昭和60年、園遊会で声を掛けられ涙する女優・高峰三枝子(写真/共同通信社)
昭和100年が終わり、昭和101年が始まった。いまあらためて、昭和の象徴たる昭和天皇の足跡をたどりたい。河西秀哉・名古屋大学大学院人文学研究科准教授が、戦後の全国巡幸について解説する。
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終戦後の1946年2月、「戦争で傷ついた人々を慰めたい」との昭和天皇の強い意志により全国巡幸が始まった。最初の巡幸地・神奈川県に現われた天皇は、軍服ではなく背広にソフト帽姿。戦前・戦中の天皇像とは一線を画す「新しい天皇」像の象徴的な出で立ちだった。
各地の歓迎ぶりは凄まじく、熱狂が渦巻いた。それまでの取材制限が大幅に緩和され、天皇が工場や学校で人々と親しく語らう写真が新聞各紙で大々的に報じられた。
戦後巡幸は国民との対話だけではなく、天皇とメディアの新たな関係を築く機会でもあった。
1954年まで続いた全国巡幸で、昭和天皇は頻繁に新聞社を訪れている。大阪(1947年6月)では朝日新聞や毎日新聞を訪れ、印刷工場や編集作業など現場を視察。社員を激励している。
中部日本新聞(現・中日新聞)では、1950年の天皇訪問を機に、翌年元旦の紙面に御製を載せたいと宮内庁に働きかけ、「日の丸をかかげて歌ふ若人のこゑたのもしくひびきわたれる」という巡幸時の歓迎ぶりを表わした御製が特別に提供された。
