内田裕也一覧

【内田裕也】に関するニュースを集めたページです。

6月はジューンブライド 昭和、平成、令和のビッグカップルの結婚式
6月はジューンブライド 昭和、平成、令和のビッグカップルの結婚式
 6月に入り、ジューンブライドを逃すまいと結婚式を挙げるかたも多いのではないでしょうか。過去を振り返ってみると芸能界でも豪華絢爛で盛大な結婚式が開かれてきました。『女性セブン』が過去におさめてきた歴史に残る結婚式の数々を懐かしみながら、幸せを分けてもらいましょう。●神田正輝(71) 松田聖子(60)1985年 郷ひろみと婚約寸前で破局となった彼女が選んだのは11才年上の共演俳優。郷との破局から5か月での結婚は、“聖輝の結婚”と騒がれた。●三浦友和(70) 山口百恵(63)1980年「この人の妻と呼ばれることに喜びと誇りを感じます」と潔く引退を決意した百恵さん。“ゴールデンコンビ”と呼ばれたふたりの結婚を日本中が祝福。●故・内田裕也さん(享年79) 故・樹木希林さん(享年75)1973年 当時、悠木千帆の名前で活動していた彼女は、結婚後に改名して「樹木希林」という名前に。ペアルックで臨んだ仏前挙式では手には数珠を提げて臨んだ。●故・朝丘雪路さん(享年82) 故・津川雅彦さん(享年78)1973年 不倫の恋と呼ばれたふたりは、何度も結婚の噂が出るたびに、否定をしてきたが結婚。晩年は、朝丘が2018年に亡くなると、その4か月後に津川も後を追うようにこの世を去った。●吉永小百合(77) 岡田太郎さん 1973年 人気絶頂の吉永が15才年上のフジテレビディレクター(当時)と入籍したことでサユリストの間では騒動に。この結婚に関して彼女の両親は頑なに結婚を認めなかった。●桑田佳祐(66) 原由子(65)1982年 大学時代からの音楽仲間とプロになりそのまま結婚。ファン2000人を招待するという異例の式となり、会場は関係者を含めて2300人でごったがえした。●布袋寅泰(60) 今井美樹(59)1999年 ハワイで挙式後、東京・青山のウエディング会場で披露宴。「これからもよろしく!と笑顔で申し上げる次第でございます」とコメント。●五木ひろし(74) 和由布子(63)1989年 昭和天皇のご病気で延期したが、7か月後無事に挙式。着物モデルの仕事で知り合い、7年後の再会で恋に落ちた。●小室哲哉(63) KEIKO(49)2002年 招待客は700人、ウエディングケーキは2m、総額5億円のド派手式は小室にとっては再々婚。テレビ中継され、視聴率は15.5%を記録した。●郷ひろみ(66) 大根田名美さん 2000年「23時間55分は郷ひろみだけど、5分間は原武裕美」、「原武裕美は結婚しても、郷ひろみは結婚しない」との名言を残し、ニューヨークのアルマーニブティックの店員だった彼女と結婚。●小栗旬(39) 山田優(37)2012年 ドラマの共演をきっかけに急接近したふたり、結婚報告会見で山田が、何卒を“なにそつ”と読み間違えたことが話題となった。そして、今年結婚10周年を迎えた。●リン・チーリン(47) EXILE AKIRA(40)2019年 台湾の国民的女優との結婚は、現地では“格差婚”として報道された。彼女は、今年1月31日47才で第1子を出産し、ママの顔も持つこととなった。●DAIGO(44) 北川景子(35)2016年 北川が“1”が好きという理由で1月11日11時11分に入籍。結婚発表会見ではプロポーズの言葉について「“KSK”。(K=)結婚(S=)して(K=)ください」とDAI語だったことが明かされた。●杏(36) 東出昌大(34)2015年 NHKの連続テレビ小説『ごちそうさん』での共演をきっかけに結婚したが、東出の“匂わせ不倫”が発覚し離婚。代償の大きすぎる不倫として話題となった。●ソン・イェジン(40) ヒョンビン(39)2022年 大ヒットドラマ『愛の不時着』で恋人役を演じた後は、何度も交際報道を否定してきたふたりだが、2月に電撃結婚。世界中から祝福の声が寄せられた。●藤原紀香(50) 片岡愛之助(50)2016年 世界遺産の京都・上賀茂神社で挙式。出会いのきっかけは、藤原が主演していたミュージカルを片岡が見に行ったことから交際に発展した。写真/女性セブン写真部※女性セブン2022年6月16日号
2022.06.04 16:00
女性セブン
佐々木希と杏は多数派、不倫された妻8割が関係再構築を希望
佐々木希と杏は多数派、不倫された妻8割が関係再構築を希望
 報道から約3週間が過ぎても、ワイドショーをつければ渡部建(47才)の顔を見ない日はない。「もう顔も見たくない」と、多くの女性が不快感をあらわにしている。 15才年下の妻・佐々木希(32才)に子育てを押しつけ、複数の女性と“多目的トイレ不倫”にいそしんでいた渡部。挙げ句の果てに「妻と知り合ってから安全な遊び方を知り、抜け出せなくなってしまった。彼女たちに対しては気持ちのないまま接していたし、いまでも妻を愛している」と、ぬけぬけと言ってのけた。 今年1月には、妻・杏(34才)の妊娠期間も含め、約3年間にわたって唐田えりか(22才)と関係を持っていた東出昌大(32才)の不倫も記憶に新しい。タイプは異なれど、いずれも呆れた夫であることに変わりはない。 不倫発覚が“終わりの始まり”――ドラマや映画ではお決まりの展開だが、現実はそう単純にはいかないようで、夫から最悪の仕打ちを受けたはずの佐々木希と杏は、まだ結婚生活の解消には至っていない。仕事にもお金にも、そして新しいパートナーにも困りそうにない妻たちが、なぜ夫を捨てないのだろうか。◆裏切られても愛している「事実、夫に不倫された人の8割が、最終的には夫婦関係の再構築を希望します。理由は人それぞれですが、たとえば、佐々木さんの場合は、まだ渡部さんを尊敬する気持ちや愛情が残っているのではないでしょうか」 そう語るのは、これまで26万件以上の不倫調査を手がけてきた探偵事務所MRの代表・岡田真弓さんだ。 佐々木は渡部の不倫相手を電話で直接叱責したとされている。岡田さんによれば、それも夫への愛ゆえだ。「当事務所に相談に来る人の半数が、“夫を責めたい”でも“有利に離婚したい”でもなく、“真実を知り、夫をたぶらかした相手の女にひと言言ってやりたい”と言います。夫はあくまでも“悪い女にたぶらかされた被害者”で、相手女性を責めるための証拠を欲している妻が多いのです」 佐々木の電話も、相手の女性の“ひどさ”を知るためのものだったのだろうか。 夫婦問題研究家の岡野あつこさんも「結局、佐々木さんはまだ渡部さんのことが好きなのでしょう」と話す。「不倫は麻薬と同じ。麻薬中毒者を更生させられるのは家族の愛しかないのと同じように、夫の不倫癖をやめさせられるのは妻だけです。以前、峰竜太さんも浮気が発覚して奥さんに叱られたことがありましたが、そうした“かかあ天下”な夫婦になれば、佐々木さん・渡部さん夫婦も、今後は幸せにやっていけるのではないでしょうか」 ただし、夫を許すにしても、妻が主導権を握らなくては悪癖は直らない。 妊娠中にファッションデザイナーの夫(40才)の不倫が発覚した安田美沙子(38才)は、当初こそ夫の携帯をチェックしたり、「絶対に離婚する」と息巻いていたが、結局は「いまの私には彼のいない人生は考えられません」と、元の鞘に収まった。 2020年3月、懲りずに夫が2度目の不倫をしたときには、「お騒がせして申し訳ありません。この件は、もう何年も前に夫婦で解決しました。私には主人が必要ですし、何よりも子供たちのパパには、彼しかいないと思っております」と、世間に対して騒動を詫びてもいる。夫の手綱を握れない“べた惚れ妻”といえるのかもしれないが、これもひとつの腹のくくり方だろう。 北海道の看護師・松川一子さん(31才・仮名)は、結婚後わずか2か月で夫の不倫に気がついた。「当時、私は妊娠中でした。しかも相手の女性とは結婚前から続いていたようで、怒りで体が震えました。夫を問い詰め、預金通帳を取り上げ、押印欄だけを空欄にした離婚届を用意して、“次、不倫したら、すべての財産を妻に渡して離婚する”という誓約書を書かせました。いまは夫婦関係は円満です」 うまく乗り越えられれば、夫婦関係は以前よりもよくなることが多いのかもしれない。 元衆議院議員の金子恵美(42才)も、2016年、第1子の出産直後に夫の宮崎謙介(39才)の不倫を知ったが、「脇の甘いヤツ。どうしてもっとうまくやれなかったの」と一喝したのみという。「離婚すれば女性票を集められる」という周囲の声も無視して、「生まれたばかりの息子から父親を奪う権利はない」と、夫を許した。その結果、夫は議員辞職、妻は落選と、夫婦で職を追われるが、現在は夫婦そろってバラエティー番組で当時のことをネタにするほどだ。“女遊びは芸の肥やし、妻はそれを許すもの”とされていた昭和の芸能界。「不倫を許す妻」は、時代をさかのぼるほどに多い。 勝新太郎さん(享年65)の妻、中村玉緒(80才)は、夫の不倫疑惑についてマスコミからコメントを求められても、「数が多すぎて、やきもちをやいているひまがなくて」と語る。勝さんの愛人だった芸妓に、宿泊していたホテルの部屋に入られ、毛皮のコートや着物をはさみで切り刻まれたことさえあるという。それでも、勝さんが亡くなってからは「もしいま会えたら、話がしたいというより、抱きつきたい」と話す。やはり愛が勝っていたのだ。 絶対に離婚しなかった妻といえば、樹木希林さん(享年75)だ。夫・内田裕也さん(享年79)のマネジャー・Aさんが愛人ではないかと世間で騒がれた際も、「夫をよろしくね」とAさんに通告。「仮にそういう関係だったとしても」と前置きしたうえで、さまざまな面で夫をフォローするマネジャーには「感謝の気持ちしかない」と、不変の愛を見せつけた。※女性セブン2020年7月16日号
2020.07.05 07:00
女性セブン
私財を投じてまで浅田主演の映画を作ろうとしていた樹木さん
樹木希林さんの愛蔵書100冊 名編集者の手で一冊に
 新型コロナウイルスは「見えない不安」の蔓延に加え、マスクなどの買い占め、ネットでのデマの流布など、人々の体だけでなく心も蝕んでいる。こんなとき、強くたくましく生きたあの女性ならどう行動しただろうか…。 2018年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)は大の読書家として知られていた。しかし、自宅の書斎に遺されていたのは100冊だけ。樹木さんには、100冊以上の本は持たないというマイルールがあったのだ。もしも、手元に置いておきたい新たに本が見つかったら、100冊の中から1冊を誰かにプレゼントしたというのだ。 そんな100冊の中でも、長きにわたって所有し続けていたうちの1冊とはどんな本なのだろうか。◆『梅原猛の授業 仏教』梅原猛 鈴木大拙、西田幾多郎の影響を受け、鈴木のことを「近代日本最大の仏教学者」と評した梅原の著書『梅原猛の授業 仏教』(朝日新聞社)は中学生向けの授業を一冊にまとめたもので、若い世代から大人まで幅広い世代に理解できる内容になっている。樹木さんは2002年に購入して以来、所持し続けていたという。 そして本の中にあった『生老病死』という4文字の言葉を雑記帳に書き留めていた。『生老病死』とは生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみを表す言葉。樹木さんと40年以上にわたって親交がある椎根和さん(しいね・やまと 78才)は、こう話す「がんを宣告されてから、自分の終末をどう迎えるかという問題を考え続けていたのだと思います。自宅で家族に囲まれて死に様を見せながらの最期も考え抜いた上だったのでしょう」 100冊の中には長女の也哉子、内田裕也の著書もしっかり選ばれていた。書評の切り抜きも挟み込まれていたという。詩集、インタビュー集、自費出版の刊行物もあった。1970年代のベストセラー、吉野せい『洟をたらした神』の一説、《なげくな たかぶるな ふそくがたりするな なまなましいくりごとは、唇を縫いつけて恥いっぱいでかき消そう》 も雑記帳に書き留められていた。椎根さんは今回、樹木さんの遺した100冊と彼女とのエピソードを『希林のコトダマ』(芸術新聞社)にまとめた。『週刊平凡』や『POPEYE』の編集長を歴任し、名編集者として知られる椎根さん独自の視点もあり、話題の一冊となっている。「希林さんがいなくなって1年7か月、いまでもふと都心から離れたわが家に遊びにくるような気がします。 ただ、希林さんが読んでいた本を手に取ると、彼女の名言と同じくらい、それ以上に思いが伝わるような気がします。ウイルス感染で、閉塞感の中、それでも大きく変わっていかなければならないいま、希林さんの手元に遺されていた一冊一冊から、希林さんが感じ取ったコトダマを、ゆっくり受け止めることは私たちにとって、大きな癒しになるでしょう」(椎根さん) 樹木さんならどう向き合っただろうか。いま、樹木さんの言葉を聞きたい。※女性セブン2020年5月7・14日号
2020.05.02 07:00
女性セブン
希林さんの思いとは
読書家・樹木希林さん「本は100冊しか持たない」ルールの理由
 コンクリート打ちっぱなしの壁をランプの灯りがやわらかく照らす。デスクには便せんと万年筆が、手入れが行き届いたチェアには毛皮のコートがいまも掛けられたままだ。振り向くとすぐ手の届く位置に腰高のそのチェストがあり、本の背表紙が規則性なく並んでいる。生前は引き戸が閉められ、そこに本が収められていることを知る人はほとんどいなかったという。 書斎はいまも樹木希林さん(享年75)の空気をまとったままだ。言葉にこだわりを持ち、言葉の力を信じていた樹木さんは大の読書家でも知られた。しかし、自宅に遺されていたのは、100冊だけだったという。 本や雑誌は気づけばたまっていく。読書家の中には一部屋まるごと本棚という人も少なくない。樹木さんと40年以上にわたって親交がある椎根和さん(しいね・やまと 78才)と典子さん(75才)夫妻はふとたずねたことがあるという。「十数年前、希林さんの自宅に遊びに行ったときですね。和風と洋風の部屋、2つも書斎があるのに書棚が見当たらない。大の読書家なのにどうしているのかと不思議だったんです」(椎根さん) すると樹木さんは「長年守っているのだけれどね」と1つのルールを打ち明けた。「100冊以上は家に置かないの。新しく気に入った本、手元に置きたくなった1冊ができたら、100冊のなかの1冊を人にあげてしまうの。だから、いつも100冊」 本だけではない。樹木さんは自宅に余計なものを置かなかった。椎根さんが続ける。「しかも、生前、希林さんはこれまで誰にもこの本棚のことを教えたことも、見せたこともなかったそうです。その100冊を借り受け、夢中で読みました。 引かれた赤線の一本一本、挟まったままの手紙や写真、余白の走り書きに彼女の息づかいを感じさせられた。繰り返し読んだのか水分を吸ったようにふくらんでいるものもありました」(椎根和さん・以下同) 樹木さんが遺した100冊──その中には飄々と淡々とした存在でいながら「自分らしく」「それなりに」軸のぶれない生き方を貫いた樹木さんからのヒントが見え隠れする。そんな椎根さんは、樹木さんの遺した100冊と彼女とのエピソードを『希林のコトダマ』(芸術新聞社)にまとめた。そこには、夫・内田裕也や娘の内田也哉子らの本も含め、厳選した100冊が紹介されている。※女性セブン2020年5月7・14日号
2020.04.27 07:00
女性セブン
希林さんの思いとは
樹木希林さんが遺した2/100冊、ジブリ鈴木敏夫氏の著作ほか
 新型コロナウイルスは「見えない不安」の蔓延に加え、マスクなどの買い占め、ネットでのデマの流布など、人々の体だけでなく心も蝕んでいる。こんなとき、強くたくましく生きた樹木希林さんならどう行動しただろうか。樹木希林さんの考えの「源泉」ともいえる、愛読書を紐解く。 2018年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)。言葉にこだわりを持ち、言葉の力を信じていた樹木さんは大の読書家でも知られた。しかし、自宅に遺されていたのは、100冊だけだった。樹木さんは100冊以上の本を手元に置くことはなかった。持っておきたい本ができたら、100冊の中から1冊を誰かにプレゼントしたというのだ。 書斎に遺した最後の100冊にはどんな本があったのだろうか、そのうちの2冊を紹介する。◆『長谷川四郎の自由時間』長谷川四郎著 長谷川四郎(1909-1987)は戦争文学の傑作ともいわれる『鶴』で知られる。大岡昇平、中島敦、太宰治、松本清張と同年生まれだ。若い世代に浸透した一因に村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』(文藝春秋)で紹介されたこともあったかもしれない。 樹木さんと40年以上にわたって親交があり、『希林のコトダマ』(芸術新聞社)の著書がある椎根和さん(78才)は、いちばん長い間、樹木さんの書棚に鎮座していたのは長谷川の本ではないかと言う。実際、遺された100冊のうち、エッセイ集『長谷川四郎の自由時間』(土曜美術社)をはじめ6冊が長谷川四郎の著書だった。「『悠木千帆様』(樹木さんの最初の芸名)と直筆のサインが入ったものもあり、交遊があったようです。小説だけでなく、戯曲を書いたり、絵を描いたり、戦争にも芸術にも精通していた長谷川作品への思いは強かったのではないでしょうか。18才で文学座一期生に合格し、演劇の道を歩み始めた希林さんが、いちばん愛読、信頼していた文学者だったのだと思います」(椎根さん) 長谷川四郎全集(第7巻)の一冊には樹木さんとの対談が所収されている。ちょうど長女の也哉子を妊娠中のことで、「男が存在感なんてのを持つためには、なんてったって頑張らなくっちゃいけないんです。ひらき直りなんてのは女にまかせて、がんじがらめの世の中で苦しんで、女にすがりついて、酒におぼれて、すべてに気をつかい、死ぬまで頑張るから悲しいし、存在できるんだと思います。長谷川さんはきっとそんな男だと思います」(樹木さん) そう長谷川を評していた。◆『禅とジブリ』鈴木敏夫著 何十年の間も入れ替わらずあった古典の一方、亡くなる直前に本棚に加わったのは、そのとき発売したばかりの鈴木敏夫の『禅とジブリ』(淡交社)だった。スタジオジブリのプロデューサー・鈴木氏が玄侑宗久氏をはじめ3人の禅僧とざっくばらんに対話し、「やわらかく、やさしく、強く」この時代を生きるための禅問答が収められた一冊だ。 樹木さんは鈴木氏とも親交があった。過去にラジオで対談。テーマは夫婦についてで、「離婚する夫婦は向き合いすぎている」など踏み込んだ内容は話題を呼んだ。「この本の中に『壺中日月長』という禅の言葉が紹介されています。意味は壺中に入ると天国のようないい気持ちになるという心境のこと。 希林さんが亡くなった2018年は『モリのいる場所』『万引き家族』『日日是好日』などの映画に、ドキュメンタリー『転がる魂 内田裕也』のナレーション、映画『エリカ38』のプロデューサーを務めるなど、仕事好きのレベルでは考えられない仕事量をこなしていました。最期の年は、この境地だったのかもしれません」(樹木さん)※女性セブン2020年5月7・14日号
2020.04.25 07:00
女性セブン
【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々
【追悼2019】金田正一さんや内田裕也さんら歴史を刻んだ人々
 令和という新たな時代の始まりとなった2019年。今年も多くの人が永遠の眠りについた。政治家、スポーツ選手、ミュージシャンなど、多くの人の記憶に残る人たちだった。(男性編)■中曽根康弘(元首相、享年101) 1947年、衆院議員に初当選。1982年、第71代内閣総理大臣に就任。在職中に国鉄、電電公社、専売公社を民営化。1997年、大勲位菊花大綬章を受章。11月29日死去。■金田正一(元プロ野球選手、享年86) カネやんの愛称で親しまれた前人未踏の400勝投手。1951年から14年連続20勝を記録。1955年には来日したヤンキースのミッキー・マントルから3三振を奪う快投。1965年に巨人に移籍、1969年通算400勝を達成し引退。1974年にはロッテ監督で日本一に。10月6日死去。■萩原健一(歌手・俳優、享年68) ザ・テンプターズのボーカルとしてGSブームを牽引。ドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』で俳優としても人気に。3月26日消化管間質腫瘍により永眠。■内田裕也(ロック歌手・俳優、享年79) 1966年のビートルズ来日公演では特別編成のバンドで前座を務め、「ザ・タイガース」生みの親だった。昨年9月15日に没した妻・樹木希林を追うように3月17日肺炎で永眠。■堺屋太一(作家、享年83) 1976年、小説『団塊の世代』がベストセラーに。1998年から約2年間、小渕恵三内閣で民間人閣僚として経済企画庁長官を務めた。2月8日多臓器不全で死去。■ケーシー高峰(漫談家、享年85) 日本大学医学部に入学するも、芸能活動の夢捨てがたく芸術学部に転部。1960年代後半から下ネタを取り入れたお色気医事漫談で人気に。4月8日肺気腫で没した。■高島忠夫(俳優・司会者、享年88) 日本一の仲良し芸能一家の大黒柱が静かに旅立った。『ごちそうさま』『クイズ・ドレミファドン!』『アメリカ横断ウルトラクイズ』などで司会を務め、「イェーイ」の決め台詞でお茶の間を盛り上げた。晩年は闘病生活が長く続き、6月26日老衰で永眠。■和田誠(イラストレーター・ 映画監督、享年83) たばこ「ハイライト」のデザインで一躍人気イラストレーターに。その後監督した映画『麻雀放浪記』『快盗ルビイ』が大ヒット。妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。10月7日肺炎で死去。■安部譲二(作家、享年82) 名門麻布に入学、英国留学、暴力団組員、JAL客室乗務員などを経て、1986年刑務所での実体験を描いた小説『塀の中の懲りない面々』がベストセラーに。9月2日急性肺炎で死去。■竹村健一(評論家、享年89) パイプを片手に鋭い視点で世相を斬り、「デリーシャス」などの流行語も生んだ。口癖は「だいたいやねぇ」。著書は数百冊にのぼる。7月8日多臓器不全で死去。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.14 07:00
週刊ポスト
芸能界の薬物事件、転機は酒井法子&押尾学逮捕の2009年
芸能界の薬物事件、転機は酒井法子&押尾学逮捕の2009年
 有名人による薬物事件が絶えない昨今。2019年は3月にピエール瀧、5月に元KAT-TUNの田口淳之介と小嶺麗奈、11月にスノーボード選手の國母和宏、沢尻エリカが逮捕されている。 芸能人と違法薬物の関係を振り返る上で、今から40年以上前の1977年ほど重要な年はない。 その1年間は圧倒的に芸能界と薬物報道一色であった。歌手の井上陽水の大麻事件に始まり、内田裕也、研ナオコ、錦野旦、美川憲一と、有名芸能人が続々と麻薬事件で逮捕され、関係者を含めた60人以上が摘発されたのである。当時の芸能マスコミは、売人から流出したとされる「大麻顧客芸能人150人リスト」の存在を指摘した。 1990年には映画『座頭市』で知られる国民的俳優の勝新太郎がハワイ・ホノルル国際空港で大麻とコカインを所持していたとして逮捕されて衝撃を与えた。1995年には長渕剛が大麻所持で捕まり、捜査の過程で国生さゆりと不倫関係にあったことが取りざたされた。 この事件を取材した当時の新聞記事では、若者が海外でコカインを味わい薬物を常用するようになっていることや、一部のタレントが特権意識やファッション感覚から薬物を使用しているとされた。この現状は今も変わっていない。 芸能界と薬物を巡るターニングポイントはやはり2009年で、酒井法子の事件と押尾学の事件が相次いで発生した。押尾の場合、一緒に薬物をやっていたクラブホステスが亡くなるという最悪の事態を起こす。 同じ年、沢尻にも転機が訪れていた。当時の所属事務所が自発的に薬物検査を行い、違法薬物の陽性反応が出たことを理由に契約解除されたと報じられた。「押尾事件でMDMAの危険性が全国に知れ渡り、その後はMDMAの押収量が激減しました。ところが近年は『ピュア』(沢尻が所持していた、MDMAの良質な成分だけを結晶させた粉末状のもの)の登場もあって、再び増加している。社会全体が薬物に対するリスクを軽視し始めている風潮もあるでしょう」(捜査関係者) 歌手の千葉マリアの息子で、薬物依存症の回復を支援するリハビリ施設「館山ダルク」代表の十枝晃太郎さんが言う。「芸能界は社会の縮図であり、世間での薬物の蔓延の度合いが、芸能界に表れているように思います。それでも、芸能人にはたしかに薬物に手を出してしまうような気質の人も多い。田代まさしさんと接すると、“常に人を楽しませたい”というサービス精神を感じました。人に薬物をすすめられた時、断りにくかったり、相手の期待に応えたいという気持ちが、つい出てしまうのかもしれません」 そもそも芸能界と違法薬物の親和性が高いという指摘もある。薬物犯罪に詳しい作家の藤原良さんが話す。「時代はヒロポン(覚せい剤)が合法だった時代にさかのぼります。時々ビートたけしさんもテレビなどでヒロポン話をネタにして笑いをとったりしていますが、芸能界だけでなく落語家、歌舞伎役者も昔はヒロポンを使っていた。 その後、覚せい剤が違法になると、一気に流通量が減ります。そこで水面下で覚せい剤を運べたのが、1つは全国組織の暴力団のネットワークです。もう1つが、暴力団のサポートの下で全国各地を興行で回っていた芸能界だった。むしろ、ヤクザ特有の『シマ(縄張り)』がない分、芸能関係者の方が運びやすかったとも言えます。ミュージシャンやタレントだけでなく、その付き人やスタッフも、かつては“運び屋”をして糊口を凌いでいた人が少なくありませんでした」 芸能界と暴力団組織が非常に近い関係だった時代があったこともたしかだ。ヤクザ側からの太い“供給ルート”もあっただろう。反社会的勢力との交際が御法度である現在はどうだろうか。薬物の売買にかかわったことがあるという暴力団関係者はこう話す。「大御所と呼ばれる歌手や芸人、タレントだけでなく、事務所の関係者にも、かつてのヤクザとの関係が続いている人も少なくない。若い芸能人だって、そういう先輩を見て育っているから、ヤクザに抵抗感は少ない。 結局のところ、今日本で出回っているほぼすべての違法薬物は、海外マフィアから暴力団が仕入れたものです。それが現役組員から、元組員や半グレ、友人知人らを経由してバラ撒かれる。実は、組員から直接、常習者に売られるケースはほとんどないですが、それでも芸能人の中には、ASKAのように現役組員から直接入手するケースも少なくない。結局、かつての“腐れ縁”が今も続いているということなんでしょう」※女性セブン2019年12月19日号
2019.12.08 16:00
女性セブン
【グラフ】主な死因の構成割合(2018年)
「老衰」とは何か、そして医師が選ぶイヤな死に方1位は?
《死ぬときぐらい好きにさせてよ》という言葉を残して女優の樹木希林さん(享年75)が旅立って1年が経ったが、彼女の存在は今も多くの人々の心を捉え続けている。 その理由は強烈な個性や型破りな生き方はもちろん、「死に方」にある。 樹木さんがこの世を去ったのは、2018年9月15日。死因は、本人が言うところの「全身がん」だった。はじめに乳がんが見つかり、2005年に手術をするも根治することはなく、次々と転移してゆく。その数は腸、副腎、脊髄など、2013年には13か所にもおよんでいた。 しかし樹木さんはがんを受け入れ、女優を引退することなく精力的に活動を続けた。 そればかりか、《人生がすべて必然のように私のがんも必然だと思っています》《がんってのは準備ができるからありがたい。それは悲壮でもなんでもないです》(過去の発言より、以下同)とがんを肯定する発言すらしている。しょっちゅう離婚危機に陥っていた夫の内田裕也さん(享年79)とも自身のがんをきっかけに関係が修復し、「離婚しなくてよかった」と言い合うようになったとも明かしている。《手術のあとにのまなきゃいけないホルモン剤ものんでないの。あれをのむとなんだか具合が悪くて。薬やサプリメントも、そういったものは一切のんでないんですよ》と抗がん剤やホルモン剤なども使わず、最期は《病院よりは家の方がいいかな。孫の声が聞こえるところで死にたいですね。本木さんはそもそも“おくりびと”だから》という本人の強い希望により、自宅で亡くなった。 家族は樹木さんのために24時間介護できる体制を整え、意識が薄れゆく樹木さんの手をさすり、頭をなでたりしたという。 つまり、強い意志があり、事前にしっかり準備をしていれば、「いい死に方」ができる可能性があるということだ。 その具体的な方法に迫る前に、現代日本においてどのように亡くなる人が多いのかを考えたい。 最新の統計によれば、「老衰」で死ぬ人が増えているという。厚生労働省の発表(2019年7月)によると、もっとも多い死亡理由はがん(37万3547人)であり、心筋梗塞などの心血管疾患(20万8210人)が次点。今年初めて第3位に浮上したのが老衰(10万9606人)だ。昨年まで3位だった脳血管疾患による死亡数を上回ってのランクインとなった。 そもそも老衰とは、どんな状態を指すのだろう。加齢によって体が機能しなくなり、ゆっくり死を迎えるようなイメージを持つ人が多いはずだが、医療のプロたちはどう考えているのか。 在宅医療のエキスパートで多くの看取りを行ってきた長尾クリニック院長で医師の長尾和宏さんはこう言う。「老衰の医学的な定義は、実ははっきりとは決まっていません。ただし、多くの患者さんを看取ってきた私は、その経験から平均寿命を超えた人が栄養の摂取量が減ってやせ、穏やかに枯れるように自然死することを老衰だと解釈しています」 長尾さんが年間で看取った人の約半数は老衰で亡くなっているという。「私は年間100人以上の死亡診断書を書きますが、その半分ほどに記入するのが『老衰』という二文字。一般のかたが持っているイメージとそう変わらず、みなさん寝ている間に亡くなったり、眠るように逝きます。もがき苦しんだりするような人はほとんどいません」(長尾さん) つまり、老衰は理想の死に方の“ピンピンコロリ”に近いといえるだろう。 一方で、「老衰がすべて安らかな死だというわけではない」という意見もある。昭和大学病院緩和医療科の診療科長を務める医師の岡本健一郎さんの話。「基本的には脳をはじめとする全身の機能が低下し、苦痛を感じないで眠るように亡くなることが多いようです。しかし、まったく苦痛がないかというと、そういうわけでもない。たとえ大きな病気にかかっていなかったとしても、体力が落ちた高齢者は便が出ないだけでも苦しい思いをします。つまり、ケースバイケースなのです」◆「救急車の中は、阿鼻叫喚の世界です」 どんな最期になるかは人それぞれだが、病気で壮絶な最期を迎えるよりは、苦痛も軽減されるようだ。 では逆に、どんな死に方が苦しいのだろう。救急救命士としてさまざまな現場を目撃してきた日本救急救命士協会会長の鈴木哲司さんはこんな証言をする。「重病人やけが人などを搬送する救急車の中は、阿鼻叫喚の世界です。私が知る限り、病気の中で特に苦痛が強いものは『くも膜下出血』でしょう。これを“痛みの王様”と呼ぶ医療関係者もいるほどです。 また、『解離性大動脈瘤破裂』を起こすと胸や背中に杭を打たれるような激痛が走るといわれ、あまりの痛みに意識を失ったり、ショック状態に陥る人もいます。心筋梗塞は火箸で刺されたような激痛が走るともいわれ、かなりの痛さだとされます」 山野美容芸術短期大学客員教授で医学博士の中原英臣さんも、「心筋梗塞は“こういう死に方をしたくない”と思う病気のナンバーワンです」と声をそろえる。「もちろん、痛みだけで考えたら骨折や痛風の方が痛いかもしれません。しかし、心筋梗塞の痛みや衝撃は、死の恐怖を伴います。恐怖の苦しみを伴う痛みは、想像を絶するものなのです」(中原さん)※女性セブン2019年10月10日号
2019.09.27 07:00
女性セブン
夫に相続しなかった樹木希林さん、友人に相続した加藤治子さん
夫に相続しなかった樹木希林さん、友人に相続した加藤治子さん
 複雑な相続のルール。その上、遺産をめぐって家族が仲違いする「争続」も少なくない。そんな中、家族や周囲の人たちと協力し、揉めない相続を実現した有名人の相続秘話を紹介する。 相続はややこしくて難しい。それゆえ素人には判断が難しいが、「さすが」という相続を見せたのが、昨年9月に亡くなった女優の樹木希林さん(享年75)だ。 樹木さんは若い頃から不動産に興味があり、20代前半で東京・大田区に戸建てを購入したことを機に不動産を買い進め、本誌・女性セブンが把握する限りでも都内に総額10億円はくだらない物件を所有していた。 それほどの資産があれば、死後に相続トラブルが起こりそうなものだが、彼女の準備は万全だった。「希林さんの死後、不動産は長女の内田也哉子さん(43才)と娘婿の本木雅弘さん(53才)、孫の伽羅さん(19才)などに速やかに名義変更されました。しかも伽羅さん名義のマンションは希林さんが亡くなる前に手続きされていました。これらは、希林さんが生前に入念な話し合いを行い、計画的に相続先を決めていたことの表れです」(内田家の知人) なかでも専門家が唸るのは、今年3月に樹木さんの後を追うように亡くなった夫の内田裕也さん(享年79)名義の物件を1つも残さなかったことだ。「もし裕也さんが相続したら、裕也さんの死後、子供らに多額の相続税がかかることを心配したのでしょう。希林さんの先見の明には驚くばかりです」(前出・内田家の知人) そんな樹木さんの親友だったのが、『七人の孫』『寺内貫太郎一家』(ともにTBS系)などのホームドラマで人気を博した女優の加藤治子さん(享年92)だ。 加藤さんは最初の夫と死別後に再婚するも離婚し、生涯子供をもうけなかった。母や姉は加藤さんが50代半ばになるまでに逝去し、天涯孤独の「おひとりさま」として世田谷の自宅で暮らしていた。そんな加藤さんの斬新な相続を『週刊現代』が報じ、注目を集めている。「彼女が相続先に選んだのは、5人の友人でした。加藤さんの個人事務所の代表取締役兼マネジャーのAさんと友人のBさん、遠縁のCさん、それにAさんの親友だったDさんと、2度目の夫の再々婚相手でありながら、友情関係で結ばれたEさんの5人です」 加藤さんを知る関係者はそう語っている。87才で乳がんになって「余命5か月」を宣告された加藤さんは、それ以降、遺産を大切な5人に渡すべく相続の準備を始めたという。「加藤さんは世田谷の一等地にある自宅を処分して、そのお金を5人で分割するよう定めた遺言書を作成しました。2015年11月に彼女が他界した後、遺言書に沿って自宅が売却されて5人にそのお金が振り分けられました」(前出・加藤さんを知る関係者) 単なる知人や友人が遺贈を受ける場合は、相続税が2割加算となる。だがそんな負担よりも、人生の最期に大切な人々への贈り物を準備する加藤さんの心遣いが、5人にはうれしかったはずだ。「おひとりさま」の高齢者が増えるこれからの時代に、加藤さんの見せた幸せな相続はひとつのモデルとなる。※女性セブン2019年8月22・29日号
2019.08.16 07:00
マネーポストWEB
芸能界の葬式には特殊なルールが存在する
芸能界の香典の基本は10万円 金額がタレントや事務所の面子に
 ジャニー喜多川氏(享年87)の「家族葬」には所属事務所のタレント総勢100人以上が集まった。さらに8月には「お別れの会」が予定されている。有名人の葬儀の裏には花の並べ方や焼香の順番まで、慎重かつ入念に準備された“序列”がある。 今年3月17日にこの世を去った内田裕也さん(享年79)も、親族だけの密葬を済ませた後、「ロックンロール葬」と題した「お別れの会」を開いた。「堺正章らタレントが数多く参列しましたが、関係者を驚かせたのは案内状に書かれた主催者の名前です。裕也さんは個人事務所にもかかわらず、“芸能界のドン”といわれる大手事務所のトップ4人の名前が連なっていたのです。いかに裕也さんが芸能界で重要な存在だったかがよく分かりますが、それぞれの顔を立てるため、葬儀委員長、副委員長、世話人代表といった肩書きが付けられていました」(同前) ベテラン芸能デスクの前田忠明氏が語る。「各界を代表する“冠婚葬祭通”が集まって、弔辞の順番、花の順番から香典の金額までを決めるのが芸能界の葬儀です。たとえば歌手であれば、芸能事務所、レコード会社、テレビ局、そして業界団体それぞれの仕切る人がいて、事前に一同に集まって段取りを決めるのです。テレビに映るのは親交あるタレントたちの弔辞ですが、その裏には実に周到な準備がある」 会社の総務が仕切っていくサラリーマンの葬儀とは全く違う世界だ。香典の金額にも、芸能界ならではの風習がある。「葬儀の香典は、一般的には5000~1万円程度でしょうが、芸能人の場合は違います。基本の金額が10万円です。小さな事務所でそんなに付き合いもない、という場合は5万円くらいの時もありますが、基本は10万円。不祝儀はあまり大きな金額を包まないという一般的な常識と違い、金額がタレントや芸能事務所の面子になるわけです」(同前) そうした複合的な序列に気を遣う芸能界と違い、伝統芸能である歌舞伎の場合はある意味分かりやすい。「歌舞伎の世界では家柄や人間国宝かどうかなどで決められた“格式”を何よりも重んじるし、それは明確に序列化されています。基本的には興行元である松竹がすべてを取り仕切る。6年前に大名跡である12代目市川團十郎さん(享年66)が亡くなった際には、仮通夜に弔問客が訪れるたびに、役者の名前や顔がわからない記者やカメラマン向けに、松竹が『今のは○○さんです』などとアナウンスしていた。『報じる時は格上から書くように』という指示もあり、各紙とも、尾上菊五郎、中村吉右衛門以下の順番で書いていました」(芸能記者) 斎場入り口に掲げられる名札も「歌舞伎役者」「演劇関係者」「その他」に分けられ、「上段右上」から順に、格上から並べられる。※週刊ポスト2019年8月2日号
2019.07.23 16:00
週刊ポスト
樹木さんが素顔をさらけ出した相手とは?(時事通信フォト)
樹木希林さん、吉永小百合との食事で「あなたが払いなさい」
 樹木希林さん(享年75)の死後、何冊もの本が出版され、テレビでも何度も特集が組まれた。だが、とあるエッセイを読むと、私たちは本当の樹木さんを知らないのではないか──。そう感じずにはいられなくなる。 6月28日に刊行された雑誌『PARTNERS ♯2』に、樹木さんと40年以上の親交があった椎根典子さん(75才)と、夫で雑誌編集者の椎根和(やまと)さん(77才)が樹木さんとの思い出を綴ったエッセイを寄稿している。 典子さんは郷ひろみ(63才)が主演したTBS系のドラマ『ムー』(1977年)、『ムー一族』(1978年)に、樹木さんと一緒に愚痴を言い合う3人組の家政婦の1人「ブスの竹ちゃん」として出演。実生活でも樹木さんに最期まで「ブスの竹ちゃん」と呼ばれてきた間柄だ。 和さんは雑誌『Olive』など数々の創刊に携わり、樹木さんの夫・内田裕也さん(享年79)とは『平凡パンチ』編集者だった45年前からのつきあいだという。 晩年の樹木さんは典子さんに相談を持ちかける機会が増えていたという。ときには《もう仕事やめようと思う》と語りかけられたこともあった。《ある時は有名な女優さんが原爆の語り部になっていることを話題にして、自分も何かするべきかという疑問をぶつけてきた》(『PARTNERS ♯2』より) この女優とは、吉永小百合(74才)のこと。和さんが、樹木さんと吉永の知られざる交流を明かしてくれた。「吉永さんと希林さんは年に数回は食事に行く仲だったんです。吉永さんは紫綬褒章を受章して、文化功労者にもなっている。それで食事の支払いの時になると、希林さんが必ず“あなたは文化功労者になって国から年に数百万円もらってる。私は払うばっかりだから、あなたが払いなさい”って、あの低い声で言うんだって(笑い)」 吉永とはドラマ『夢千代日記』(1981年、NHK)で共演して以来の長いつきあいだった樹木さん。吉永の活動に刺激を受け、樹木さんは「私はこのままでいいのか」と迷ったのだろうか。だが、選んだのは役者を貫き通す道だった。 2011年、裕也さんが元交際相手のCAを脅迫し、復縁を迫ったとして逮捕された時も、樹木さんは椎根夫妻に相談していた。「その頃、希林さんの体はすでに全身がんに侵されていましたが、希林さんにとっていちばんの心配事は娘の也哉子さん家族のこと、そして裕也さんの行く末でした」(典子さん) 樹木さんが「重石」と言っていたという裕也さんとの関係を、和さんはこう話す。「希林さんは最初に裕也を“芸術家だ”と思っちゃったんだろうね。亡くなるまで月々250万円のお手当てをあげていて、それが45年間続いたのだから、信じられないよ」 さらに2012年に也哉子・本木雅弘(53才)夫妻が英ロンドンに移住すると、樹木さんは典子さんにより頻繁に電話してくるようになったという。《寂しいでしょう? と問うと寂しくないと答える。強がりめ! すごく重たい紹興酒の壺を抱えたり、ワインやおつまみまで持参して1時間以上の道のりを電車に乗ってわが家に遊びにきてくれた》 本やテレビで語られることのなかった樹木さんの晩年の本当の姿。樹木さんが毎朝、お経を唱えていたことの真意についても、典子さんはこう推し量っている。《たぶん、あなたは何かを願ってお経を唱えていたのではない(中略)頭も心も生まれる前のような白紙に戻すために、経を唱えるという作法を使って、瞑想していたのだと思えてなりません》 裕也さんが樹木さんの後を追うように亡くなった時、典子さんは、樹木さんに言われたのと同じ言葉を也哉子さんにかけたという。「也哉子さんに“おめでとう”って言ったら、“あぁ、母と同じですね。うれしいです、その言葉”と言ってくれました」(典子さん) 親友の言葉を聞きながら、樹木さんは「あら、ブスの竹ちゃん、よく言ってくれたわね」と雲の上で微笑んでいたに違いない。※女性セブン2019年7月25日号
2019.07.14 07:00
女性セブン
樹木さんが素顔をさらけ出した相手とは?(時事通信フォト)
樹木希林さん 母を亡くした友人に「おめでとう」の理由
《ある時「もう仕事やめようと思う、普通の人は何しているのかしら」と弱々しい声で聞いてきた。(中略)ただただ黙って聞いてあげるしかなかった。その2~3日後「私やっぱり人間の観察が好きだとわかった。それって女優として一番大切なことよね」と結論を出してきた。あなたはつぶやきながら自分を見つめて道を開く》 6月28日に刊行された雑誌『PARTNERS ♯2』に、樹木希林さん(享年75)と40年以上の親交があった椎根典子さん(75才)と、夫で雑誌編集者の椎根和(やまと)さん(77才)が樹木さんとの思い出を綴ったエッセイを寄稿している。 彼女が“女優業からの引退”を考えていたことなど、意外な一面も書かれている。 典子さんは郷ひろみ(63才)が主演したTBS系のドラマ『ムー』(1977年)、『ムー一族』(1978年)に、樹木さんと一緒に愚痴を言い合う3人組の家政婦の1人「ブスの竹ちゃん」として出演。実生活でも樹木さんに最期まで「ブスの竹ちゃん」と呼ばれてきた間柄だ。 和さんは雑誌『Olive』など数々の創刊に携わり、樹木さんの夫・内田裕也さん(享年79)とは『平凡パンチ』編集者だった45年前からのつきあいだという。◆本当にうれしかった希林さんの言葉 都心から電車で1時間ほど離れた緑深い山間に建つ椎根さん夫妻の家を訪れると、庭には樹木さんの大のお気に入りだったという、さくらんぼ「佐藤錦」の木が見事な枝ぶりで出迎えてくれた。しかし典子さんは、少し困った表情を浮かべ、こう言う。「あのエッセイは(樹木さんの長女の)也哉子さん(43才)に頼まれて書いたもので、希林さんへの最後のラブレター。だから、それ以上のことは話す気はないの…」 それでも和さんと一緒に思い出をぽつりぽつりとこぼすうちに、典子さんはこらえきれないといった様子で、樹木さんのことを語り始めた。「『ムー』で出会った時は、ともに30代。私は“素人”でしたけど、たまたまデザイナーの横尾忠則さんと知り合いだったという縁で、久世光彦さんのドラマに出るようになったんです。それが始まりね」(典子さん) 樹木さんの第一印象は《周りを緊張させる怖い人》。その怖さの源は、相手のすべてを見透かすような《眼力》だったという。「希林さんは邪心がまったくない、純粋で、すごく面白くて、楽しい人でした。特に思い出深いのは、エジプトロケ。私、郷ひろみちゃんのファンで、希林さんはそれを知っていました。 ロケ先のホテルでのこと。女部屋に男の俳優さんたちもみんな呼んでおしゃべりしているうちに“ひろみちゃんも呼ぼう!”ということになったの。ひろみちゃんはしっかりした子だから“明日の撮影があるので、帰ります”と言って早々に引き揚げたんだけど、部屋に鍵がかかって入れなくて。 そしたら希林さんが気を利かせて部屋割を変えてくれて、ツインルームの1つのベッドにひろみちゃんが寝て、もう1つのベッドに希林さんと私が一緒に寝たんです。ドキドキしていると“あなたダメよ、襲っちゃ”なんて言われてね(笑い)」 ドラマが終わった後も親交は続いたが、関係が深まったのは60才を過ぎてからだという。典子さんが母親を90才で亡くした時、樹木さんは「おめでとう」と声をかけてくれ、涙が出るほどうれしかったという。「母を経済的に面倒を見ていたので、経営している小さい会社を辞めたくても、ずっと辞められなかった。毎週実家に通って1週間分の食事を作って届けたり、入院中は午前中仕事を休んで行ったりして、なんとか続けていたけれど、苦しくて苦しくて。それを希林さんは知ってくれていたので、“ホッとしました”と言うと、“おめでとう”って返してくれたんですね。そんな言葉は初めてだったから、本当にうれしかった」(典子さん)※女性セブン2019年7月25日号
2019.07.12 16:00
女性セブン
私財を投じてまで浅田主演の映画を作ろうとしていた樹木さん
樹木希林さん、浅田美代子に主演させたかった遺作の親心
「38才」と偽り、色香と巧みな話術で男たちを惑わし、金を巻き上げ、タイで逮捕される62才の女。優しい表情と言葉と、その裏で見せる狂気的な笑みのギャップに思わずゾッとする──。「浅田美代子さん(63才)の演技がすごい。60代にして初挑戦というセックスシーンといい、これまでの『釣りバカ日誌』の“かわいい奥さん”やテレビで見せる“明るい天然キャラ”といったイメージとはまったく違う。鬼気迫る体当たりの演技に目を奪われました」(スポーツ紙記者) 浅田にとって45年ぶりの主演映画となる『エリカ38』(6月7日公開)。被害総額27億円、被害者は男性ばかりで120人超ともいわれる“つなぎ融資事件”の山辺節子被告(2017年4月逮捕)をモデルにした作品だ。 昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)も、浅田演じる主人公・エリカの母親役で出演している。樹木さん自身が企画から出演まで携わった「遺作」でもある。「浅田さんに主演させたいと、希林さんが奔走して実現させた映画です。きっかけは、2人でこの事件のニュースを見ている時に、希林さんが“美代ちゃん、こういう役をやったらいいのに”と言ったことだったそうです」(映画関係者) 決断してからの樹木さんの行動は早かった。「希林さんは体調が悪い中、資金集めのためにいろいろなところに出向いたそうです。最終的に製作資金はなんとか集まりましたが、もし資金が集まらなかったら、自分が所有する不動産を売りに出してそれを製作費に充てようと考え、具体的に見積もりを取ろうとまでしていました」(前出・映画関係者) 全身がんに侵されていた樹木さんは、人生の最後に、私財を投じてまで浅田主演の映画を作ろうとしていた。それほどまでに2人の関係は深いものだった。「浅田さんが希林さんと出会ったのは16才。高校2年生の時、オーディションで2万5000人の中から選ばれ、大人気テレビドラマ『時間ですよ』(TBS系)でデビューし、そこで共演して以来のつきあいです。翌年にはドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)で再会。撮影は、週5日もあり、家族よりも一緒にいる時間が長かった。特にデビューしたてで右も左もわからない浅田さんは、希林さんにいつもくっついて歩いていましたね」(ドラマ関係者) 浅田が21才で吉田拓郎(73才)と結婚した時は、樹木さんが夫の内田裕也さん(享年79)を伴って「本当に美代ちゃんを幸せにできるのか!」と、吉田の元に怒鳴りこんだという逸話もあるほどだ。「結婚に際して、浅田さんの両親を説得したのも希林さんでした。“美代ちゃんはもうやられちゃってるんですよ”と独特の言い回しだったそうです。離婚した時も、浅田さんのお母さんが亡くなった時も、彼女の節目には必ず希林さんがそばにいた。4年ほど前に浅田さんが千葉県に別荘を購入した時も、希林さんのアドバイスで、キャッシュで買ったそうです」(前出・スポーツ紙記者) 樹木さんにとっても、浅田は実の娘のような存在だったに違いない。「浅田さんが60才になったある日、“このままだと、ただのバラエティータレントで終わってしまう”と、希林さんに悩みを打ち明けたそうです。それで希林さんは浅田さんにとって代表作といえるような作品はできないものかと考えていた。そんな折に、『山辺節子』のニュースを見て、“艶がある美代ちゃんに、あの女みたいな役をやらせたい”とピンときたようです」(前出・映画関係者) 浅田が話を聞いた時には、樹木さんの取り計らいですべての段取りが決まっていたという。「浅田さんが62才になる前のある日、突然、希林さんから“がんばりなさい”と言われ、『エリカ38』の台本を手渡されたそうです。本人も事務所のスタッフにとっても寝耳に水のことで、本当に驚いたそうですが、希林さんらしいといえば希林さんらしい」(浅田の知人)※女性セブン2019年6月6日号
2019.05.23 16:00
女性セブン
今年1月、突然に亡くなった市原悦子さん
家族が語る市原悦子さんの「兆候」は「背中のこり」と「盲腸」
 今年1月、突然の訃報となったのは、ドラマ『家政婦は見た!』(テレビ朝日系)や、アニメ『まんが日本昔ばなし』(TBS系)のナレーションでおなじみの女優、市原悦子さん(享年82)だ。 市原さんは2014年に最愛の夫・塩見哲さん(享年80)に先立たれてから2年後に、病気との闘いの日々が始まる。 夫を亡くした市原さんの当時の様子を、姪の久保久美さんが振り返る。「叔父ちゃんの火葬の時には、叔母ちゃんは憔悴しきって『私もすぐ行くから』と口にしていました。ショックが大きく、誰かが常にそばにいることを望みました」 樹木希林さんと内田裕也さん夫妻や津川雅彦さんと朝丘雪路さん夫妻など、パートナーの死後、残された者が後を追うように亡くなってしまうケースは最近の芸能界でも目立つ。あいクリニック中沢院長の亀谷学さんはこう解説する。「パートナーが先に亡くなると、残された者は悲嘆に暮れることになります。ストレスが続くと、不眠や高血圧になり、また免疫力も低下するなど、心筋梗塞や脳卒中、重症肺炎などの命にかかわる危険な病気を起こしやすくなるのです」 市原さんの姉妹や親しい人たちが寄り添い続け、市原さんは少しずつ仕事への意欲を取り戻していったという。しかし2016年11月に、ある体の不調を訴えた。「背中がすごくこるの」 これが市原さんの「兆候」だった。マッサージをしてもこりは治らず、急に足の踏ん張りがきかなくなり転倒したため、検査入院すると、「自己免疫性脊髄炎」だと診断された。免疫が自身の神経を攻撃する難病だ。 治療を終え、12月末には退院する予定だったが、脊髄炎の再発で退院は取り止めに。「2回目の発症で更に体は弱りました。それでも2月にはリハビリ施設と病院を行ったり来たりしていましたが、3月になると圧迫骨折も発覚し、体調も安定せず、激しく気落ちするようになりました。一時は『仕事ができないなら、生きていても…』と口にするほどの落ち込みでした」(久美さん)◆楽しく過ごすことを大事にしたが… 入院生活をやめて自宅での看護に切り替えると、市原さんの状態は落ち着き、徐々に持ち前の明るい性格が戻ってきたという。2018年3月には、NHKの番組『おやすみ日本 眠いいね!』内の朗読コーナーで仕事復帰も果たした。「NHKのかたに機材を自宅に運び込んでもらって、部屋着に薄化粧でベッドの上で収録しました。その次からリビングで車いすに座り収録するようになったのですが、いろいろな仮装をして、スタッフの人たちを驚かせて楽しんでいましたね」(久美さん) 市原さんは、「声は出さないと小さくなるから」と考え、歌を歌い、大きな声で笑って、冗談を言い合って日々を楽しく過ごすことを大事にした。だが、同年11月に腹痛を起こし、盲腸と診断されて再び入院することとなる。高齢者の盲腸の脅威について、亀谷さんはこう指摘する。「若い人と違い、高齢者は一般的に腹痛や発熱などの症状が軽く、診察で異常を見つけにくいことがあります。盲腸は発見が遅れると腹膜炎を起こします。その結果、腸は癒着し、便秘などで腸閉塞を起こし入退院を繰り返すようになるのです」 市原さんは高齢になってから、血小板が減少する再生不良性貧血のためステロイドを手放せなくなり、今回の脊髄炎でも多量に使用していた。体はボロボロで、12月の退院後は食事を充分に食べられなくなっていたという。 年が明け2日、微熱が出て、5日には体が思うように動かなくなり再び入院した。「入院時には薬ものめなくなっていたのですが、点滴と食事をとれば少しずつよくなると思っていました。ですが6日には呂律が回らず、8日からは意識が戻らなったんです。長期の闘病で体は限界だったのだと思います」(久美さん) 仕事熱心で、プロ意識が高かった“女優・市原悦子”を支えたのは、「女優をしている時がいちばん輝いているよ」という夫の言葉だったのかもしれない。※女性セブン2019年5月9・16日号
2019.05.02 07:00
女性セブン
観衆を魅了する内容だった
樹木希林さん、貴重な「遺言講演」の知られざる中身
 昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)の「言葉」を綴った本がベストセラーとなっている。しかし彼女はメディアから言葉を求められても、「それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ」「そんなこと話して私に何の得があるの」と突き放すこともしばしば。そのため講演を引き受けることはほとんどなかったという。 そんななか発表された貴重な記録が、DVDつき書籍『樹木希林 ある日の遺言 食べるのも日常 死ぬのも日常』(小学館)だ。 2016年10月29日、静岡市で開催された「樹木希林の遺言」という約1時間の講演は、旧知のテレビ・プロデューサー、田川一郎氏(80)によって実現したものだ。田川氏が話す。「その内容は、希林さんの人生観や死生観がしっかり語られ、病気になった人を勇気づける素晴らしいものでした。映画館で公開しようと希林さんに相談したのですが、彼女は“映画館ねぇ、そこは監督さんが必死に作った作品を上映する場所でしょう”と。実現には至りませんでした。 ところが、希林さんは逝ってしまった。このまま埋もれさせてしまうのはもったいない。そこで娘の也哉子さんに相談したんです。そしたら“母の話を聴いてみたい、と言ってくださる方がいるのであればいいのかもしれませんね”と言ってもらえました」◆“向こう側”を想像して 古い留袖を自ら仕立て直した黒い衣装で現われた希林さんは、軽妙なジョークを挟みながら、観衆を独特な世界観に引き込んでいく。身振り手振りを交え、時にステージを歩き回る姿は、まるで独り芝居かのようだ。 希林さんが話し始めたのは、2004年に乳がんが発覚した時のことだった。手術のため、タイのプーケットでの映画の撮影をキャンセルする。ところが滞在するはずだったその日に、多数の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の津波が、彼の地を襲ったのだという。「(手術の前に)そういうものにぶつかってたわけ。だから、いずれにしても人間はスレスレのところで生きてるんだなっていうふうに感じるわけです。 だから逆に乳がんの手術した時に、もう何があっても、御の字。何かそこで吹っ切れたって覚悟が決まったっていうか、そういう時から、その私のがんの生活、始まったんです」 希林さんは「死」について考えるのは決して悲観的なことではないとも語る。「健康な人も一度自分が、向こう側へ行くということを想像してみるといいと思うんですね。そうすると、つまんない欲だとか、金銭欲だとか、名誉欲だとか、いろんな欲がありますよね。そうしたものからね、離れていくんです」 希林さんがお土産やプレゼントを徹底して受け取らず、一度手にしたものは常に最後まで使い切っていたことはよく知られている。「モノを拒否するってことは、逆にエネルギーが要るのね。だけどしていかないとね、もう片付かないの。(中略、モノは)多けりゃいいというもんじゃないのね。私はモノに対して執着を捨てたときに、ただ捨てるんじゃなくて、モノの冥利も考えて、どう活かすかってことを考える」 冥利とは仏教用語で、仏が与える利益、恩恵のこと。人生もモノも「十分に活かしきること」を考えるのが希林流なのだ。◆驚きのタロット占い 講演が一際盛り上がったのは、希林さんが夫・内田裕也さん(享年79)について語った場面だった。 娘の也哉子さんがイギリスでタロット占いをしてもらった時のことだ。母親の病気、そしてその後に残されるかもしれない父親について心配していると聞くと、占い師はこう答えたという。「『あ、大丈夫ですよ、お父さんはお母さんが死ぬときに首根っこ捕まえて一緒に連れて行きますから。グーッと連れて行きますから』って、そう言ったんですって。私それ聞いてね、それはいいね、それは安心だね、別にタロット占いを信用してるワケじゃないけど、ほっとしちゃったんですよね。それで夫が機嫌の良いときに話したんですよ。そしたら(裕也さんは)真剣な顔をして『お前な、頼むから一人で行ってくれ』って(笑い)」 このときは笑い話だったが、占い師の“予言”通り、内田裕也さんは今年3月、妻の後を追うようにこの世を去った。2人の因縁を感じさせるエピソードだ。 そして希林さんは、夫についてこうも語った。「すごくいいヤツでね、あの夫じゃなかったらば、こんな面白い人生はなかったと思います」 結婚わずか1年半で別居。夫の生き様に苦しめられたこともある。しかしそれでも、希林さんは夫との出会いを徹底して面白がったのだ。紹介したのはDVDの内容のほんの一部。これ以外にも深く頷かされる言葉を数多く聴ける。※週刊ポスト2019年5月3・10日号
2019.04.22 11:00
週刊ポスト

トピックス

結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
謝罪をする田中聖(公式YouTubeチャンネル)
田中聖容疑者、覚醒剤所持でまた逮捕 芸能人が“やめられない”根本的な問題点
NEWSポストセブン
『ぴったんこ☆カンカン』スタート時の安住アナ(時事通信フォト)
泉ピン子が語る安住紳一郎アナ「とても負けず嫌い。すごい強さを秘めている」
週刊ポスト
盗難被害を告白した木下
TKO木下隆行がベトナムで270万円の盗難被害、防犯カメラにおさめられた悪質手口の一部始終
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
TBS安住紳一郎アナ、恩師や先輩アナが明かす“天才的なしゃべり”“のスキル
週刊ポスト
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
日本は世界が憧れる国だと思っていたが……(イメージ)
在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン
SDGs(持続可能な開発目標)についてテレビが取り上げる機会が激増していた(イメージ、時事通信フォト)
テレビ局が一斉に発信していた「SDGs」、最近見かけなくなった理由
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン