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2018.12.06 07:00  女性セブン

細川たかし 演歌らしからぬ明るいイメージは亡き妻が作った

活躍の陰に亡き妻に支えがあった

 歌手・細川たかし(68才)の妻・和子さんが、11月中旬に亡くなっていたことがわかった。細川は、和子さんが亡くなったことを周囲には明かさず、11月25日にハワイのホノルルで開催された、ハワイ日系移民150周年を記念した「美空ひばり音楽祭 in ハワイ」に出演。帰国後にひっそり密葬を営んだという。

 細川は北海道虻田郡真狩村の農家に7人きょうだいの末っ子として生まれた。地元の高校を中退、歌手を目指して札幌に出て、昼間は自動車整備工をしながら夜は、「タダでもいいから歌わせてほしい」と札幌の歓楽街・すすきので“流しの歌手”としてキャバレーを回った。やがて市内のいくつかのクラブを掛け持ちするようになり、会社を辞めてクラブ歌手に専念。和子夫人と出会ったのは、22才の時だった。

「すすきののナイトクラブで働いていた和子さんに細川さんは一目惚れしたのです。和子さんが年下に興味がないことを知ると、年齢を偽って猛アタック。交際3か月で結婚し、すぐに子供ができました」(細川の知人)

 当時、「札幌一の歌手」と評されていた細川に、「東京で演歌歌手デビュー」の話が舞い込んだのは1975年、彼が25才の時だった。

「札幌では月に50万~60万円も稼ぐほどの売れっ子になっていました。子供も生まれたばかり。細川さんは“家族のためにも、このまま札幌で歌っている方がいいんじゃないか”と悩んだそうです。自分の夢とはいえ、上京はリスクがあると考え、躊躇していた。そんな彼の背中を押したのが和子さんでした。彼女の“1年やって芽が出なかったら、札幌に帰ってくればいい。私たちのことを気にせずに挑戦して”のひと言で踏ん切りがついたそうです」(当時を知る芸能関係者)

 しかし、結果はすぐに出た。デビュー曲『心のこり』が大ヒットし、レコード大賞最優秀新人賞を獲得。細川は翌年に妻子を東京に呼び寄せた。

「当時、細川さんは“1年もたたないうちに東京で一緒に暮らせるようになるとは思わなかった”と話していました。でも、彼のサクセスストーリーの本番はこの後でした。和子さんが陰で細川さんを支え続けてきたからこそ、今の細川さんがあるのです」(前出・芸能関係者)

◆妻が貫いた「細川第一主義」

 中堅演歌歌手として確実にヒットを飛ばしていたが、1981年に番組の収録でアキレス腱を切断。2か月間の入院を余儀なくされ、仕事が激減した。しかし、そんなどん底の時に萩本欽一(77才)に声をかけられ、人気番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)にレギュラー出演。お茶の間の人気者になった。

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