「同じ空の下」にいた三人

 歴史の記述、とくに近代史の記述が厄介なのは、日本が列強の仲間入りをするほど国家の規模が拡大し、なおかつ諸外国とのかかわりが増大したことだ。実際の歴史はたとえば「シベリア出兵」問題にしても、他の重要項目と同時並行で起こる。それらの事象が複雑に絡み合い、相互に影響し合っていることもある。だから冒頭に述べたように「時系列的に整理しておく必要」がある。具体的には「年表にして確認する」という作業になる。それをやってみよう。

〈●一九一七年(大正6)
二月 第一次世界大戦下、ドイツ帝国潜水艦による無制限攻撃再開。
四月 アメリカ、ドイツに宣戦布告。
十一月 日本、アメリカに中国権益を侵害されることを怖れ、石井・ランシング協定を結ぶ。
    ロシア革命により帝国崩壊、ソビエト政権誕生。
●一九一八年(大正7)
七月 富山で米騒動勃発、全国に波及。
八月 日本、シベリア出兵。
   朝日新聞社主村山竜平、右翼に拉致され暴行を受ける。
九月 寺内正毅内閣総辞職。「平民宰相」原敬内閣発足。
十一月 ドイツ帝国、革命により崩壊。ワイマール共和国となる。第一次世界大戦終わる。
    皇室典範増補、皇族女子と王公族の通婚が可能に。
    スペイン風邪が世界で大流行。
●一九一九年(大正8)
一月 パリ講和会議。
   女優松井須磨子、師島村抱月の後を追い自殺。
二月 国際連盟規約委員会で日本代表、人類初の人種差別撤廃の規約化を提案するも、アメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンの妨害により挫折。
三月 京城で「三・一独立運動デモ」が起こり、朝鮮全土に波及する。
四月 朝鮮民族主義者、中国上海に大韓民国臨時政府を樹立。
   元貴族院議員前島密病死。
五月 日本がドイツの山東省権益を継承することに反対するデモが中国で起こる(五・四運動)。連合国側、ドイツ山東省利権の日本による継承を認める。この決定に反対する中国人留学生二千人が東京でデモ。
六月 旧ドイツ領の南洋諸島、日本の委任統治が決定。
七月 板垣退助病死。
   中国寛城子で日中両軍衝突、日本人多数死傷(寛城子事件)。
●一九二〇年(大正9)
一月 労働団体など全国普選(普通選挙)期成連合会結成。
二月 東京で「普選大示威行進」。政治家尾崎行雄が先頭に立ち、数万人が参加する。原敬内閣、普選法審議中の衆議院を強行解散。総選挙で圧勝。
三月 ソビエト連邦ニコライエフスクでパルチザンにより多数の日本人が虐殺される(尼港事件)。〉

 このあたりにしておこうか。できれば、もう一度この年表に目をとおしていただきたい。多くの読者が感じるのは、「あれ、尼港事件ってまだ起きてなかったんだ」ではあるまいか。そう、第一次世界大戦が終わりパリ講和会議が始まって世界がヴェルサイユ体制に移行するというころには、まだ尼港事件は起こっていなかった。ちなみにこの事件が起こったことを日本政府が知るのは、アムール川の氷結が溶けて船が往来できるようになった五月以降のことである。

 読者の印象で言えば、尼港事件の話は「だいぶ前に聞いたな」であろう。ここが歴史記述、それも近代史記述の難しいところで「シベリア出兵とその失敗」を語るには、どうしても締めくくりである尼港事件を分析する必要がある。しかし、それをやると内容が「それまでの記述を追い越してしまう」という「弊害」も出てくる。

 早い話が、今後の『逆説の日本史』の単行本刊行計画では、第二十九巻「大正暗雲編」(今月発売予定)に尼港事件の話が収録され、「それより前の出来事」のはずのパリ講和会議の話はおそらく次の第三十巻に掲載されることになるだろう。読者を混乱させることは否めない。だがここは、このあたりが「歴史の妙味」であるとしてご寛恕願いたいものだ。

 また、女優松井須磨子の後追い自殺についても、記述したのはずいぶん前の巻(第25巻 明治風雲編)でのことだ。明治芸能史という重要項目をひとつにまとめて語る必要があったからだ。ちなみに、島村抱月の死因はスペイン風邪つまりインフルエンザである。この時代は世界中の人々がスペイン風邪を怖れていた。日本でも十数万人が死んでいる。西郷隆盛の嫡男(正妻が産んだ長男)寅太郎もそうだ。「コロナ禍」に悩まされていた現代の日本人のほうが、昭和の歴史学者よりもこの時代の気分が理解できるかもしれない。

 さらに、松井須磨子、自由民権運動の板垣退助、「日本郵便制度の父」前島密と並べれば、相当な歴史マニアでも時代的関連性の無い別個の人物だと感じるだろう。だが松井須磨子が若死にするというような事情もあったが この三人は同じ時代を生きていたのだ。

 明治初年、首都を大坂(大阪)にしたほうがいいのではないかと悩んでいた大久保利通に「首都は東京しかない」と説得し翻意させたのは前島だし、その大久保が東京紀尾井坂で暗殺されたとき、直後に駆けつけたのも前島だ。享年は八十四で、三十二歳の須磨子とは半世紀の年の差がある(板垣退助の享年は83)が、こうした人々が「同じ空の下」にいた。

 山県有朋に至ってはまだ生きている(笑)。彼が死ぬのは一九二二年(大正11)で、その直前に死んだ同い年の大隈重信の国民葬がきわめて盛大であったのに対し山県の国葬が閑散としていたことも、すでに述べたところだ。

 こうしたところが、たまには年表を見る「妙味」なのだが、そのひとつが起こった当時は小さな事件であったものが、その後大きく発展するということがある。この年表で言えば一九一九年の「寛城子事件」である。寛城子とは地名だが、この地はのちに日本によって改名され、日本人なら誰もが知っている都市名になる。

 新京、そう満洲国の首都である。

(第1475回に続く)

【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。

※週刊ポスト2025年12月19日号

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