小和田:天正19年(1591年)に、秀長は数え年52歳でこの世を去ります。病死でした。それ以降、順調だった秀吉政権に陰りが見え始めます。私は秀吉の「暗黒事件」と表現しているのですが、千利休や、甥っ子の豊臣秀次が切腹させられたのも、秀長が亡くなってからです。
黒田:文禄の役(朝鮮出兵)が失敗したのは、家臣である小西行長や加藤清正が秀吉に対して、嘘の報告ばかりをあげたからだと言われています。秀長が生きていたら、あるいはこれを見抜いたかもしれません。
小和田:秀吉は慶長3年(1598年)に数え年62歳で亡くなります。老衰ですね。そして大坂夏の陣が慶長20年(1615年)です。この年に、大坂城が攻め落とされ、豊臣政権が潰えます。秀長が亡くなってから24年後です。彼が生きていれば、もしかしたら豊臣政権はもっと長く続いたのかもしれません。
黒田:最終的に豊臣政権が壊れるのは、いわば内部分裂ですよね。秀吉は絶対君主だったのですが、今で言う合議制をとっていました。
小和田:何か問題が起これば、側近や譜代大名が意見を出し合って、結論を出し、それを秀吉に報告して裁可を仰いでいた。しかし秀長が亡くなり、報告の役目を担える人材がいなくなってしまった。実際の人心掌握は秀長が握っていた部分が大きかったということです。
黒田:秀長がいることで機能していた合議制でしたが、彼が失われたことで機能不全に陥ってしまった。これが豊臣政権崩壊の真実と言えるかもしれません。
小和田:歴史にイフは禁物ですが、もし秀長がもっと長生きしていたら、また違った太閤記が生まれたことでしょうね。
【プロフィール】
小和田哲男(おわだ・てつお)/1944年、静岡県生まれ。静岡大学名誉教授。文学博士。日本中世史、特に戦国時代史を専門とし、大河ドラマ『秀吉』(1996年)や『どうする家康』(2023年)など様々なドラマの時代考証にも携わる。著書に『豊臣秀長 秀吉と泰平の世をめざした、もう一人の天下人』(早稲田新書)など。
黒田基樹(くろだ・もとき)/1965年、東京都生まれ。駿河台大学教授。歴史学者。日本中世史を専門とし、大河ドラマ『真田丸』(2016年)や『豊臣兄弟!』(2026年)など様々なドラマや漫画の時代考証にも携わる。著書に『羽柴秀長の生涯』(平凡社)など。
※週刊ポスト2026年1月16・23日号