元・明石市長の泉房穂氏が上梓した新書『公務員のすすめ』
財務省のシナリオで野党政治家も夢を語れなくなった
──2009年の総選挙で民主党による政権交代が実現しましたが、あの時、官僚から官邸の方に主導権を持ってこようという動きが見られたのでは?
いや、むしろ民主党政権の3年は、国民からの大きな期待を失望に変えてしまったという点で、ある意味、不幸だったのではないかと思います。あの時に、予算のやりくりも含めて政治主導でやれることはもっとあったはずでしたが、結局のところ財務省の手のひらで転がされてしまったようにも見えました。そして、できなかった理由づけとして「お金がない」「だからできない」という方向で整理してしまったことが問題だったのではないでしょうか。きちんと方針を転換し、予算の組み換えをし、人事権を行使して組織再編していけば、できることはたくさんあったと思うのですが。
その意味では、私が衆議院にいた20年前、当時の野党はもう少し元気でした。自民党の政治では国民が幸せになれないから、自分たちにやらせてみろと本気で語る政治家が一定数いました。自分たちにやらせてくれたら、もっと障がい者や子どもたちに寄り添う政策を実現させてみせる、社会をこんなふうに変えていくと、自分なりの言葉で夢を語っていたように思います。
しかし今回、久しぶりに国政の場に戻ってきてびっくりしたのは、与党だけでなく野党にも言い訳が多くなったということ。「こういうことができる」ではなくて、「そんなことはできない」という論調が蔓延しているように感じます。
──現実の状況が厳しすぎて夢が共有しづらくなった。
野党までが、少子高齢化だからしょうがないというような言い訳しかしなくなったのは、国民にとってあまりに不幸なことです。結局のところ、官僚が書いた国民負担増のシナリオに与党も野党も乗せられているに過ぎないのではないでしょうか。
2009年に民主党による政権交代を目の当たりにした財務省は、その経験から、与野党双方に向けてしっかりと官僚主導のシナリオを書くようになってしまった。その意味でも民主党政権の3年は不幸だったと感じています。
官僚が先回りをして夢のないシナリオを書くものだから、政治家がもはや夢を語れなくなっている。政治家のみならずマスコミも同様です。財務省が全国紙の論説委員クラスにもレクチャーしていますからね。野党を含めた国会議員やマスコミが一種の諦めムードに入ってしまって、国民の願いを叶えようと考える以前に、そもそも、それは無理なこと、と整理してしまう。20年前と比較して、状況はかなり厳しくなっています。
──一方で、泉さんはかねてより「減税」での大同団結を呼びかけていましたが。
いっときは、自民党抜きに野党での大同団結というストーリーを考えていましたが、今の流れは明らかに多党化に向かっています。この流れは当分続くのではないかと感じています。とはいえ、難しいから諦めるということではもちろんありません。
今は、手強い相手と将棋を指しているような感じです。市長時代の相手とは明らかにレベルの違う手強さがある。もう、藤井聡太七冠に向き合っているような感じです。敵は押せるし引けるし、全方位的に目配りできるし、どこから攻めたらいいんや、どないせいっちゅうねん、という感じ。
でも、国のありようを変えていくのは、自分の人生が2回くらいなければたどり着けない、簡単ではないというのは20代の頃からわかっていたこと。だからこそ、まずは市長として明石の街を優しい街に変えることに人生を賭けようと心に決めたわけです。その意味で、当時の自分が思い描いていたように、わがふるさと明石で成功事例をつくるというところまでは大筋やってこられたかな、と。
次は、いよいよ手強い敵を前に、どこからどう手をつけていくか、さまざまな戦略を思い巡らせているところです。
(後編に続く)
構成/大友麻子 写真(人物)/野口 博(フラワーズ) 写真(書籍)/五十嵐美弥(小学館)
