〈山は半分殺してちょうどいい〉
知床で言えば2023年、ヒグマが大量出没し180頭もの個体を駆除した。同エリアのヒグマ生息数は約500頭と言われているので、約3分の1もの個体数を減らしたことになる。以降、ヒグマの目撃数は激減したが、それでも事故は起きた。
ただ無論、葛西も危惧はしている。昨今は北海道のヒグマだけでなく、本州のツキノワグマも人里に出没するケースが増えた。葛西はその状況をこんな風に表現する。
「コップの大きさに対して水が増え過ぎた。だから人里にあふれ出してしまったんだと思います」
クマと人は歴史上、陣取り合戦を繰り返してきた。人間側の圧力がピークに達するのは1966年の「春グマ駆除」政策の開始以降だ。実質的な絶滅プロジェクトだった。しかし世界的な自然保護ブームも手伝い、北海道は1989年に春グマ駆除を廃止。駆除から保護へ大きく舵を切った。
その結果、全道で約5000頭まで激減していたヒグマは30年後に約1万2000頭まで回復したと言われる。葛西は現状をこう捉えている。
「かつては人間が自然を制圧していた。でも今、人間社会が高齢化し、耕作放棄地は森林に戻っている。自然が今、巻き返しをはかっている時代に入った。ある程度、人間側も陣地を奪い返さなければいけないとは思っています。ただ、それにも20年、30年という時間がかかると思います」
ヒグマとツキノワグマの撮影をライフワークとする写真家の二神慎之介はクマと人間の未来をこう予見する。
「今年起きたすべての事故を一緒くたにすることはできない。ただ、2025年は10年後、20年後に振り返ったとき、あの年を境に人間とクマの関係性が変わったねという年にはなると思います。これまで自然というと、癒やしのイメージがあったかもしれませんが、もっと殺伐とした時代になる。修羅の時代と言い換えてもいい。作家の熊谷達也氏が『相剋の森』という小説の中で〈山は半分殺してちょうどいい〉と書いているのですが、まさにその通りで、抗って、抗って、ようやく自然と人は共存できるものなんだと思います」
クマと人の事故は、これからもしばらく続きそうな気配だ。その度、過度にホラー化された報道が飛び交うに違いない。だが、クマに「ジョーズ」役を求めるのは、どう考えても荷が重すぎる。
(了。前編から読む)
【プロフィール】
中村計(なかむら・けい)/1973年、千葉県生まれ。ノンフィクションライター。著書に『甲子園が割れた日』『勝ち過ぎた監督』『笑い神 M-1、その純情と狂気』など。スポーツからお笑いまで幅広い取材・執筆を行なう。近著に『落語の人 春風亭一之輔』。
※週刊ポスト2025年9月19・26日号