ここで思い出していただきたいのは、シベリア出兵のことだ。なぜ日本は、とくに日本陸軍はシベリア出兵に固執したのか? それは、日本にとって東洋平和実現の最大の障壁ロシア帝国が内乱で分裂したからだ。
共産勢力の赤軍と戦う白軍に日本が味方し勝利に導けば、白軍が建国する新ロシア帝国は日本の頼もしい味方となり、日本の安全は完全に保障され、日露戦争で散った十万の英霊も安らかな眠りにつける。だから日本は、共産勢力ソビエトが圧倒的勝利を収め欧米列強が次々と撤兵するなかで最後まで残り、尼港事件という悲劇まで招いてしまった。結局、日本は強大な敵を分裂させるという最大のチャンスを逃してしまったのである。
では、その敗因はなにかと言えば、一つはアメリカなどに忖度して戦力を一気に投入することができず、逐次投入という最悪のやり方になってしまったからでもあるが、最大の原因はそれでは無い。白軍側に、立場を越えて団結できるための「統合のシンボル」が無かったことだ。具体的には、ロマノフ王朝の血を引く皇族である。革命に際して共産勢力は皇帝一家を皆殺しにしたのだが、この残虐行為は戦略的に見ればソビエトの勝利を確定した。
もうおわかりだろう。日本陸軍は、満洲国建国に対する大きな影響を受けたのである。大陸に「新ロシア帝国」を建国するのも「満洲国(新・清帝国)」を建国するのも目的は同じ。第一は日本の安全確保、第二は経済的利益である。だが、のちに満洲国建国に主導的立場を果たす陸軍の幹部たちは、シベリア出兵当時はまだ青年将校だった。彼らはロシアという仇敵を分裂させる最大のチャンスを、先輩たちがむざむざと失敗に終わらせたのを横目で見ていた。そして前にも述べたように、彼らは失敗の原因を深く分析した。
やはり最大の問題は、「新帝国」を建国する際にはその統合のシンボルが絶対必要だということだ。しかし、そういう人物が本当に存在するのかどうか? 仮に候補がいたとしても、その人間に皇帝に返り咲くという野望が無い限り擁立はできない。本人の意図を無視して無理やり擁立しても決して長続きはせず、せっかく建国しても後が続かないということになる。
つまり、この張勲事件はのちに日本軍が満洲国初代皇帝として擁立する愛新覚羅溥儀に「その気がある」ということを知らしめた重大事件でもあったのだ。満洲事変から満洲国建国は、この事件から十四年後の一九三一年(昭和6)以後のことだが、壮大な計画であればあるほど長い時間をかけて綿密に準備される。しかも、満洲事変の立役者であった関東軍高級参謀・板垣征四郎と石原莞爾のコンビは、事変のときに突然陸軍軍人になったわけではない。彼らはすでに若手将校であった。彼らは「いざというときに溥儀は手駒として使える」と認識したはずである。
(第1476回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年12月26日号