントが描いたものにどうしても違和感を覚えてしまう。経験が浅く、見よう見まねでやっているんですから仕方がないんですけどね。だから、最初から全部自分で描くようになりました。
自分でもよくあれだけ描けたと思います。1999年からの数年間は、人生で一番たくさん漫画を描いた時期であることは間違いありません。もう一回やれと言われても二度とできないと断言できます。
ただ、その間、体はどんなにきつくても、精神的に追い込まれることはなかったんです。
岩手で商売をしていた頃、問屋やメーカーに支払いを待ってもらう電話をするときほどつらいことはありませんでした。お金を払えないこともつらいのですが、「あと1週間待ってください、そうすればなんとかなりますから」と、心にもない嘘をつき続けなければいけないことが何よりつらかった。人生であれほど苦しいと感じたことはありません。
それに比べれば、漫画は紙の上で嘘をつくのが商売と言ってもいい。うまい嘘をつけば、むしろ評価されるんです。僕が考える嘘を喜んでくれる読者がいるのなら、いくらでも嘘をつきますよ。そのための嘘を考えることなど、つらいはずがないじゃないですか。
あの頃のつらさがあったおかげで、その後は、どんな苦労も乗り越えることができました。あの頃のつらさに比べれば、週刊連載2本を続ける苦労などへでもありませんでした。
(第4回を読む)