小和田:一方で、毛利が機嫌を損ねて政権を離脱するようなことになれば大変です。折衝役はかなり気を使ったようですね。
黒田:輝元たちを接待した後は、さすがの秀長も気疲れしたようです。小早川隆景と一緒に有馬温泉に浸かって養生しています(笑)。また今で言う“報連相”も徹底していた。秀吉は最終的な判断は全部自分でやりますが、そのためにも情報収集が欠かせなかった。
小和田:そうですね。正確に判断するためには、細かな情報が必要です。これを逐一報告するのも秀長の仕事でした。
黒田:秀吉は家臣が勝手なことをすると怒ります。怖いから、報告を怠る人間も出てくる。ところが秀長はどんな小さなことに思えても、逐一報告をあげた。こうしたこともあって、秀長は秀吉に厚く信頼されていた。
小和田:だからこそ、2人でひとつの“2方面作戦”を担えたのでしょう。織田信長の命令で毛利氏を攻めたいわゆる中国攻めのときに残された資料では、秀吉は播磨国(兵庫県西部)とその隣、備前・備中あたりを主に制圧するために動き、秀長は但馬国(兵庫県北部)の方を任された。
山陽側を秀吉、山陰側を秀長。兄弟の役割分担がうまくいったのは、あらゆる意味で秀吉の秀長に対する厚い信頼があったからでしょう。
秀長亡き後の暗黒時代
小和田:武闘派・前田利家と頭脳派・秀吉の対決。これまでそういった捉え方がされてきましたが、今回の『豊臣兄弟!』では、少し異なった秀吉像が描かれているそうですね。
黒田:ある資料には、秀吉は弓や槍を使い、城攻めでも信長の家中で目立つ存在だった。といった記述が出てきます。今までの秀吉像は「人を殺すのは嫌い」だとか、「腕力が弱い」といったものでしたが、これは後世に語られる言わば小説的なキャラクターです。実像はもっと武闘派だった。『豊臣兄弟!』ではそうした部分も描かれる予定です。