昭和19年、最高戦争指導会議に臨席(写真/共同通信社)
マッカーサーとの対峙
その嚆矢となったのが1931年の満州事変だ。世界恐慌(1929年)に始まる経済不況も追い打ちをかけたが、「自前の植民地経済圏を持たなければ日本は生き残れない」との焦燥感から軍部が台頭し、戦争の時代に突入した。
昭和天皇自身は積極的な戦線拡大を望まなかったが、軍を止める術もなかった。軍事専門家である軍部を説得する根拠は持てず、反対することで「二・二六事件」で噂された皇位簒奪への危機感も頭の隅にあったかもしれない。
1937年に始まる日中戦争が泥沼化し1941年に太平洋戦争に突入すると、昭和天皇は戦争に積極的な姿勢を見せている。それは昭和天皇の好戦的な一面なのではなく、戦争に負ければ万世一系の天皇家と日本の社会や国家が失われるとの危機感の表われではなかったか。
終戦後、日本を占領したGHQのマッカーサー元帥と会い「戦争遂行に伴う全責任を負う」と語ったとの逸話があるが、自分の身と引き換えに天皇家と日本を守る覚悟を示したと思う。
1945年8月の終戦時に詠んだという御製がある。
「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」
「国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり」
深い悔恨とともに、天皇を中心とした国柄を守るために自己犠牲を厭わない昭和天皇の気持ちが表われている。
※週刊ポスト2026年1月16・23日号
