『言葉のトランジット』/講談社
【著者インタビュー】グレゴリー・ケズナジャットさん/『言葉のトランジット』/講談社/1650円
【本の内容】
2023年6月から2025年5月までに連載された24編のエッセイを収録する。「新年の抱負と、その先に待つ失敗」で著者はこう綴る。《新年の抱負を立てることを毎年繰り返しているのに、五年前、十年前の目標を思い出してみても、殆んど記憶に残っていない。(中略)ときには思う。これほど毎年の計画にこだわっているのは、逆に失敗を経験したいからではないか》。大学で学生に授業をし、旅をして、小説を書き……日々の暮らしの中で感じ、考えたことを端正な日本語で綴った、発見と驚きに満ちた初めてのエッセイ集。
エッセイと小説では、書くときの姿勢はぜんぜん違う
日本語で書いた小説「開墾地」「トラジェクトリー」が芥川賞候補になったグレゴリー・ケズナジャットさん。『言葉のトランジット』は、初めてのエッセイ集である。
「トランジット」とは「乗り継ぎ」「乗り換え」のこと。第二言語である日本語と母語の英語という二つの視点で世界を見るエッセイになっている。
「群像Web」で連載していたときは「物語を探しに」というタイトルだったが、本にするにあたり変更した。「物語」を探していたはずが、どちらかといえば「物語」化に抗い、思いもよらない場所に着地する内容になっている。
「タイトルは、新聞に書いた旅のエッセイを読んで連載を提案してくれた編集者によるものです。自由に書いてほしいということで、最初はタイトル通り『物語』を探していたのが、次第にいろんな方向に向かっていきました」
小説を書くときとエッセイを書くときで、書き方はどう違うのだろうか。
「エッセイは、どうしても書き手が前面に出るものですし、このことを伝えたい、ここにたどり着きたいという目指す場所がなければ成り立たない気がします。小説は逆に、目的地を決めて書くとすごくつまらなくなる。書いているときの何かを探っている過程を読者と共有するような小説が自分は好きなので、エッセイと小説では、同じ執筆でも、書くときの姿勢はぜんぜん違うと思いますね。
日本語を母語としない書き手が、外から見た日本を書く、みたいなエッセイはすでに結構あるじゃないですか。同じことをくり返したくないので、じゃあどういう書き方があるかはかなり真剣に考えました。小説を書くときももちろん考えますが、エッセイはそれ以上に考えましたね」
海外旅行をするときなるべく長い乗り継ぎを含む旅程を選んでいること(「乗り継ぎ」)や、雑な文化論が苦手であること(「邪魔する文化論」)、思いがけず母校のアメフトチームを応援するようになったこと(「フットボール・シーズン」)などなど、旅の記憶や異文化の受容をはじめ、取り上げた題材は多岐にわたっている。
日本人はこう、アメリカ人はこう、と決めつけるような乱暴な文化論がとても苦手だそう。日本文学を研究するアメリカ人研究者という立場なので、文化論をぶつけられる機会がこれまで多かったのだろうか。
「……多かったですね。でもそういう文化の理解のしかたは普通によくあることで、自分もやります。2年前に初めてベトナムに旅したときのエッセイ(「ダナンの旅」)がこの本に入っていますが、言葉も歴史もわからないと、ベトナム戦争であるとか、自分が少しだけ知っていることを当てはめて、何とか理解しようとしてしまうんですよね。
その衝動自体は誰しもよくあることで、衝動が起きたときにどう対処するかが問題だと思うんです。一般論に逃げずに、その罠に落ちずに、もうちょっと直視しよう、観察しようと思うことが重要なんじゃないかと思いますね」
アメリカのサウスカロライナ州グリーンビルに生まれた。イラン生まれのお父さんの母語はペルシャ語だそう。大学生のとき交換留学で福井県に1年滞在。大学卒業後に外国語指導助手として来日し、日本の大学院では日本文学を研究した。
