8月10日に史上初となる大会期間中の不祥事による出場辞退を発表した会見
夏の甲子園大会に出場していた広島・広陵高校が一連の暴力問題から出場辞退を発表した。SNSでは辞退発表前から真偽不明のものも含めて多くの情報が飛び交い、いわゆる「まつり」状態になっている。そのまつりに参加した人は何を得て、何を失ったのか? コラムニストの石原壮一郎氏が考察する。
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甲子園では今日も熱戦が繰り広げられています。それはそれとして、この夏の大会はグラウンド以外の話題で大きな注目を集めました。そう、大会の途中で出場を辞退した広陵高校をめぐる問題です。
部内で起きたという「暴力事件」をめぐって、ネット上にはさまざまな情報が錯綜。SNSやネットニュースのコメント欄はこの話題で大いに盛り上がり、YouTubeでも真偽不明の関連動画が山のようにアップされるなど、いわゆる「まつり」の状態になりました。
もちろん、暴力行為の加害者には罪をきっちり償ってほしいし、報道で伝えられる学校の対応には多くの疑問を抱きます。ただ、ここでは誰が悪いとか何がケシカランといった話をしたいわけではありません。そのへんについては、もっとふさわしい人たちが、きちんと検証したり手を打ったりしてくれることでしょう。
ネット上では次々と新しい「まつり」が発生しています。芸能人やCMや飲食店など、おもに怒りの感情をぶつけて盛り上がる対象はさまざま。今回の広陵高校をめぐる騒動も、結果的には社会を変えるきっかけになるかもしれませんが、ネット上で過剰に熱くなっている人たちにとっては、都合よく盛り上がれる「まつり」のひとつに過ぎません。
ネットやSNSという「怪物」とどう付き合っていくかは、誰にとっても重要な問題です。うっかり飲み込まれず、その力をなるべく上手に活用するために、今回の「広陵高校まつり」で盛り上がった人たちが、何を得て何を失ったのかを考えてみましょう。
達成感、満足感、強い自分のイメージ……など多くを得られる
「まつり」への参加の仕方は、濃淡さまざま。神輿を担いで声を出し続けている人もいれば、ケンカしたくて誰彼かまわずイチャモンを付けまくる人もいます。雑踏をそぞろ歩いて雰囲気を味わったり、遠くから花火を眺めたりして楽しむ人もいます。
もっとも多いのは、「正義感」や「義憤」にかられて、日常生活では口にしない強い言葉をネット上に書き込みまくるという参加方法でしょうか。そういう人たちは何を得たのでしょう。
「悪者を成敗してやったという達成感」や「間違ったことを黙って見過ごせない自分に対する満足感」あたりは、たっぷり得られそうです。ふだん使ったことがない激しい言葉で誰かを罵倒することで、言いたいことを言えずに過ごしている日々で蓄積されたストレスが解消されたり、イメージ上の「強い自分」にウットリできたりもするでしょう。
加害者とされる生徒の顔写真を並べるなど、やりたい放題のYouTube動画も大量にアップされています。発信者にとって情報の真偽はどうでもいいし、もし間違いだった場合に責任を取る気なんて毛頭ありません。大切なのは目先の収益や、自分の「作品」が多くの人に見られて反響があったという快感を得ることです。
そこまで積極的に参加したわけではない通りすがりのヤジ馬でも、ネット上に「まつり」の話題を書き込むことで、カッコいい自分や気が利いたことを言える自分を示せた満足感は得られるでしょう。SNSの投稿に加害者とされている生徒の名前をわざわざ書くことで、情報通な自分やワイルドな自分になれた気分も味わえそうです。
こうして並べてみると、ネット上の「まつり」は、なんてたくさんのものを与えてくれるのでしょうか。多くの人が「まつり」に熱狂するのも無理はありません。