国枝栄氏がサンデーサイレンス産駒について振り返る
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」から、サンデーサイレンス産駒についてお届けする。
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私が調教師としてスタートしたのは1990年。アイネスフウジンが勝ったダービーデーには、東京競馬場に19万人が集まり、暮れの有馬記念ではオグリキャップが今も語り継がれるラストラン。馬券の売り上げは前年比121%で初めて3兆円を超え、その後も右肩上がり。まさに競馬ブームの真っただ中での新人調教師生活だった。
そしてこの頃、その後の日本競馬を大きく進化させる馬が登場する。ケンタッキーダービーとプリークネスステークス、さらにブリーダーズカップクラシックを勝ってアメリカの年度代表馬に選ばれたサンデーサイレンス(以後SSと表記)が、日本に種牡馬として導入されたのだ。
この馬の競走能力は誰もが認めるところ。しかし、これだけの馬が日本に来たのは、アメリカでは種牡馬としてのニーズがないからだろうか、ダートばかり走っていたので、日本の芝に合う子供ができるだろうかという思いもあった。これまでも様々な種牡馬が輸入されたが、1、2年目に走る馬を出しても、その後は尻すぼみということが多かったので、この時も「どういうものかな」とやや冷めた目で見ていたのを思い出す。
ところが初年度産駒が1994年にデビューすると、翌年には異なる馬が皐月賞とダービーを勝ち、2世代だけでリーディングサイアー(種牡馬)となり、そこから13年間その地位を譲らなかった。