広島・広陵高校の中井哲之監督と会見を開いた堀正和校長
人間関係や人生において大事な知恵や心得がたくさん失われる
光あるところに影あり。禍福はあざなえる縄の如し。ネット上の「まつり」で盛り上がることによって、何が失われてしまうのか。
「正義感」にかられて気持ちよく行動するには、限られた情報に疑いを抱かず、物事をシンプルに「善」と「悪」に分ける必要があります。それを元に快感を得ることが癖になると、日常生活でも周囲の人を「敵」か「味方」かに分けて、しかも独りよがりな思い込みがベースになっているので、やがてすべての人が「敵」に見えてくるでしょう。
また、ネットの断片的な情報を元に脊髄反射で腹を立ててばかりいると、相手を深く知ろうとか物事をじっくり考えようといった面倒な作業が苦手になるかもしれません。人も物事も多面的に見ないと致命的な思い違いをするリスクがあるというのは大人の常識ですが、その手の「人間関係を円滑に保つための知恵」や「人生を穏やかに生きるための心得」が、自分の中から失われてしまいそうです。
ネット上で誰かを激しい言葉で罵倒したり、実際の自分とは大違いの「怖いものなしの自分」を演じていたりすると、そんな幻想の中の「強い自分」を本当の自分のように錯覚してしまうかもしれません。誰もが抱えている自分の「弱さ」を直視する勇気が失われてしまうと、どんどん弱い人になっていきそうです。ああ、なんて恐ろしいことか。
また、目先の収益や賞賛が欲しくて、加害者とされる生徒の実名など真偽不明の情報を無責任にまき散らしたら、人としての信用を失うのは明らか。ヤジ馬の立場で面白がって言及するだけでも同様のリスクはあるでしょう。ただし当事者は表面的な反応の大きさに惑わされて、大事なものを失っていることに気づかないのが怖いところです。
人のことは言えません。コラムの題材にすることだって、十分「まつり」に参加していることになりますよね。上で書いた「何を得て、何を失うか」は、多くが当てはまりそうです。ただ、仮に「お前は広陵高校を擁護するのか!」といった的外れな批判を受けたとしても、とくに何も失われません。「ああ、残念な人がいるなあ」とホッコリした気持ちを得ることができるので、それでもよろしければどうぞおっしゃってください。