若い女性にも人気だったオグリキャップ(時事通信フォト)
引退レースだった1990年の有馬記念で約18万人もの人々に見送られた伝説の競走馬・オグリキャップは、どんな存在だったのか。元関西テレビアナウンサーの杉本清氏に、オグリキャップが出走したレース実況について聞いた。
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地方競馬(笠松競馬場)で12戦10勝という戦績を引っさげ、中央競馬にやってきたオグリのデビュー戦は1988年のペガサスSでした。馬群の外から差を詰めて先頭に立ったオグリに対し、実況席の私はこう叫びました。
《おーっと外から青い帽子。来た来た怖いオグリキャップ(中略)これは噂に違わない強さだ》
「怖い」という台詞は1976年にテンポイント、トウショウボーイなどの本命馬をかわして菊花賞を制したグリーングラスなど、勝負事に絶対がないことを証明した馬に対し、私がたびたび使った表現でした。
オグリも前評判の高い馬ではあったけれども、私自身はそれまで中央にやってきた笠松出身の馬の末脚に不安を覚えていた。なるほど、他を圧倒する後半の走りによってオグリの実力は本物だ、と。その気持ちが口をついて出たわけです。競馬の実況において、展開を予想し、事前に用意していた台詞が実際のレースに当てはまることはまずありません。そんな芸当ができたならレース前に買っていた私の馬券はすべて当たるはずです(笑)。
地方競馬出身馬が中央に進出し、サラブレッドを倒していく──大井競馬出身のハイセイコーやオグリのような物語が日本人は大好きです。
ただ、スターホースであるハイセイコーに対し、オグリはアイドルホースの称号が相応しい気がします。それまで若い女性がオグリの人形を持って競馬場に足を運ぶなどという光景は見られなかった。
この二頭の登場がなければ、JRAの隆盛はなかったでしょう。
【プロフィール】
杉本清(すぎもと・きよし)/1961年に関西テレビに入社。長年JRA競馬中継の実況を担当。
取材・文/柳川悠二
※週刊ポスト2025年12月26日号
