コメ価格の上昇に意識が追いつかない(イメージ)
「そもそも『100均』というのが侮蔑というか、からかいに使われていた時代もあったじゃないですか。ずいぶん前に『百均の化身』って、あるゲームキャラクターを揶揄した言葉をSNSで見たんですけど、あれだけの精巧な小物を100円で作って売るって本当に凄いことなんですよ。もちろんネットのそういうのがネタなのはわかってますけど、一度ついたネガティブな消費者マインドってバカにできないんですよ」(専門商社のバイヤー)
ラーメンやカレーには「1000円の壁」があるとされる。長年のたかがラーメン、たかがカレーという心理、1000円を超えてもそれほど影響がないとされるメニューもあるので確かに「イメージ」はバカにできない。
最近だとコメがそうか。「コメの値段なんてこれくらい」が多くの人に染み付いている現実がある。タマゴしかり、鶏肉しかり。材料高、エネルギー価格や物流費の高騰による物価高や円安なんて事情を汲んでくれる消費者なんていない。もやしに至ってはかわいそう過ぎる。
個々人の中にはそうした聡い人がいたとしても、消費者という塊にそれはない。あの雑貨の山に大きな世界経済のダイナミズムがあることなど、誰かが泣いていることなど多くの消費者にとってはどうでもいい話で「高品質を、どこまでも安く」を求めるのが現実だ。
かつてベテランの大工と話す機会のあったとき、彼は「良質低価格」的な文言を謳う住宅メーカーについて「そんなもんあるか」と笑っていたがまあ、そうだろう。どこに基準を置くかにもよるが本来、良質なものは良質なりの価格であるべきなのに。
しかし消費者はそうではない。企業もまたそう甘く見てはいない。だからこその「100円の呪縛」である。
人件費がシャレにならない
その激安は誰かの犠牲でできている。
必ずしもそうではないことは当然だが、それでも生産現場が、物流ドライバーが、店舗スタッフが、それこそはるか遠くのどこかの国のどこかの労働者がその激安を支えている。いや、支えてきたことは確かだ。
そもそも、かつてのそれは100円のはずがなかったのだ。
100円どころの話でない極端な例かもしれないが、それこそかつての「もやし1袋1円」なんて、それがたとえ個数限定やタイムセールであってもおかしいのだ。むしろ「なんてひどいことを」と悲しむべきだ。こうした1円販売に対して2017年に公正取引委員会が警告を発したが、もやし生産者協会が「どうか適正価格を」と懇願するのも無理はない。
