若尾文子
「ニッポンのセックスシンボル」の系譜を振り返る──。銀幕を彩る女優たちのまばゆい柔肌は、自由を求める戦後の人々の憧れの象徴だった。
「ただならぬ色香を漂わせていたのが若尾文子でした。映画『十代の性典』(1953年)ではきわどく刺激的なセリフで人気となり、『性典女優』と呼ばれました」
こう語るのは、映画評論家の秋本鉄次氏だ。若尾や京マチ子といった女優はグラマラスなボディを武器にし、谷崎潤一郎原作の大映映画作品で官能的なシーンを演じた。コラムニストの泉麻人氏はこう語る。
「肉体的魅力に加え、陰のあるウェットな色気もセックスシンボルの必須条件。京マチ子の時代から大映作品で活躍する女優には、そんな魅力がありました。『大映イズム』とでも言いましょうか」
この「大映イズム」の最後の継承者が、1970年に入社した松坂慶子だ。
「デビューからセクシー路線で、ドラマ『おくさまは18歳』(1970年)で演じたセクシーな女子高生役は鮮烈でした」(泉氏)
同時代では高橋惠子に胸をときめかせた人も少なくない。
「脱ぎっぷりが潔かった。『脱げる清純派』という相反するギャップが、より深いエロスを引き出したと思います」(秋本氏)
1970年代後半以降、セックスシンボルは“陰”から“陽”へと変化する。
「いくらでも手に入るほどヌードが氾濫したことが大きい」(秋本氏)
1990年代にはグラドルが活気づき、女優たちもヘアヌードを披露。近年では壇蜜や橋本マナミなどが色っぽいキャラ作りで人気を博した。時代とともに、セックスシンボルは変化し続ける」
※週刊ポスト2025年8月15・22日号