都内の教会で納棺式と葬儀が執り行われた
「いまだったら、海外の方が日本に来て、伝えたいことや売り込みたいことがある時はインタビューを受けてくれるじゃないですか。映画のプロモーションとか。
でも、先方がしゃべりたいことがある時に話してくれることと、こちらが取材したい時に行ってインタビューを受けてくれることって、ぜんぜん意味合いが違うなと思っています。そういった意味では、うちの父は80年代、90年代という“日本が強い時代”とともに生きていたんだなと思います」
陽一氏がSNSに投稿した追悼文には「胡散臭いとか言われるのが嫌で、落合信彦の息子という記述を消し続ける時代があった」という記述もあった。どんな思いを込めて書いたのか。
いま、父親について語り始めた理由
「うちの父親は毀誉褒貶が激しい人なんで、めちゃくちゃ好きな人もいれば、よく思わない人もいて。
父が亡くなって気付いたのは、人間は亡くなってみると忌憚なく人を褒めてくれるんですけど、生きている間はあんまり褒めてくれないんですよね。
これまで、ネットを見ていると親父を批判している人も多くいたんですが……亡くなって2日目ぐらいの時に感じたのは、うちの親父にはアンチ以上にすごくたくさんファンがいたということ。その人たちが亡くなった当日から一斉に語り出してくれて、私としても非常に意味のある追悼期間でした。
“人の真価は亡くなった時に分かる”ってよく言われますが、亡くなってみると、『今まで恥ずかしくてなかなか言えなかったけど、自分が留学したのは落合先生がきっかけだった』とか『海外で働いているのは落合さんの影響だった』といったことを、数多くの人がいってくれる。それがすごく嬉しくて。
そういった意味では、最初は自分が『落合信彦の息子』だってことをあまり言いたくないなと思っていたけど、いまは言ってもいいんじゃないかなと思ったんです。
分野としては、うちの親父は国際ジャーナリストで作家、私は現代芸術とコンピューターサイエンスのフィールドにいて論文書いたり作品作ったりビジネスやったり、ぜんぜん違う分野で仕事をしています。親父と関係ないところでやるのが僕の生き方で、それはなるべく曲げないようにしていたんですけれど……親父が亡くなって、いま父のことを思い出せる人ってそんなに多くいるわけではないので、私が思い出してしゃべっていくっていうのは大事なことかなと思っています」
