昭和53年、孫に囲まれ那須御用邸を散策(写真/共同通信社)
昭和100年が終わり、昭和101年が始まった。いまあらためて、北野隆一・朝日新聞記者兼社史編修委員が、昭和天皇と香淳皇后による「皇室の近代化」への歩みについて振り返る。
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昭和天皇とともに激動の時代を歩んだ香淳皇后。2025年10月に宮内庁が公開した『香淳皇后実録』では戦争中から非常に重要な役割を果たしていたことがわかった。
戦前・戦中に昭和天皇が陸海軍を統帥する大元帥の役割を担った一方、皇后には「国母」としての役割があった。
軍人に対する慰労のお言葉だけでなく、傷病軍人に対して義眼・義手・義足を渡し、戦死した陸海軍将校の遺族にはお見舞いの菓子を贈るなど、軍の中の福祉面を主に担った。
太平洋戦争が始まったのは1941年。戦争中、1901年生まれの昭和天皇と、1903年生まれの香淳皇后はともに40歳前後だった。まさに若い兵士らの父母の世代であり、皇后は積極的に国母としての活動に取り組んだと言える。
香淳皇后は昭和天皇との間に2男5女をもうけたが、結婚直前の1921年にイギリスを中心とする欧州各国を歴訪した天皇は、英王室のあり方などを見聞し、側室を置かないなど「皇室の近代化」を皇后とともに目指した。
子供たちを手元に置いて育てようとした。宮中のしきたりに従い乳母を置いたが、可能な限り母乳を与えた。しかし側近の意見もあり、いずれも幼少期に親元を離れ、養育を側近に託している。
