細川たかし一覧

【細川たかし】に関するニュースを集めたページです。

NHK紅白歌合戦の視聴率回復の背景には様々な要因が考えられる(公式サイトより)
紅白視聴率回復を実現させた大御所頼み、昭和ソングからの脱却
 2020年大晦日の『NHK紅白歌合戦』は第2部の視聴率40.3%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)で、2年ぶりに40%の大台に乗せた。新型コロナウイルスの感染拡大による在宅率の上昇でテレビの総世帯視聴率がアップしていたこと、過剰な演出を行わずに歌をじっくり聞かせたことなど様々な理由が考察されている。 それらに加え、裏番組の『第53回 年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京系)と比較すると、もう1つの重要な要素が鮮明になる。演歌を中心に昭和や平成の懐メロが歌唱される『年忘れ』には、かつての『紅白』の顔が続々と登場。紅白への出場経験がありながら、2020年は不選出となった『年忘れ』出演歌手は69組にも上る。その中で、紅白出場回数ベストテンを算出してみよう(※特別出演含む回数。名前横は最後の出場年。『年忘れ』でソロ、『紅白』でグループ出場の場合は、ソロのみカウント)。1位:51回 北島三郎 2018年(特別出演。その前の出場は2013年)2位タイ:39回 和田アキ子 2015年2位タイ:39回 細川たかし 2015年4位:34回 小林幸子 2015年(特別出演。その前の出場は2011年)5位:29回 都はるみ 1997年6位:26回 美川憲一 2009年7位:24回 川中美幸 2011年8位:23回 八代亜紀 2001年9位タイ:22回 水前寺清子 1986年9位タイ:22回 伍代夏子 2015年 ランキングを見ると、30回以上の和田アキ子、細川たかし、小林幸子という大御所が2015年を最後に紅白に出場していない。48回の森進一も同年限りでの勇退を発表した。 この年は、当時紅白史上最低の39.2%(第2部)を記録。40%の大台を割り、2年前の44.5%から5.3%も下落した衝撃は大きかった。そのため、NHKは“ベテラン斬り”の改革を断行したと考えられる。紅白は同年を境に大きく変貌したのだ。 2015年と2020年の全体の曲目を比較すると、その具体的な内容も明らかになる。2015年はトリの近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』、松田聖子『赤いスイートピー』を始め、美輪明宏『ヨイトマケの唄』、和田アキ子『笑って許して』、森進一『おふくろさん』、細川たかし『心のこり』、レベッカ『フレンズ』、高橋真梨子『五番街のマリーへ』『桃色吐息』など20曲も昭和発表の歌だった(藤あや子が2003年にカバーした『曼珠沙華』は含めない)。 一方2020年は、ディズニーメドレーの2曲、郷ひろみ『男の子女の子』『よろしく哀愁』、NHK連続テレビ小説『エール』の企画として『福島行進曲』『長崎の鐘』『栄冠は君に輝く』、松任谷由実『やさしさに包まれたなら』、『守ってあげたい』、石川さゆり『天城越え』、松田聖子『瑠璃色の地球 2020』(昭和61年発売の自身の原曲のためカウント)の11曲が昭和発表の歌だった。 つまり、昭和ソングはほぼ半減している。全曲数(※メドレーは1曲ずつカウント、特別企画などの歌唱含む)から比率を算出すると、2015年は26.3%(全76曲中20曲)、2020年は17.7%(全62曲中11曲)と7.3%減に留まっている。しかし、2020年の昭和ソングは“必然性”を感じられるものだった。 郷ひろみは同年に逝去した筒美京平さんのトリビュートメドレーであり、『エール』は期間平均の世帯視聴率20.1%のヒットドラマである。松任谷由実は2015年以降で最も視聴率の良かった2018年の立役者(同年の歌手別視聴率3位)で、石川さゆりは毎年『天城越え』と『津軽海峡・冬景色』を交互に歌うことで注目を集めている。『瑠璃色の地球』は上白石萌音がカバーしたことでも話題になった。“今歌う意味”を見出せる選曲だったのだ。 歌手別視聴率でも、2020年限りで活動休止の嵐が1位の47.2%、大ヒットアニメ『鬼滅の刃』メドレーを歌ったLiSAが2位の46.6%と“今”を映し出した出場者が上位を占めた。 2015年は「なぜ今この曲を歌うのか」と視聴者が必然性を感じられない場面が多く、全体的な数字が下落したのかもしれない。事実、翌2016年は昭和ソングがわずか4曲と激減した一方で、視聴率は40.2%と回復した。 実は、紅白の“ベテラン斬り”は以前にもあった。1986年に視聴率59.4%と初めて60%の“大台”を割ると、翌年に大改革が行われた。〈過去最低を記録したのを機に演歌とアイドル歌手に偏っているといわれた選考方法を13年ぶりに見直す〉(1987年11月11日・朝日新聞) その空気を察して、事前に辞退を発表した大物歌手が2人いた。当時の最多記録である30回連続出場の島倉千代子は11月5日、記者会見を開いた。〈一昨年、29回目の出場が決まった時、30回を1つの区切りとしたい、と考えた。もし選考に漏れた場合、30回出場という勲章を傷つけることになる、と辞退を決心しました〉(1987年11月6日・朝日新聞) 29回連続出場の三波春夫は、こうコメントした。〈今年の紅白歌合戦はかなり模様替えすると聞いている。引き際が肝心と思い、後進に道を譲りたい〉(1987年11月25日・朝日新聞夕刊 ) 同年11月30日に出場者が発表されると、22回連続出場で紅組司会4度を誇る水前寺清子、計14回出場の千昌夫、計10回出場の研ナオコ、デビュー年から7年連続出場の田原俊彦、2年目から6年連続出場の河合奈保子という常連が選考から漏れた。代わりに、シャンソンの金子由香利、オペラの佐藤しのぶなどが初出場した。 しかし、1987年は55.2%とさらに視聴率が下落。島倉は『人生いろいろ』がミリオンセラーを記録した1988年に返り咲く(田原も同年選ばれるが、出場辞退)。三波、千は昭和が終わって平成が始まった1989年に復帰。研も1993年に7年ぶりに出場した。“1987年の改革失敗”があったためか、以降はベテランを同じ年に一気に切ることはしなかった。だが、2015年に初めて40%の大台を割ったことで、翌年に大御所の複数落選という劇薬を打ったと思われる。その2016年に40.2%と回復したため、彼らの復帰は遠のいた。2019年に37.3%と歴代最低を更新したが、2020年は以前と違ってベテランの返り咲きはなく、数字を戻した。“今”を中心に見せて40.3%を獲得した紅白の世代交代は、さらに加速するかもしれない。■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)では1980年代、なぜ紅白の視聴率が下落していったかを徹底分析。1988年、田原俊彦が紅白を辞退した理由も詳細に綴っている。
2021.01.07 19:00
NEWSポストセブン
醜聞後も活動再開しやすいミュージシャン だが紅白出場は別
醜聞後も活動再開しやすいミュージシャン だが紅白出場は別
 勝新太郎に見られるように、昔は醜聞でもそれを逆手にとって話題づくりをするなどして仕事の幅を広げたのが芸能人だが、今は昔。昨今は炎上や批判が起こりやすくなり、簡単に復帰とはいかない。ところがミュージシャンの場合は、今も昔も「コンサート」で“さりげなく”復帰したケースが多い。「テレビを主戦場とせず、スポンサーとのしがらみもない。ファンも謹慎されるより“コンサートを見たい”という気持ちが強い」(芸能ジャーナリスト・佐々木博之氏) 2016年に“ゲス不倫”でベッキーが完全自粛を余儀なくされた一方、不倫相手となったバンド「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音(31)は、報道後すぐにツアーを敢行している。 一方、お相手のベッキー(36)は11本あった地上波のレギュラー番組をすべて降板、CM10社が契約解除となった。その4か月後にレギュラー出演していた『金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)でようやく地上波に姿を見せたが、そこまで復帰するのは容易ではなかった。「司会の中居正広(48)との厚い信頼関係から実現したようです。『嘘はつかないで』と諭す一方で、『言えないことは言わなくていい』と逃げ道を用意するなど、ベッキーが話しやすい雰囲気を作った中居の名司会にも注目が集まりました」(スポーツ紙記者) 2019年6月に麻薬取締法違反で懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受けたピエール瀧(53)も、1983年に大麻所持で逮捕されたショーケン(萩原健一)も、俳優業に先立ち、音楽活動の再開を果たしている。 ただし歌手にとってのひのき舞台であるNHK紅白歌合戦となるとハードルは高い。 詐欺事件(2007年)に広告塔として関わったというトラブルが発覚した細川たかし(70)は地上波に復帰した後も、紅白には2年間出られなかった。「1977年と1984年に大麻取締法違反で逮捕された美川憲一(74)は、2度目の逮捕から紅白復活まで7年かかった。NHKは受信料で運営しているので、不祥事には非常に敏感。視聴者からは“俺たちのカネでやっているのに、何をしているんだ”と言われますから。とくに刑事事件を起こすと、復帰は大変です」(佐々木氏)※週刊ポスト2020年9月11日号
2020.09.06 07:00
週刊ポスト
堀尾正明アナが語る紅白裏話、台本到着日程や宴会部長の名
堀尾正明アナが語る紅白裏話、台本到着日程や宴会部長の名
 空前のメダルラッシュとなったアテネ五輪や“冬ソナ”ブームに沸いた2004年。同年にNHK紅白歌合戦の総合司会を務めた元NHKアナウンサー堀尾正明氏が、知られざる紅白の舞台裏を語る。 * * * NHKのアナウンサーにとって、紅白の司会は入局と同時に胸に抱く目標。地方で経験を積んで東京へ出てきて知名度を築き、任されるまで15~16年はかかる夢の舞台なんです。第55回は紅組を小野文恵、白組を阿部渉の両アナが担当し、総合司会は出番が非常に多い予定だというので年長の僕が担当することになりました。歴代最もしゃべった総合司会だそうです。 最終台本が届くのは紅白の前日です。例年、大晦日の本番へ向け29日から3日にわけてリハーサルが行なわれますが、当時は29日に出演歌手が全員集まる「面接」があったんです。総合司会、紅組、白組、ラジオの司会者が4つのブースに分かれて皆さんと10分ずつ、その年の活動や意気込みを取材します。構成作家も同席していて、“〇〇さんはこんな年でした”など生の声が盛り込まれていきます。 30日に最終台本ができあがると自分の言葉で台詞を練り直します。アナウンサーにはカンペがなかったので、コーナーごとに自分が話すべきことや話したいことをメモにして持ち込みました。受信料不払い運動の渦中で言葉遣いにも随分気を配りましたね。準備に追われて紅白前日は眠った記憶がありません。 当日は朝からリハーサルに立ち合い、本番を迎えます。お弁当もありましたが、控え室にはアッコさん(和田アキ子)の特製おにぎりや北島三郎さんのおいなりさんといった差し入れがずらりと並んで人気でした。 2004年は、『マツケンサンバII』や五輪の公式ソングだったゆずの『栄光の架橋』で会場がひとつになった。韓流ドラマの全盛期で白組は冬ソナ主題歌、紅組は『美しき日々』の劇中歌を披露して、主演のイ・ビョンホンさんもゲスト出演しました。彼の出番は2分ほどでしたがプロ意識が高く、カメラ位置などリハーサルは1時間くらい入念にしていました。その後フリーになって民放で再会したら、「紅白ではありがとう。あの時の国民的な司会者でしょう?」と日本語で挨拶してくれました。 勝手知ったるNHKホールですが、当日はカメラが10台以上並んで、紅白特有の異様な空気に包まれる。言い間違いがあってはならないと緊張しましたし、「毎回1秒2秒遅れたら積もり積もって歌手ひとりぶんの時間になるんだから」ときつ~く釘を刺されました。ただ、僕はお客さんの反応がいいほど燃えるタイプ。裏では「堀尾を黙らせて~!」なんて始終、怒号が飛び交っていました(苦笑)。 一瞬たりとも気を抜けない本番ですが、いちばん大事だと言われたのがエンディング。『蛍の光』の大合唱が終わってピューンと金のテープが発射されるまでは緊張感を保てよ、と。11時45分に放送が終わった瞬間に舞台の撤収が始まり、その後は出演者もスタッフも食堂へ移動して300人近くで盛大に打ち上げをします。 年越しそばを食べたりお酒を飲んだりしながら、“宴会部長”の細川たかしさんがマイクを回すんです。新潟県中越地震でさっちゃん(小林幸子)が豪華な衣装を封印した年だったので、「今年は新潟の皆さんを想って地味にさせていただきました」とスピーチされたのを覚えています。賑やかな宴は朝4時頃まで続きました。 今日こうして久々に台本を手にしましたが、厚みは3センチ近くあるし重さが異常(笑い)。自分にとってはやはり特別で、紅白の台本だけは捨てられません。●ほりお・まさあき/1955年生まれ、埼玉県出身。1981年にNHKへ入局後、1993年から東京アナウンス室勤務となる。『NHKニュース10』『サタデースポーツ』『サンデースポーツ』などを担当。アテネ、トリノ五輪メインキャスターや第55回紅白歌合戦総合司会も務める。2008年にNHKを退職しフリーに。現在は『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ)、『キャッチ!』(中京テレビ)など多方面で活躍中。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.22 07:00
週刊ポスト
レイザーラモンRG 「“あるある”はガヤを含めての団体芸」
レイザーラモンRG 「“あるある”はガヤを含めての団体芸」
 流行した出来事を音楽に乗せて歌う“あるある”ネタでブレイクした、お笑い芸人のレイザーラモンRG(44才、以下RG)。そんな彼に、“あるある”ネタ誕生のエピソード、歌手デビューについて聞いた。――RGさん鉄板となっている“あるある”ですが、ネタ作りのためにしていることは?RG:ワイドショーは必ず見るようにしています。“時事あるある”を歌うネット番組をニコニコ生放送で配信しているんですけど、そこにも情報が集まってきますね。「この人が今やばいので、どうですか」って。――“あるある”ネタを始めたきっかけは?RG:2008年頃、市川海老蔵さんのモノマネでテレビ番組のオーディションを受けていたんです。当時、海老蔵さんが出演しているヤマキのCMで、「おいしい鰹のおいしいとこだけ」って力強い言葉が入るんです。そればっかり言う、という替え歌をしていたんですよ、THE YELLOW MONKEYの歌に乗せて。そればっかり言って“しつけえな”、と言われるのに手ごたえを感じました。『リンカーン』(TBS系)の“あるある”ネタのオーディションで、海老蔵さんなら“歌舞伎あるある”しかないと思ったんですけど、全然ネタが思い浮かばなかったんです。唯一思い浮かんだのが、「勘三郎さんの名跡を、前の勘九郎さんと呼んでしまう」というもの。『リンカーン』でネタを見てくれたのが、ダウンタウン・松本(人志)さん、雨上がり決死隊・宮迫(博之)さん、さまぁ~ず・三村さんで、「こいつ、あるある言わへんわ」って落とされかけたんです。でもディレクターさんが、「最後に言うんです!」って頑張ってくれて、「なんやそれ、はよ言えや!」というガヤも含めての、“あるある形態”がそのときに完成したんです。だからぼくは、“あるある”は団体芸だと思っています。――ネタを作り出すのに、どれくらい時間をかけている?RG:時間をかけてないといえばかけてないし、常にやっているとも言えます。いろんな人を観察して、お題をふられたらすぐにやれるようにしています。ネタは長すぎるとだめですね。考えて出すよりも、パンパンとテンポよく返す方が、たとえ“あるある”が薄くてもウケやすいです。――そういえば今年6月、『いただきます』でソロ歌手デビューしましたね。RG:藤井隆さんのレーベルがよしもと内にあるので、一緒に活動させてもらっています。ぼくと椿鬼奴が、本気半分で「歌で食っていきたいね」と言っていたら、その覚悟があるならと、m.c.A・Tさんにつなげていただきました。 m.c.A・Tさんとどんな曲を作りたいかと話しあったところ、東京五輪が近いということで、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソングにもなった三波春夫さんの『世界の国からこんにち』みたいな。ああいうハッピーな曲をつくりたいね、という話になりました。 それから「いただきます」という言葉が日本しかないということがわかって、食物に感謝する歌を作りました。ここ3か月くらいは、ドサ周りをして歌って、CDを売って、歌手活動をさせていただきました。――曲を出したいという気持ちはずっとあった?RG:いやいや、そんな気持ちはなかったんですけど。いざCDを出してみると、歌を歌うことの大変さ、音楽産業の大変さみたいなものを感じました。「CD買ってくれた人に、あなたの“あるある”を歌います」みたいな、AKBでは考えられないくらいの神対応をしています(笑い)。――『いただきます』のCDジャケットで着ている上着は、師弟関係の細川たかしさんにもらった舞台衣装だとか。RG:細川師匠の出身地である北海道に2人でロケに行ったんです。細川たかし記念館が、真狩村の道の駅にあるんですけど、そこに過去に使った細川師匠の衣装がずらっと並んでいるんです。展示されている衣装をロケの最中に、「これ持って帰れ」って、くれたんですよ。歌舞伎町に似合う感じだったので、着させていただきました。細川さんには本当にお世話になっています。ありがたいですね。――最後にニュースサイト“あるある”をお願いします。RG:(相方の)HGの嫁(住谷杏奈)がプロデュースした腸をきれいにする広告がよく出てきがち~。それから、おぎやはぎさんがラジオで言ったことはすぐニュースになりがち~。【レイザーラモンRG】1974年6月8日生まれ、熊本県出身。同志社プロレス同盟にいたレイザーラモンHGと出会い、1997年にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成する。2006年からはプロレス団体「ハッスル」に参戦。今年6月にファーストシングル『いただきます』をリリース。9月に『あるある黙示録』(双葉社)上梓。
2018.12.31 07:00
NEWSポストセブン
レイザーラモンRG 際どいモノマネでも炎上しない極意を語る
レイザーラモンRG 際どいモノマネでも炎上しない極意を語る
 話題のトピックスを名曲に乗せて歌いあげる”あるある”ネタや、モノマネで人気のレイザーラモンRG(44才、以下RG)。今年は、髪の毛を剃ってその髪形を再現した細川たかしや、日本ボクシング連盟の山根明元会長のモノマネで大いに注目を集めた。その”攻め”の姿勢について、RGが熱く語った。――モノマネをする人選はどうやって決めている?RG:実は、似てる似てないはどうでもよくて、芸人の先輩たちに「そうきたか!」と思われたい一心なんです。少し前ですが、(千原)ジュニアさんから電話がかかってきて、「あれやったほうがいいんじゃないの?」と言われたのが、『バイキング』(フジテレビ系)に出演しているサンケイスポーツ芸能担当の森岡真一郎記者。すぐにテレビでやりました。 日本ボクシング連盟山根明元会長も、「モノマネやってええんかな、やばい人ちゃうかな」と世間が思っていたときにしたくなる。ある意味、ぼくは病気かもしれませんね。ギリギリを攻めるのが気持ちいい(笑い)。 当時、騒動が報じられて2日目くらいでワイドショーがそれ一色になったので、これはやるしかないと。バスツアーのような仕事があったので、そこにぶち込みました。お客さんが写真を撮ってくれて、SNSで拡散されました。――モノマネをするのに、どれくらい時間をかける?RG:かけません。まず、やる。モノマネのクオリティを上げるのは、そのあとです。山根元会長の場合は、サングラスはもっと青い方がいいなとか、シャツはもうちょっとピンクがかったものだとか、しゃべり方を研究するとか。すぐにやることによって、“マーキング”することにこだわっています。 山根元会長をマネるポイントは、白髪なので白くなるワックスを使っています。サングラスも、あの薄い青色とか、薄い茶色とか、10個くらい買い直しました。――山根元会長のマネをしたときの反響は?RG:「早い、さすが」「大丈夫かRG消されるぞ」とか。それが嬉しい。山根元会長のモノマネをして、消された、殴られたでも話題になりますから。――モノマネは、常にギリギリのラインを狙っているんですね。RG: そもそもは2010年ころに市川海老蔵さんのモノマネを始めたのがきっかけです。海老蔵さんが熱愛報道、結婚、けがと頻繁に週刊誌をにぎわせていて、ワイドショーと同時進行でモノマネをする楽しみを、そこで覚えまして。 2014年に小保方晴子さんや佐村河内守さんのモノマネをしたあたりから、ワイドショーになってすぐギリギリの人たちのモノマネをするのが楽しくて(笑い)。SNSに載せて、「さすがRG早いな」と言われるのが快感です。日本で一番早くマネたと自負しているのが、アメリカ大統領のトランプさん。トランプさんもギリギリ発言が多かったので、やっていて楽しかったです。――ギリギリを突くと反感を買いそうですが、炎上しないために気をつけていることは?RG:早さです。炎上する人って、情報を周回遅れでキャッチしている人たちに叩かれているんですよ。たとえばぼくが中心にいる円があるとして、ぼくがモノマネをすると、近くの人たちは「おもしれえ」と言ってくれる。 そこが第1陣で、その周辺の第2陣の人たちが、不謹慎だと言い出す。ネタを早く出すと、お笑いに敏感な人たちが“面白いバリアー”を張ってくれるんです。ただ、第2陣の人たちに向けた方がフォロワー数は増えるのですが、ぼくはそこに興奮しないので。 小さな子どもにかかわる事件だったり、未成年であったり、振り返ると、ぼくは自然にそういう人たちを選ぶのを避けていた感じですね。――炎上商法という言葉もあるが、炎上は怖い?RG:それを活かせるならいいと思います。ぼくは「RGはフォロワー狙いでこのモノマネか」と思われたくない。第1陣の、ぼくを面白がってくれている人たちを大事にしたい。 だからぼくは、細川たかし師匠以外定番でマネている人はいないんです。ぼくが頭を剃ってやっているので、みんながどれだけズラで似せてこようが、ぼくに敵わないじゃないですか。師匠に名前もいただきましたし。――今までやった中で、いちばん危険だったモノマネは?RG:小保方さんですね。小保方さんのモノマネをしたとき、周りがピリッとしていました。あれはやばかったです。小保方さんの件はうやむやになってしまったので、STAP細胞が発見されて、ハッピーに終わってほしいです。――なぜ細川たかしさんのマネを?RG:髪形がヅラっぽいと話題になっていたんです。その頃、頭を剃って舛添(要一元東京都知事)さんのマネをしていたので、その流れで細川さんの髪形に似せました。「この大御所に、ヤバイやろ」ということでやらせていただいて。『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で、特に浜田さんがめっちゃ笑ってくれたのが嬉しかったですね。――そのモノマネを知って、テレビ番組で細川さんが怒っていましたね。RGいよいよ来たかと。「RG終わった」とツイートもバッと流れていて、こういう終わり方も芸人として面白くていいやろと思いました。でもそのあと、『行列ができる法律相談所』(日本テレビ系)でお会いして、優しく包んでくださいました。そこで、“こぶしたかし”という名前もいただいて、いまやロケやコンサートに一緒に行ったり、いい関係を築かせていただいています。――これからマネしようとしている新ネタは?RG:あまり計画してないです。明日くるかもしれない。今、何か起きているかもしれない。真っ白です。何かあったら、即マネます。 【レイザーラモンRG】1974年6月8日生まれ、熊本県出身。同志社プロレス同盟にいたレイザーラモンHGと出会い、1997年にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成する。2006年からはプロレス団体「ハッスル」に参戦。今年6月にファーストシングル『いただきます』をリリース。9月に『あるある黙示録』(双葉社)上梓。
2018.12.25 07:00
NEWSポストセブン
『FNS歌謡祭』の裏で躍動、五木ひろしのBS歌番組の凄さ
『FNS歌謡祭』の裏で躍動、五木ひろしのBS歌番組の凄さ
 12月5日、フジテレビ『FNS歌謡祭』の裏で、ある大型歌番組が放送されていた。五木ひろしが司会を務めるBS朝日『日本の名曲 人生、歌がある 生放送!5時間スペシャル』だ。レギュラー番組は毎週水曜放送という日程もあって、2013年の番組開始以降、毎年『FNS歌謡祭』と対決する形になっている。『人生、歌がある』の構成担当は、元フジテレビの疋田拓氏。1970年代、80年代の歌謡曲黄金時代に『夜のヒットスタジオ』でプロデューサーを務めた敏腕テレビマンだ。その繋がりからか、五木ひろしを軸に今回も千昌夫、細川たかし、鳥羽一郎、藤あや子など演歌勢を中心に大物歌手が続々と登場した。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の中で、『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』などの歌番組にも詳細に言及している芸能研究家の岡野誠氏が話す。「FNS歌謡祭と同じくらい、メンバーも構成も豪華でした。番組序盤の『昭和のスーパーヒットメドレー』では坂本冬美、伍代夏子、藤あや子がキャンディーズの『春一番』、長山洋子と神野美伽が中森明菜の『少女A』、田原俊彦などが郷ひろみの『2億4千万の瞳』を歌うなど、それぞれの持ち味を生かした人選でした」 思い返せば、他人の持ち歌を歌う形式は『夜ヒット』のオープニングメドレーと同じだ。番組恒例の『トリビュートタイム』では、今年逝去した西城秀樹さんを特集。山内惠介が『情熱の嵐』、角川博と鳥羽一郎が『ギャランドゥ』、田原俊彦は後ろに映る西城さんの写真を見て「ヒデキさ~ん!」と呼び掛け、『薔薇の鎖』を熱唱。最後は五木ひろしを中心に全員で『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』を歌い、西城さんの歌が全部で10曲披露された。「こうして歌い継ぐことで、西城さんの功績を胸に刻むことができますし、地上波でもヒデキ特集をしたら間違いなく盛り上がると思います。この日に限らず、『人生、歌がある』の『トリビュートタイム』では故人の作詞家や作曲家の特集を度々している。亡くなってからも功績を称え、忘れさせないようにしている。とても大事なことです」 企画に加え、この番組では毎回、出演歌手がフルコーラスで歌う。この日は『私の代表曲』というテーマで、千昌夫『星影のワルツ』、橋幸夫『霧氷』、渡辺真知子『唇よ、熱く君を語れ』、細川たかし『北酒場』(コーラスに五木ひろし、角川博)、鳥羽一郎『兄弟船』、小林幸子『もしかして』、藤あや子『こころ酒』、香西かおり『無言坂』などが歌われた。5時間に渡る生放送の中で、ある歌手の振る舞いが素晴らしかったと岡野氏は振り返る。「角川博です。1976年のデビュー以来、紅白歌合戦に3度出場し、42年ものキャリアを持つ大御所なのに、自分の出番以外でも積極的に番組を盛り上げています。 他の歌手が歌っている時も、常に大きな声を出す。鳥羽一郎に対しても、間奏中に『鳥羽!!』と叫んでいました。細川たかしの『北酒場』では、五木ひろしとともに後ろに陣取り、軽快にステップを踏みながらコーラスを担う。 番組の最後、美空ひばりの『川の流れのように』を全員で歌唱した時、全員分のマイクがなく、角川の元には渡らなかった。それでも、大きく口を開け、カメラが近くに来れば、カメラ目線で美空ひばりの顔マネをしていた。 昨年、『トリビュートタイム』で郷ひろみ特集の際には、本人の目の前で『マイレディー』をモノマネで歌い続けた。昔からモノマネが得意な歌手として有名でしたが、純粋な歌番組で突然始めたので、度肝を抜かれました」 角川は、チームに1人必要なムードメーカーの役割を果たしている。「大御所になればなるほど、キャリアを重ねれば重ねるほど、どうしても構えてしまいがちです。その中で、角川博は実に貴重な存在です。ある意味、バラエティ番組での“ガヤ芸人”の役割を果たしており、私は角川博を『演歌界のフジモン』だと思っています」 大型歌番組の裏では他局も遠慮するのか、同じような歌番組を持ってこない。その中で、『人生、歌がある』は異彩を放っているようだ。
2018.12.07 16:00
NEWSポストセブン
細川たかし 演歌らしからぬ明るいイメージは亡き妻が作った
細川たかし 演歌らしからぬ明るいイメージは亡き妻が作った
 歌手・細川たかし(68才)の妻・和子さんが、11月中旬に亡くなっていたことがわかった。細川は、和子さんが亡くなったことを周囲には明かさず、11月25日にハワイのホノルルで開催された、ハワイ日系移民150周年を記念した「美空ひばり音楽祭 in ハワイ」に出演。帰国後にひっそり密葬を営んだという。 細川は北海道虻田郡真狩村の農家に7人きょうだいの末っ子として生まれた。地元の高校を中退、歌手を目指して札幌に出て、昼間は自動車整備工をしながら夜は、「タダでもいいから歌わせてほしい」と札幌の歓楽街・すすきので“流しの歌手”としてキャバレーを回った。やがて市内のいくつかのクラブを掛け持ちするようになり、会社を辞めてクラブ歌手に専念。和子夫人と出会ったのは、22才の時だった。「すすきののナイトクラブで働いていた和子さんに細川さんは一目惚れしたのです。和子さんが年下に興味がないことを知ると、年齢を偽って猛アタック。交際3か月で結婚し、すぐに子供ができました」(細川の知人) 当時、「札幌一の歌手」と評されていた細川に、「東京で演歌歌手デビュー」の話が舞い込んだのは1975年、彼が25才の時だった。「札幌では月に50万~60万円も稼ぐほどの売れっ子になっていました。子供も生まれたばかり。細川さんは“家族のためにも、このまま札幌で歌っている方がいいんじゃないか”と悩んだそうです。自分の夢とはいえ、上京はリスクがあると考え、躊躇していた。そんな彼の背中を押したのが和子さんでした。彼女の“1年やって芽が出なかったら、札幌に帰ってくればいい。私たちのことを気にせずに挑戦して”のひと言で踏ん切りがついたそうです」(当時を知る芸能関係者) しかし、結果はすぐに出た。デビュー曲『心のこり』が大ヒットし、レコード大賞最優秀新人賞を獲得。細川は翌年に妻子を東京に呼び寄せた。「当時、細川さんは“1年もたたないうちに東京で一緒に暮らせるようになるとは思わなかった”と話していました。でも、彼のサクセスストーリーの本番はこの後でした。和子さんが陰で細川さんを支え続けてきたからこそ、今の細川さんがあるのです」(前出・芸能関係者)◆妻が貫いた「細川第一主義」 中堅演歌歌手として確実にヒットを飛ばしていたが、1981年に番組の収録でアキレス腱を切断。2か月間の入院を余儀なくされ、仕事が激減した。しかし、そんなどん底の時に萩本欽一(77才)に声をかけられ、人気番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)にレギュラー出演。お茶の間の人気者になった。「それまでは演歌歌手のイメージといえば、着物か地味なスーツ姿でしたが、細川さんは和装も洋装も、明るい独特な服装で演歌歌手のイメージを一変させました。その衣装はほとんどが和子さんがコーディネートしたものでした。細川さんの私服はヴェルサーチやエルメスですが、それも和子さんのアドバイスだそう。細川さんが欽ちゃんの目に止まったのは、彼生来の明るい性格もありますが、和子さんが作った“イメージ”によるところも大きかったんじゃないかと思います」(スポーツ紙記者) 人気の広がりとともに、歌も爆発的なヒットを記録した。1982年に『北酒場』、1983年には『矢切の渡し』で2年連続で日本レコード大賞の大賞を獲得。1984年には『浪花節だよ人生は』で最優秀歌唱賞を受賞し、日本レコード大賞の主要“3冠”を達成した。 2005年、所属していた大手事務所から独立し、個人事務所を設立。事実上のトップとして事務所を切り盛りしたのは、やはり和子夫人だった。「彼女は細身の美人で、いつも黒い服を好んで着ていましたが、すごく華やかな女性でしたね。飲みっぷりがよくて、気っぷがよくて。ここぞという時には、相手がビビるくらいの迫力がありました」(別の音楽関係者) しかし、事務所のトップになっても、「細川第一主義」は変わらなかったという。「“あなたはそのままでいいのよ”とすべてを肯定して、細川さんが気持ちよく歌えるように気を配っていました。それを人前でも徹底していたのには、頭が下がりましたね」(前出・芸能関係者)※女性セブン2018年12月20日号
2018.12.06 07:00
女性セブン
細川たかしの妻が死去、彼女が見せたファンへの配慮
細川たかしの妻が死去、彼女が見せたファンへの配慮
 歌手・細川たかし(68才)の妻である和子さんが、亡くなっていたことがわかった。 その日も細川は、訪れた観客に満面の笑みで応対していた。11月25日にハワイのホノルルで開催された、ハワイ日系移民150周年を記念した「美空ひばり音楽祭inハワイ」。細川は『ひばりの佐渡情話』と『柔』を熱唱し、最後には共演のクリスタル・ケイ(32才)、市川由紀乃(42才)とともに『愛燦燦』を歌った。 68才にして衰えを知らないどころか、ますます磨きがかかる歌唱力。近年は、レイザーラモンRGのものまねがきっかけでバラエティー番組に引っ張りだこになり、9月には音楽番組で初MCに挑戦。NTTドコモのCMに出演するなど、目下再ブレーク中だ。 しかし、その活躍の陰で、細川が45年間連れ添った最愛の妻が、静かに息を引き取っていたことは知られていない。「実は11月中旬頃に、奥さんの和子さんが亡くなりました。たしか細川さんより1才年上で、細川さんのデビュー前から彼を支え続けてきた糟糠の妻。長い間闘病されていたようです。細川さんは周囲に何も伝えないままハワイのステージに立ち、帰国後にひっそりと密葬を営まれました」(音楽関係者) 細川は北海道虻田郡真狩村の農家に7人きょうだいの末っ子として生まれた。地元の高校を中退、歌手を目指して札幌に出て、昼間は自動車整備工をしながら夜は、「タダでもいいから歌わせてほしい」と札幌の歓楽街・すすきので“流しの歌手”としてキャバレーを回った。やがて市内のいくつかのクラブを掛け持ちするようになり、会社を辞めてクラブ歌手に専念。和子夫人と出会ったのは、22才の時だった。「すすきののナイトクラブで働いていた和子さんに細川さんは一目惚れしたのです。和子さんが年下に興味がないことを知ると、年齢を偽って猛アタック。交際3か月で結婚し、すぐに子供ができました」(細川の知人) 2005年、細川は所属していた大手事務所から独立し、個人事務所を設立。事実上のトップとして事務所を切り盛りしたのは、和子夫人だった。「彼女は細身の美人で、いつも黒い服を好んで着ていましたが、すごく華やかな女性でしたね。飲みっぷりがよくて、気っぷがよくて。ここぞという時には、相手がビビるくらいの迫力がありました」(別の音楽関係者) しかし、事務所のトップになっても、「細川第一主義」は変わらなかったという。「“あなたはそのままでいいのよ”とすべてを肯定して、細川さんが気持ちよく歌えるように気を配っていました。それを人前でも徹底していたのには、頭が下がりましたね」(芸能関係者) 1991年には“ふたりの故郷”である札幌に自宅と賃貸マンションを兼ねたビルを建設。ふたりとも郷里への思いが厚く、時間があれば北海道に戻る生活を続けていた。だが、今から7、8年前、和子夫人の体に異変が起きる。「体調を崩して、入退院を繰り返すようになったそうです。5年ほど前には東京の自宅を売却し、和子さんは札幌に戻って療養生活。自宅ビルには細川さんの親族も住んでいたので、親族総出で和子さんの闘病を見守っていたそうです。細川さんも仕事がない時は札幌に戻り、和子夫人と一緒に過ごしていました」(別の芸能関係者) だが、細川の願いも虚しく、和子夫人は帰らぬ人となった。その事実は東京の芸能関係者はもちろん、地元の知人にも知らされなかったという。「エレベーターの中がお線香のにおいがするな、と思った日が2、3日ほどあって…どなたかが亡くなったのかな、とは思っていました。でも、細川さんの親族のかたに聞いても教えてくれなかった。同じマンションの住民でさえ、奥様が亡くなられたことをまったく知らなかったんです」(細川のマンションの住民) 徹底した箝口令。それも和子夫人の思いに沿ったものだった。「“細川には仕事に私情を持ち込んでほしくない”というのが生前からの和子夫人の強い意思でした。特に11月下旬から年明けまでは、コンサートやディナーショー、テレビ出演など歌手にとって大事な“稼ぎ時”。自分の闘病や死が伝わることで、ファンがしんみりとした気持ちになったら申し訳ないと思っていたのでしょう。和子夫人はまさに“プロ中のプロ”でした」(前出・芸能関係者) そんな和子夫人への思いを胸に、細川は歌い続けている。※女性セブン2018年12月20日号
2018.12.05 16:00
女性セブン
元山口組大物組長の「自伝映画」撮影、公開に向け高まる緊張
元山口組大物組長の「自伝映画」撮影、公開に向け高まる緊張
 実在のヤクザを描く実録映画はかつて多く作られたが、暴力団排除の風潮のなか近年は鳴りを潜めていた。それが突如として「超大物」を題材とした映画化計画が浮上。現実の抗争にまで影響を及ぼしかねない危険を孕んでいるという──。 3つの山口組を名乗る団体が乱立する異常事態から1年半あまり、抗争収束に向かう気配は見えない。そんななか、3団体の関係者が一様に注目するのが、ある元大物組長の動向だ。「山口組の元最高幹部、後藤忠政元組長(76)をモデルとした映画の撮影が進んでいる。後藤元組長は2008年に引退してからほとんど表舞台に出ることはなく、とくに山口組が分裂して以降は沈黙を貫いてきた。映画がどんな内容になるのか、さまざまな噂が広がっています」(山口組関係者) 後藤氏率いる後藤組は、山一抗争(*)で敵対する一和会組長宅にダンプカーで突撃するなど武闘派組織として注目を集め、渡辺芳則・五代目体制では山口組の東京進出を主導、2002年には若頭補佐となり執行部入りを果たした。当時の後藤氏は、芸能界との交友などでも知られた存在だった。【*1984年、竹中正久組長が4代目を襲名したことに反対した反竹中派が「一和会」を結成。竹中組長は一和会に殺害され、山口組は報復に動いた。1989年の一和会解散までに双方で25人の死者を出した】 だが2008年、細川たかし、小林旭ら芸能人が後藤氏主催のゴルフコンペに参加していたことが『週刊新潮』の報道で発覚、NHKが参加者の番組出演を見合わせる社会問題に発展した。報道直後の定例会を病欠した後藤氏は、六代目山口組から除籍処分を受けた。フリーライターの鈴木智彦氏が解説する。「後藤元組長は、六代目体制でモノを言う人物でした。役職をかさに命令されても、納得できなければ反論し、行動する。その気概が周囲からも認められていたため除籍処分に抗議した13人の直系組長の連名談判状が出され、山口組を揺るがす騒動となりました。 除籍に抗議して処分を受けた組長のなかには分裂後に神戸山口組に移った者もいる。後藤元組長は神戸の井上邦雄組長とも親しいことから、分裂後、引退していたにもかかわらず神戸側に合流すると噂されました。実際には後藤元組長は一切動かず、表にも出てこなかった。だからこそ、映画制作の話は暴力団関係者に“なぜ、このタイミングに”という驚きを与えているのです」◆ロケ地の許可に難航 どんな内容なのか。映画に協力する関係者が語る。「撮影は8月から始まり、11月にはクランクアップ、年明け公開予定だそうです。監督は『パッチギ!』などを撮った井筒和幸氏。そして主演は、当世一番人気の音楽グループのメンバー。 制作費は4億円で、後藤元組長も全面協力しているようです。後藤元組長には20万部のベストセラーになった自伝『憚りながら』があるが、それが原作ではない。六代目側に配慮し、除籍騒動には触れず、彼が成り上がるまでを描く内容になっている。登場人物には実在のモデルがいますが、『仁義なき戦い』のように仮名にしている。撮影は東映のスタジオを借りているほか、群馬、岐阜でもロケが行なわれています」 ただし、映画公開までには障壁も多いという。「分裂抗争中の山口組にかかわり得ることですから、警察当局は過敏に反応し、ロケ地の許可はなかなか下りなかったようです。映画が完成しても、上映する映画館の見通しもついていない」(同前) スタジオを提供している東映に、配給も手がけるのかと聞いてみると、「弊社の配給ではない」(広報部)と説明した。井筒監督の所属事務所に聞くと、「現時点では何もお答えできません」と答えるのみだった。 映画公開に敏感なのは、後藤氏が所属していた六代目山口組だといわれる。「すでに六代目側のなかでは、『除籍になった人間が勝手に極道映画を作って許されるのか』『除籍問題に触れないとしても現執行部への批判めいた描写があるかもしれない』といった批判や懸念がある。実際に旧後藤組の関係者が後藤氏に『公開は勘弁してもらえませんか』と相談したが、聞き入れてもらえなかったそうです。もちろん後藤氏本人はトラブルの火種になることは望んでいないと言っています」(後藤氏の知人) 後藤氏はなぜ映画にこだわるのか。ジャーナリストの溝口敦氏はこう分析する。「田岡一雄・三代目組長の役を高倉健が演じた『山口組三代目』など、昔から映画の題材になることが大物組長のステータスでした。まして後藤元組長は映画との縁が深い。後藤元組長はもともと『北陸の帝王』と呼ばれた川内弘組長の子分でしたが、川内は自身をモデルとした映画『北陸代理戦争』の公開直後に殺されています。 また、ヤクザの民事介入暴力を描いた映画『ミンボーの女』の内容に怒った後藤組組員が伊丹十三監督を襲撃したこともあったし、引退直後には私費を投じて『BOX 袴田事件 命とは』という袴田事件に関する映画を作ってもいる。思い入れのある映画づくりを、除籍に追い込まれた自分の最後のやり残しだと考えているのではないか。後藤本人は、抗争に影響を与えるつもりはないはずです」 だが、抗争真っ只中の状況を考えれば、映画公開の波紋がどうなるのかは誰もわからない。「映画が来年公開なら、秋に出所予定の六代目山口組の高山清司若頭との因縁が思い浮かぶ。高山若頭は司組長の収監中に後藤除籍の処分を主導した。制作側が意図しなくても、暴力団界隈で2人の因縁が取り沙汰されるのは仕方ない」(同前) 公開が近づくにつれ緊張は高まる。※週刊ポスト2018年11月23日号
2018.11.12 16:00
週刊ポスト
『リアルカイジGP』 司会の加藤浩次は適役なのだが
『リアルカイジGP』 司会の加藤浩次は適役なのだが
 漫画家・福本伸行氏による『カイジ』シリーズといえば、主人公の伊藤開司が友人の保証人となり多額の負債を抱えたことをきっかけに、借金返済のため文字通り命を賭けた極限の勝負を繰り返す人気漫画だ。今では「カイジ」という単語が、命がけで一攫千金で人生をバラ色に好転させる、といった意味を連想させるほどだ。イラストレーターでコラムニストのヨシムラヒロム氏が、AbemaTVで4月に始まった賞金1億円『リアルカイジGP』のスケールの大きさについて考えた。 * * * 昨年末、TBSで人気漫画『カイジ』を原作とした異色のバラエティ特別番組『人生逆転バトル カイジ』が放送された。出場者が原作漫画を再現したギャンブルに挑戦し、話題を集めた。 番組演出は『水曜日のダウンタウン』で著名な藤井健太郎。原作と藤井の底意地が悪い演出方法の相性は抜群。『カイジ』独特の効果音「ざわ……」や独特の台詞回しも完璧に再現されていた。原作ファンも楽しめる番組に仕上がっていた。 今年1月、ネットニュースを見ていると驚くべきニュースが飛び込んできた。なんと! AbemaTVでも『カイジ』を原作とした番組を制作するとのこと。その名も『リアルカイジGP』。 TBS版『人生逆転バトル カイジ』の熱が冷めないなか、随分と強気な試みである。読み進めると更なる驚きが。賞金は業界過去最高金額の1億円。TBS版は200万円である、それに比べて50倍。強気な心持ちも理解できる賞金設定だ。この過剰さがTV新興勢力のAbemaTVらしくて良い。 4月の配信を指折り待つなか、事前番組もチェック。そのなかで、『リアルカイジGP』の司会者が極楽とんぼの加藤浩次だと知る。個人的には、これ以上はないナイスな人選だと思った。 番組のコンセプトは「1億円を手に入れて人生を大逆転」。 小樽出身の加藤、東京での1人暮らしは風呂なしアパートから始まった。それが今となっては高級住宅街の豪邸暮らし。策略とパワーゲームで支配される芸能界を勝ち抜き、全てを手に入れた勝者の生活を営む(実際に加藤は、芸能界自体がギャンブルみたいなものと考え、そこで運を使うのはもったいないからとパチンコをやめている)。大金を掴んだ方法はギャンブルとは異なるが、大金を手に入れて人生を大逆転したことには変わりはない。 ここで簡単な『リアルカイジGP』の説明をしたい。応募総数約3万5000人のなかから、勝ち残った1人が1億円を手に入れる。競技はROUND1からROUND3、そして決勝の4回戦で争われる。 4月15日に放送された初回では、台場で行われたROUND1の東京予選の模様が配信された。書類選考を勝ち上がった2000人が参加し、そのうち250人が勝ち抜けるシビアなシステム。絶対に負けられない戦いがそこにはあった。 番組冒頭、加藤が壇上に現れる。「お前達、1億円が欲しいか!?」と眼下に見る挑戦者に問う。 今となっては『SASUKE』でしか、目にすることない巨大なセットに囲われる2000人の挑戦者は一斉に「オー!」と叫ぶ。続けて、加藤は「人生逆転したいか!?」と煽る。挑戦は再び「オー!」と叫ぶ。しかし、コール&レスポンスなんか違う。この違和感なんだろう……、そして気づく「これはカイジのノリじゃないな」と。 原作『カイジ』は、主人公カイジが戦うギャンブルの元締めグループの人外的なエグさがベース。冷酷無慈悲で阿鼻叫喚の勝負が行われる。そんな殺伐すぎる世界観に映えるのが作者・福本伸行のユーモラスな台詞回し。殺伐とギャグが同居する、そのギャップが『カイジ』の魅力だ。TBS版はそれを完璧に再現していた。 しかし、Abema版はこの様相。まるで往年の『アメリカ横断ウルトラクイズ』。福留功男が叫ぶ「ニューヨークへ行きたいか~!!」を見ているような気分になった。見ているこっちがこはずかしくなる。1億円争奪バトルだけで十分番組が成立するのに、なぜ『カイジ』要素を加えたのか。そんなことを考えてしまう展開はまだ続く。 イベントのスケールの大きさとリッチさは、加藤では担保しきれない。そこで登場するのが、リッチでおなじみの叶姉妹。スミソニアン博物館で飾られるダイヤよりも大きいダイヤを見せつける恭子さん。美香さんの「姉なら1億円をすぐに使ってしまいます」というボケ。お約束のやりとりだがそれが良い。そして、叶姉妹が「カイジGPファビュラス!」と開会宣言。 続いて、加藤の口から明らかとなったのがROUND1のルール。会場には8つのステージが用意されている。1つのステージに1つのゲームがあり、それに挑戦者がチャンレンジ。成功すれば、勝ち抜け、失敗すると胸に貼った星が取られる(ゲームごとに取られる星の数は違う)。全3つの星がなくなった挑戦者は失格となる。 ただ、2000人がいる東京予選会場にステージは8つ。そもそも挑戦権を得ることが難しい。各ステージ前には我先にと挑戦者が集う。1億円をめぐるから騒ぎ、これは見ものだった。生々しい欲望が結集すると凄まじいエネルギーになる。この禍々しさだけは『カイジ』っぽい。 だが、その後がいただけなかった。挑戦するゲームが根性試しばかりなのだ。司会の加藤もゲームを「むちゃぶり」と表現する。 主な「むちゃぶり」を列ねると「眉毛を全剃り」「細川たかしと同じ髪型にする」(※演歌歌手の細川は特別ゲストとして立ち会った)、「落選するまで鉄仮面をかぶる」など。また、「その場で婚姻届けを出す」「パイプカット」なんてものも。原作の『カイジ』にも「むちゃぶり」に応える場面はあったが、それはあくまでも脇役。主役となるのは、知力で戦うギャンブル。頭を掻きむしりながら、やり合うヒリヒリとしたバトルが醍醐味なのに!『リアルカイジGP』で行われるのは、地上波での放送は難しいゲームばかりだ。しかし、過激さしかないとも言える。追い詰められた参加者たちが、ヒリヒリした雰囲気を漂わせつつ勝負に挑むスリリングな展開にはなかなかならず。テンションの高さは、まるで大人版『全国高等学校クイズ選手権』。原作漫画を上手に換骨奪胎できていない。 たとえば「5人1組 放水大縄跳び」というゲームでは、男5人組が放水されながら大縄跳びに挑んだ。そのなかで「家がない」と語るおじさんが水に耐えながら必死に飛ぶ姿を見て、僕は笑えなかった。勝負に敗れると人生を奪われる原作のエグさばかりが主張され、軽妙さには欠ける。ゆえに弱いものを笑うだけの構図に見えてしまった。『リアルカイジGP』は、現時点で2話分しか配信されていない。挑戦者が少なくなっていけば、知能戦も始まるのだろうか。番組を見るかぎり、「むちゃぶり」合戦が続きそうな気がするが……。僕としては挑戦者と加藤浩次がギャンブルで一騎打ちといった、原作同様の弱者が強者に挑む展開を見てみたい。 いかにせよ、このスケール感は民放ではなかなかお目にかかれないわけで。今後もチェックして損はない番組だとは思う。
2018.04.30 07:00
NEWSポストセブン
紅白辞退者も出たい『MステSP』等紅白以外の歌番組の魅力
紅白辞退者も出たい『MステSP』等紅白以外の歌番組の魅力
 年末年始に控える大型音楽番組は『紅白歌合戦』だけではない。12月22日に放送される『ミュージックステーションスーパーライブ2017』(テレビ朝日系)は4時間を超える生放送。2017年は史上最多の47組の出演者が一堂に会し、観客を前に生ライブで共演する。「制作費は2億円前後という大型番組です。紅白の出演を水面下で辞退したアーティストも『Mステ』には喜んで出ると業界で囁かれている。大勢の観客の前でパフォーマンスできるライブ感が、純粋に音楽を楽しめると評判」(音楽業界関係者) アーティストから絶大な人気を得る陰には司会のタモリ(72才)の存在もあるという。「タモリさんと共演できるなら、というアーティストも多いと聞きます。博識でアーティストの魅力を引き出してくれるタモリさんと共演することで、音楽だけでなくいろいろな面で影響を与えてもらえると感じているようです」(前出・音楽業界関係者)『第59回輝く!日本レコード大賞』(TBS系・12月30日放送)の賞レースの行方にも注目が集まっている。音楽評論家の富澤一誠氏はこう話す。「近年誰がとるの?というワクワク感がなくなっていたレコ大ですが、2017年は違う。秋元康氏がプロデュースするアイドルグループによる大賞争いは必見です。最有力候補はミリオンセラーを記録した乃木坂46の『インフルエンサー』でしょう。もしとれば先輩グループのAKB48を追い抜いたことになる。大注目です」 富澤氏が大晦日、本誌・女性セブン読者に紅白以上におすすめするというのがテレビ東京系『年忘れにっぽんの歌』だ。石川さゆり、坂本冬美、細川たかしなど、演歌界の超大物が勢揃い。しかも2017年は2013年の紅白卒業以来、年末特番出演を控えていた北島三郎が、久しぶりに“大晦日”に帰ってくる。「紅白に出ている歌手が誰だかわからないという世代にはぴったり。50回記念大会ということもあって3年ぶりにゴールデン枠に復活し6時間ぶっ続けで放送するという圧巻の内容です。高齢の視聴者を気遣って16時スタートというのもテレ東らしい(笑い)」(富澤氏)※女性セブン2018年1月1日号
2017.12.15 07:00
女性セブン
現代の演歌歌手「若き歌姫たち」インタビューまとめ
現代の演歌歌手「若き歌姫たち」インタビューまとめ
 近年、アイドル顔負けの美貌と歌唱力を兼ね備えた若き歌姫が次々と現れ、演歌界に変化が起きている。彼女たちのプロフィールと画像をまとめて紹介する。(2017年10月14日更新)民謡の歌声に惚れ込んだ細川たかしの秘蔵っ子︎杜このみ(28) 高校3年の時に出演したNHK『それいけ! 民謡うた祭り』のステージを観ていた地元・北海道出身の“演歌界の大御所”細川たかしがその歌声に惚れ込み、自らスカウト。「ストレス解消はカラオケです。コンサートが終わった後、カラオケボックスで夜中の3時まで“師匠”にレッスンしてもらうことも。でも、民謡の癖でコブシを回しすぎて叱られます(笑い)」 AKB48出身 歌唱力の高さに秋元康氏も注目︎岩佐美咲(22)「アイドルが演歌」という意外性以上に、プロデューサー・秋元康氏の目にとまったのがその歌唱力の高さだった。以来、アイドルと演歌歌手の二足のわらじを履き、昨年、約7年間所属したAKB48を卒業。「アイドルと演歌は別世界です。最初は戸惑うことばかりで、一人で歌うことに慣れてきたのはつい最近です」 アイドルグループから演歌歌手に転身︎丘みどり(33) 18歳の時にアイドルグループ「HOP CLUB」のメンバーとして芸能界デビュー。だが、演歌への夢断ち切れず、21歳で演歌歌手として再出発。「演歌歌手になりたての頃はヘソ出しルックやミニスカで歌っていましたが、今は着物。デビュー11年の昨年にはレコード会社を移籍して、心機一転全国を飛び回っています」 震災で疲弊した故郷を歌で笑顔にしたい︎津吹みゆ(21) 人を支える母の背中を見て介護福祉士に憧れたが、テレビの歌番組に出演したのをきっかけにスカウトされた。1年間、地元・福島から東京へレッスンに通い、高校卒業と同時に上京。「中学の卒業式の日に東日本大震災が起きて、自宅はなんとか無事でしたが周りは全壊や半壊した家もたくさんありました。演歌歌手の夢を叶えた私にできるのは、歌で人を幸せにすることだと覚悟して毎日を一生懸命生きています」
2017.10.14 16:00
NEWSポストセブン
細川たかしの弟子・演歌のエビちゃん
細川たかしの弟子・演歌のエビちゃん、杜このみが叱られる理由
 アイドル顔負けの美貌と歌唱力を兼ね備えた若き演歌の歌姫がいる。杜このみ(28)だ。 高校3年の時に出演したNHK『それいけ! 民謡うた祭り』のステージを観ていた地元・北海道出身の“演歌界の大御所”細川たかしがその歌声に惚れ込み、自らスカウト。道内の細川宅に通わせ、指導してきた。「小さい頃から民謡が大好きで、将来は民謡教室の先生になるつもりでした。進学のための受験勉強もしていたのですが、“師匠”の細川さんが何度も北海道に足を運んでくださり心を決めました」(杜) とかくアイドルばりのルックスに注目が集まるが、歌唱力は「2オクターブ以上の声域は見事」と細川も太鼓判を押す。「ストレス解消はカラオケです。コンサートが終わった後、カラオケボックスで夜中の3時まで“師匠”にレッスンしてもらうことも。でも、民謡の癖でコブシを回しすぎて叱られます(笑い)」●もり・このみ/1989年7月2日生まれ。北海道出身。4歳の時から民謡の難曲『江差追分』などを中心に習い始め、2013年『三味線わたり鳥』でデビュー。キュートなルックスで「演歌界のエビちゃん」といわれる。5枚目のシングル『残んの月』が発売中。■撮影/佐藤敏和、取材・文/小野雅彦※週刊ポスト2017年9月22日号
2017.09.12 16:00
週刊ポスト
“山口組芸能部長” 高倉健さん他スターとの華やかな交遊録
“山口組芸能部長” 高倉健さん他スターとの華やかな交遊録
 元ヤクザの男が、老人ホームでひっそりと息を引き取った。男はかつて、ヤクザと芸能界のパイプ役を務め、“山口組芸能部長”の異名を持つ超大物だった。とくに縁が深かったのが、3年前に亡くなった俳優、高倉健だった。その男が若くして亡くした息子の命日には、東京から岡山まで一人でわざわざ焼香に来てくれたのだという。ノンフィクション作家の森功氏がその人物と芸能界の関係性を辿る。(敬称略) * * * 山口組の芸能活動は古く、もとはといえば二代目組長の山口登時代にさかのぼる。本格的に力を入れ始めたのが、終戦の翌1946年、田岡一雄が三代目組長を襲名してからだ。田岡は戦後復興から高度経済成長期にかけ、港湾事業と芸能興行を組の収入源の二本柱に据えた。 そして田岡によって直参組長に引き上げられた大石誉夫(山口組初代大石組組長、8月9日に誤嚥性肺炎で死去)は、芸能興行とともに建設談合の世界でもその名を轟かせるようになる。それは日本の都市開発が、主要な港湾を中心に展開されてきたからにほかならない。 いわば日本社会が暴力団とともに成長し、芸能界だけでなく、政財界もまた暴力団ともたれ合ってきた時代である。しぜんそこでは、濃密な人間関係が垣間見られた。大石は芸能界だけでなく、政財界の多くの知己と交流を続けてきた。話を芸能界に戻す。 山口組をはじめとした暴力団社会と映画界の関係を知る生き字引がいる。かつて東映やくざ映画で一世を風靡した伝説のプロデューサー・俊藤浩滋の右腕だった川勝正昭だ。 俊藤は富司純子の実父であり、寺島しのぶの祖父にあたる。社長の岡田茂と二人三脚で東映の全盛時代を築いたのち独立。俊藤が設立した「オスカープロダクション」制作部長を務めた川勝は、こんな裏事情を明かしてくれた。「愛媛出身の大石さんは、岡山県で大石組を立ちあげてあそこまでになったけど、最初は金がなかったんです。そのしんどいとき、東映の俊藤さんが『金儲けしいや』言うて助けてやった。それが岡山市内で開いた『東映祭り』でした。そこに、健さんをはじめ、鶴(鶴田浩二)さんや若山の富(三郎)さん、文(菅原文太)さん、富司純子さんらを総動員した。体育館みたいなホールのステージに彼らをあげて歌わせると、会場はいつも鈴なりの満席。興行はいつも大成功でした」 芸能界では、この手のイベントを“花興行”と呼ぶのだそうで、興行の裏に暴力団組織がいると分かっていても、警察もさほどうるさくなかった。「花興行の大きなアガリは祝儀です。大石組が仕切っているのは皆わかっているから、地元や周辺の会社の経営者たちが100万円以上包んで持って行く。山ほど祝儀が集まりました。東映祭りは年に2~4回やっていたから、大石さんは羽振りがようなって、『一生忘れへん、(東映には)恩返しせんといかん』と口癖のように僕に言うてはりました」(川勝) 芸能活動を梃子にゼネコン業界に睨みを利かせてきた大石組は、その資金力を武器に、山口組最高幹部にまで昇りつめた。◆日大名誉教授に2000万円 ちなみに高倉健主演の『山口組三代目』(1973年公開)は、田岡の長男・満がプロデュースしている。実は、満の結婚を取り持ったのが東映の俊藤だ、と川勝がこう打ち明けてくれた。「満さんの相手は、俊藤さんが富司純子の後釜に据えようとした3人の女優のうちの一人。パチンコ屋の娘だった中村英子でした。満さんとの結婚披露宴は、それは盛大でしたで」 山口組で芸能部門を担ってきた大石は、俊藤とも親しく、映画にも貢献した。俊藤浩滋はのちに岡田茂や高倉健と袂を分かち、独立する。そこからの消息はあまり伝えられていないが、独立後は資金繰りに窮していたようだ。そこで頼ったのが、大石だったという。川勝が続けた。「(俊藤が)亡くなる1年ほど前(2000年頃)だったと思います。俊藤さんは大石さんに1000万円ほど借金したのです。それで亡くなったあと、香典がいっぱい集まったので、遺族が借金を返そうとした。純子さんと腹違いの妹や弟たちの間で、誰が返しに行くか、揉めとった。純子さんは責任感が強いし、大石さんのことも知っているので自分が行こうとしたらしいけど、妹たちが反対してね。妹たちが行ったらしいけど、結局、大石さんはそのカネを受け取ったかどうか、わからへんのです」 斯界の常識からすると、借金の返済は故人への香典として受け取らないものだという。昔のやくざ気質の強い大石は、とりわけ気風よく振舞ったし、全盛期の大石にはそれくらいのゆとりもあった。私自身、大石が行きつけの高級中華料理店で、ボーイに一人5万円ずつチップを渡している姿を見たこともある。大石は知り合いに借金を頼まれると言い値を貸し、さほど取り立てもしなかったという。 大石は2004年5月、田岡満の還暦祝いも取り仕切った。司会はアナウンサーの徳光和夫、八代亜紀や細川たかし、林与一や松方弘樹、アントニオ猪木や平尾昌晃、安岡力也、内田裕也など、およそ500人の席次表には錚々たる氏名が並んだ。おまけにそこには山口組舎弟頭補佐だった大石をはじめ、大阪・盛力会会長の盛力健児、一心会会長の川崎昌彦といった直参組長も加わっていたので、大阪府警が張り込んだ。「田岡満の還暦祝いは折しも、山口組が五代目から六代目体制に移行する過程でしたから、余計に警戒しました。若頭(ナンバーツー)の宅見勝の射殺事件が起きて以降、組織の混乱が続いていた。六代目体制になる前に五代目の重鎮たちが集まったという感じでしたね」(前出の元大阪府警刑事) 芸能界に精通する大石は先妻の死後、テレビ時代劇「暴れん坊将軍」に出演していた女優を後妻に迎えた。だが、そんな山口組最高幹部も、引退後は寂しい晩年を迎えた。知人が言う。「山口組の功労者として引退後も手厚く遇されるはずだったが、山口組の分裂でそれどころではなくなった。おまけにこれまで世話になった連中も、借金を踏み倒し始めた。それで裁判になるようになった」 山口組の分裂から間もない2015年11月、日大名誉教授が山口組元最高幹部から2000万円の借金をしていたことが発覚して話題になった。まさにそれが全盛期の大石がタニマチ感覚で融通したものだ。 享年84。かつて組織の屋台骨を支えた大物組長は、恒例の山口組葬もなく、家族だけに見送られ、人知れずこの世を去った。「ヤクザと芸能」の最後の生き証人だった。※週刊ポスト2017年9月1日号
2017.08.24 16:00
週刊ポスト
江本孟紀氏 ヤクルトもロッテも暗黒時代阪神より負け方酷い
江本孟紀氏 ヤクルトもロッテも暗黒時代阪神より負け方酷い
 セ・パ両リーグで最下位を独走するヤクルトとロッテ。もはや、高校球児たちにも勝てないのではと囁かれるほどで、今春のセンバツ覇者・大阪桐蔭や、惜しくも甲子園出場を逃した清宮幸太郞(3年)率いる早稲田実業といった強豪校との試合を想定して専門家に聞いてみた。 すると、野球評論家の広澤克実氏や江本孟紀氏らは「負けはしないだろうが」と前置きしつつ、練習姿勢や勝負弱さなどプロへの苦言が続出。そうなると大真面目に、「高校生が金属バット使用可、プロが外国人選手を出さないなら、いい勝負になるのでは」(スポーツ紙デスク)といった声さえあがる。元阪神の遠山奬志氏はこんな言い方をした。「そもそも、ロッテの外国人選手といって、名前が思い浮かぶ人のほうが少ないんじゃないですか。ソフトバンクならサファテ、日本ハムならレアードなど、野球ファンなら各球団の主力外国人選手の名前が浮かびますが、出てこないのは12球団のなかでデスパイネもナバーロもいなくなったロッテくらいではないか」 もはやハンデすら必要ないのかもしれない。その遠山氏は阪神時代、「地獄の15年(1987~2001年)」を経験している。「阪神ファンのヤジはそりゃあ凄かったですよ。モノは飛んでくるわ、ファンとケンカになるわで大変でした。確かに、“PLと入れ替え戦をやれ!”なんてヤジもありました」 当時は甲子園球場の外野にラッキーゾーンが設けられ、そこにブルペンがあった。控え投手が登場すると、「投げんでええ。お前が出たら負けるがな!」と厳しい“声援”も日常茶飯だったという。 対照的に、今季のヤクルトのファンから「清宮のほうが神宮に客を呼べるんじゃないのか!」といったヤジは聞こえてこない。 むしろ温かささえ感じられる。6月24日の横浜戦ではリーグ最速の40敗目となったが、敗色濃厚の9回二死、スタンドからは期せずして球団の応援歌「今ここから」の大合唱が始まった。 阪神で1985年の日本一を経験し、2004~2008年に監督を務めた岡田彰布氏はこういう。「今は、ファンもマスコミも優しいな。暗黒時代の阪神では、札幌遠征で負けが続くとスポーツ紙が当時の細川たかしのヒット曲になぞらえて“北墓場”と茶化しよって、それを読んだファンが球場でヤジる。ホンマにきつかった」 ただ、「高校球児に負けるんじゃないかという罵声が刺激になって、何くそと頑張れましたよ」(遠山氏)という側面も見逃せない。むしろ、ヤクルト、ロッテのファンは、球場で心を鬼にしたヤジを飛ばすべきではないのか。江本氏はこう断言する。「今のヤクルトもロッテも暗黒時代の阪神より負け方が酷いですよ。さすがに弱い時のタイガースも、ここまでの連敗はしていませんでしたからね。いっそ本当に早実と対戦して、清宮君にホームランを打たれる方が、目が覚めるんじゃないでしょうか」 夏の甲子園は8月7日に開幕する。負けたらもう二度と同じチームで戦えないという張り詰めた空気。弱小プロ球団の選手たちにはどう映るだろうか。※週刊ポスト2017年8月11日号
2017.08.03 07:00
週刊ポスト

トピックス

ご体調への不安が募る(写真/JMPA)
雅子さまと愛子さま、“ポツンと一軒家”の孤独感 閉ざされた御所での巣ごもり生活
女性セブン
SNSでも話題の「佐賀大学お嬢様部」に直撃
佐賀大学“お嬢様部”の活動実態を直撃取材!「お嬢様の定義をお教えしますわ」
週刊ポスト
1980年、田中派の総会で挨拶をする田中角栄(写真/共同通信社)
鉄の結束を誇った田中角栄軍団、「みんな田中ファン」指導力に心酔した議員や秘書たち
週刊ポスト
今は「芸人部署」に所属している久代萌美アナ
久代萌美、亀井京子アナも 女子アナ獲得の吉本、テレ東のエースアナにも注目
NEWSポストセブン
公務に邁進されている(6月、東京・港区)
佳子さま「公務に積極的」になられた背景に「皇籍離脱」「結婚」か
女性セブン
亜希
亜希 陰から見守る元夫・清原和博と息子達との「父子鷹」
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
披露宴での志摩ノ海と元関脇・逆鉾の長女・清香さん(時事通信フォト)
故・逆鉾の長女が結婚で後継者確定も名門・井筒部屋再興への“高いハードル”
週刊ポスト
クルマ、ギター、アート、スケートボードにもこだわる
長瀬智也、英国のバイク誌に登場 悠々自適な暮らしに「所ジョージ化している」の声
女性セブン
京都の街を歩く舞妓のイメージ(写真/イメージマート)
元舞妓の〈16歳飲酒〉〈お風呂入り〉告発に、花街関係者も衝撃「未成年飲酒には厳しく対応しているはず」
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン
不祥事を理由に落選したはずなのに、比例で復活されては…(左は塚田一郎氏、右は中川郁子氏/写真=共同通信社)
「不倫路チュー」「USBは穴に…」失言・不祥事で落選しても比例復活するゾンビ議員たち
週刊ポスト