60歳を過ぎて、なお血気盛んな小沢さん
──年齢を重ねても身体を張っていますね。
「2006年の『BROS 流血の絆』のときも、爆弾で吹き飛ばされるシーンを撮ろうとしたら死ぬかと思った。オレは崖めがけて走っていくんだけど、その後ろでナパーム弾を爆発させて、その勢いで崖をダイブ。
ところが、爆風より先にものすごい熱波が襲ってきたんだ。『やべえ、目が潰れる』ってとっさに目をつぶってダイブしたから、崖下に敷いたマットなんて見てらんない。真横に吹き飛ばされてさ。着地してみたらギリギリ、マットの上。スタッフが濡れた毛布持って駆け寄ってきて、オレに抱きついてきたよ」
──ハリウッドのアクション映画も、フィリピンで撮影されている作品は少なくないとか。フィリピンでは思い切った撮影ができるのですね。
「映画撮影に理解があって、話が早い。戦車1台と50人くらいの一個小隊を借りて撮影したこともある。オレは『危険をかう男』のとき、『ホテルを借りるのはめんどくせえ』って、スラム街のゴミの山の上に寝泊まりもしてみた。電気はないし、風呂代わりに、隣に流れる黄色い川に石けん持って飛び込んで。スタッフが『大丈夫ですか!?』って驚いてたけど、全然平気だったよ」
壮絶な撮影現場の舞台裏を明かしてくれた小沢さん。後編記事では、借金も背負ったという波瀾万丈の謎の私生活や“顔面凶器”と恐れられることへの思いなどを明かしてくれた。【後編に続く】
取材・文/中野裕子(ジャーナリスト) 撮影/五十嵐美弥