退職後の会見では、部屋の師匠であり、「宮城野」を襲名することになった元横綱・旭富士も同席したが…(写真・時事通信フォト)
草野の改名
退職した白鵬氏は「世界相撲グランドスラム構想」を掲げているが、その後の相撲協会には次々と変化が訪れている。もともとは白鵬氏がスカウトした力士である草野が、11月の九州場所で改名して義ノ富士を名乗ることになった。若手親方が言う。
「草野は幼馴染の川副がいる旧宮城野部屋に入門する予定だったが、入門のタイミングで部屋が閉鎖となった。そのため伊勢ヶ濱部屋に入門したが、出世をすれば伯桜鵬はじめ、白鵬二世といわれている聖白鵬らが名乗っている“××鵬”に改名するとみられていたが、白鵬が退職すると伊勢ヶ濱部屋に忠誠を誓う“××富士”への改名で周囲を驚かせた」
白鵬氏が宮城野親方として在職していた時は、全く部屋再興の動きを見せず、むしろ伊勢ヶ濱部屋が宮城野部屋をそのまま合併吸収する流れだった。ところが、宮城野部屋の復興を渋っていたように見えた協会において、白鵬氏が退職すると一気に流れが変わった。前出・相撲担当記者が言う。
「まさに協会の得意技のひとつのご都合主義でしょう。旧宮城野部屋の力士が伊勢ケ濱部屋所属の一時的な“預かり”であることを証明するような動きがあった。2012年春に伊勢ヶ濱部屋の門を叩きながら、部屋に照ノ富士がいたことで“外国出身力士は1人1部屋”の申し合わせによりデビューできなかったモンゴル出身力士が、九州場所で初土俵を踏んだのです。
しかも先代の伊勢ヶ濱親方の現役時代の旭富士を名乗ってのデビュー。4年半の部屋での研修生活で部屋の関取より強くなった大型新人です。しかし、今も部屋には白鵬がスカウトした旧宮城野部屋のモンゴル出身力士・聖白鵬が在籍している。部屋閉鎖による転籍で1部屋2人になるのはまだしも、新人力士を加えての1部屋2人の外国出身力士ですから“伊勢ヶ濱部屋と旧宮城野部屋は別でいずれ再興される”との前提がはっきりした格好です」
