櫻田智也氏が新作について語る(撮影/国府田利光)
〈顔のない死体〉という、推理小説の定番ともいえるモチーフ。さらには読者を驚きの真相へ誘う探偵役のイメージをも、櫻田智也氏の最新刊『失われた貌』は大きく更新する、自身初の長編にして初警察小説だ。
発端は2024年6月29日未明、B県との県境に程近い山間地で発見された、40代から50代と見られる男性の変死体。J県警媛上署捜査係長〈日野雪彦〉41歳は、相棒の〈入江文乃〉29歳と現場に赴き、指紋や面相や歯形を悉く欠いた被害者の身元を洗う一方、現場に粗大ゴミを捨てに来て遺体を発見した〈佐竹亘〉33歳にまずは事情を聴いた。
……というと警察小説のいかにも王道だが、物語は日野がその変死体のせいで娘の弁当作りを夜勤明けの妻に急遽おしつける格好になった微妙な朝の光景から始まっており、その他にも不審者の目撃情報に対する媛上署の対応が遅いと地元紙に投書が寄せられたり、同期の生安課長〈羽幌〉との間に因縁があったりと、彼ら刑事もひとつの事件だけを追っていればいいわけでは全くないのである。
「せっかくの初長編ですし、事件そのものを真正面から扱いたかったので、今回は職業探偵を書こうと思った。殺人が起きたらすぐに捜査が動き出してくれる、警察小説の構えを借りた謎解きミステリーに挑戦してみました」
素人名探偵・エリ(エリは魚編に入)沢泉シリーズで評価を集め、大の泡坂妻夫ファンとしても知られる著者。〈本物の「伏線回収」と「どんでん返し」をお見せしましょう〉と帯が煽るのも納得の書きっぷりは、単なる伏線回収のための伏線というより、本書の小説的魅力をより深い部分で支えている印象がある。
「書きたいのは当然、今も昔も推理小説なんですけど、人が犯した罪を人が暴く小説を書くからには、ただの推理ゲームでは終わらせたくなかった。人と人の関係がその悲劇を生んだ以上、脇役を含めた全員が人間として読めなければ歪ですし、推理小説以前に物語を書こうと、心がけてはいます」
例えば大量の粗大ゴミを車に積み込み、早朝を狙って捨てに行った佐竹に関して、〈たとえ不法投棄が発覚したとしても、谷底に倒れている人を無視できなかった〉〈人間というのは不思議なものだ〉と思う日野は、入江と聞き込みに向かった彼の実家で大声で喚き散らす父親と怯えた様子で頭を下げる姉の姿を目にする。
不法投棄は犯罪だ。が、妻が死んで以来、父親がゴミを溜め込むようになったという佐竹家の事情を知り複雑な気持ちになる日野と、そんな家族に対しても容赦のない生安課長の羽幌は、かつて同期の女性の不正を巡って揉めた仲。その羽幌を、10年前に失踪した父親〈小沼憲〉を探す少年〈隼斗〉は妙に慕い、身元不明の遺体がみつかったと知って〈死体はほんとにぼくのお父さんじゃないんですか?〉と署を訪ねてくる。
ほかにも、小学生が何者かに声をかけられた不審者事案と、署の対応の甘さを指摘した防犯ボランティア〈上村杏子〉の投書。その件に絡めて殺人事件の迅速かつ慎重な解決を日野に命じる管理官〈鷹宮〉の思惑や、顔のない死体発見の翌朝、隣の駒根市内のアパートの一室で発見された大家の変死体など、一見バラバラなピースが意味を成し始めてなお事態は二転三転し、表題から想定されるどんな結末をも、本書は軽く超えていくのである。