名鉄バスの運転手の父とバスガイドの母の間に長女として生まれた
アイドル歌手としてデビューした過去
しかし、リポーターは自分が主役ではなく、主役を引き立たせるポジション。大東さんに葛藤はなかったのだろうか。というのも、大東さんは自身が主役として一身に視線を集めるはずの、ソロのロック系アイドル歌手としてデビューしたのだった。
大東さんは名古屋出身で、名鉄バスの運転手の父とバスガイドの母の間に、3人兄弟の長女として生まれた。中学在学中の1986年、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックレコーズ)主催の「ティーンズ・ポップ・コンテスト」に出場し、最優秀歌唱賞とセブンティーン賞を受賞。高校進学と同時に上京すると、1988年、シングル「扉を開けて~TAKE A CHANCE~」でデビューした(デビュー時の活動名は大東恵)。
だが、思い描いていた歌手生活とはほど遠く、夢はもろくも打ち砕かれた。
「フリルのついたスカートを履いて、スポットライトを浴びて歌い、年末には新人賞レースに出て、『お母さん、ありがとう!』と涙を流しながら電話をかける……という自分の姿を思い描いていました(笑)。
ところが、当時はレベッカさんやプリンセス プリンセスさんらが人気のあった時代。事務所の方針で“大東もロック系でいこう”ということに。
明るく元気な素の私を封印し、“しゃべっちゃダメ”、洋服は“カジュアルブランド・ヘインズのTシャツにジーズンズ”、と命じられました。そんなイメージを作ってがんばっても……私の歌は求められませんでしたね」