西武時代の江夏豊氏
工藤:田舎のモーテルで、僕は先輩からビール買って来いって言われて大変でした。歩いて20分ぐらいのスーパーにバッグを持っていって、詰められるだけ買っていた。そんなんばっかりでしたよ。
江夏:西武に行った時は南海で一緒だったキャッチャーの黒田(正宏)とよく一緒にいたなぁ。キャンプでは監督の広岡(達朗)さんからストッキング履けとか、ソックス履けとか、帽子を被れとか細かいことをガタガタよう言われたよ。「好きなスタイルでやらせてくれよ」と思った。そういうタイプというか、性格だったからな。
工藤:同じ左腕として僕のことは当時、どう見えていましたか?
江夏:「新人類」と呼ばれたりしていたけど、自分たちの感覚とは違った感性を若い時から持っていた。もう、坊やって呼ぶのは失礼だよね。坊やたちが台頭してから多くの女性ファンが球場に来たりして変わっていった。俺は女の子とワイワイすることはなく、男どもとよくつるんでいたしな。
工藤:いやいや、僕も常に女の子と遊んでなんかいませんよ(笑)。ただ、若い時は(渡辺)久信や笘篠(誠治)とかと繁華街に行ったりしましたけど……。なかなか街で江夏さんをお見かけすることはなかったですね。
江夏:一緒に飲みに行ったことはなかったよな。
(第2回につづく)
取材・文/松永多佳倫(ノンフィクション作家)
【プロフィール】
江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年、兵庫県生まれ。1967年に阪神タイガース入団後、南海、広島、日本ハム、西武と渡り歩く。1984年に引退。シーズン401奪三振、最優秀救援投手5回は現在も日本記録。オールスターでの9連続奪三振、日本シリーズでの「江夏の21球」など様々な伝説を持つ。
工藤公康(くどう・きみやす)/1963年、愛知県生まれ。1982年に西武ライオンズに入団。ダイエー、巨人、横浜などに在籍し、14度のリーグ優勝、11度の日本一に輝く。2011年に引退。2015年、ソフトバンク監督に就任。7年間に日本シリーズを5度制覇。2016年に野球殿堂入り。
松永多佳倫(まつなが・たかりん)/ノンフィクション作家。1968年、岐阜県生まれ。琉球大卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)など著書多数。
※週刊ポスト2025年8月8日号