日米通算200勝を目指す田中将大投手と駒大苫小牧高校で同級生だった鷲谷修也氏
日米通算200勝達成をかけて8月28日のマウンドに上がる予定の巨人・田中将大(36)。北海道・駒大苫小牧高校時代のチームメイトであり、現在は外資系証券会社に勤務する鷲谷修也は、達成目前に迫った元チームメイトの偉業を特別な思いで見守っている。
鷲谷は、駒大苫小牧高校が2連覇を達成した2005年夏や、早稲田実業と引き分け再試合までもつれた2006年夏も、田中と同じ舞台に立っていた。かつての仲間が古巣・楽天から巨人に移籍し、本拠地・東京ドームでの初登板となった4月17日、巨人対横浜DeNAの試合を観戦した。200勝まであと2勝に迫るから応援に訪れたわけではなく、ふとした思いつきで観戦を決めたという。この試合で田中は初回から変化球を痛打され、2回6失点でKOされた。
「なかなか現実は厳しいなとは思いましたけど、僕はむしろプロ1年目の将大を思い出しました。楽天のキャンプでボコボコに打たれて、オープン戦も結果が出なくて。将大の真っ直ぐがあんなにも通用しないのかと思ったところからプロ野球生活がスタートした。そこから修正を重ねて1年目には結局、11勝したわけじゃないですか。きっと今シーズンも何かしらの足跡を巨人に残してくれるのではないかと思ってきました」
横浜戦後、2週間の二軍調整を挟み、田中は5月1日の広島戦に先発。だが、初回に3失点を喫して3回裏の打席で交代となり、無期限の二軍調整を告げられた。約3か月の二軍調整を経て8月7日のヤクルト戦に先発すると、勝ち星は逃したものの5回3分の2を投げて2失点(自責点1)と及第点のピッチングを披露し、8月21日のヤクルト戦でついに199勝目をあげて大記録達成に王手をかけた。
鷲谷にとって田中のピッチングで思い出深いのは、日本が世界一に輝いた2009年のWBCだ。鷲谷は高校卒業後、米国のデザート短大に通い、2009年当時は外野手として米国の大学野球で活躍していた。後にヤンキースに移籍する田中より一足早く米国に挑戦していたのだ。鷲谷は侍ジャパンの試合を観戦するだけでなく、19歳になった田中と食事することもできたという。