野際陽子一覧

【野際陽子】に関するニュースを集めたページです。

千葉真一さんが残した足跡 ファミリーの輝き続ける現在・過去・未来
千葉真一さんが残した足跡 ファミリーの輝き続ける現在・過去・未来
 日本のアクション俳優の第一人者として国際的に活躍した千葉真一さん(享年82)。その偉大な功績もさることながら、その子供たちの活躍も見逃せない。放送作家でコラムニストの山田美保子さんが千葉ファミリーの足跡をたどる。 * * *「どこかのプロダクションが絶対スカウトするに違いない」の声「忘れもしない。真剣佑は13才、郷敦は10才のときに『さんま御殿!!』に出ていただいて。(中略)千葉さんしかキャスティングされてなかったんですけども」とは、8月21日オンエアの『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)での明石家さんまサン(66才)。 いわゆる“闇営業問題”以来、業界聴取率100%の同プログラムです。冒頭のエピソードも、しっかりネットニュースとなっていました。『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)の構成者の1人である私も、よ〜く覚えています。いや、本番に入ってしまって、“千葉さんいじり”に熱が入っていたさんまサンとは逆に、前室や廊下で所在なさげにしていたオーラ抜群の若きイケメン、後の新田真剣佑サン(24才)と眞栄田郷敦サン(21才)に、女性スタッフは大騒ぎでした。「千葉真一さんが息子さんを連れてきたんだって」「わ、イケメン! 野際陽子さんとのお子さん……じゃないわよね」 などから、「デビューしないの?」「今日、どこかのプロダクションが絶対スカウトするに違いないわね」 という“お節介”まで(苦笑)、大いに盛り上がったものです。 その後、千葉さんは何度か『~御殿!!』に出てくださり、私の記憶では、真剣佑サンが最初おひとりでみえて、次の回に郷敦サンがみえたのではないかと。いずれにせよ、さんまサンが言うように、番組に出演してくださったのは千葉さんだけで、息子さんたちは“見学”と、スタッフ陣への“お披露目”だけだったのです。『ヤングタウン~』では、当時、千葉さんが『浅井企画』さんに所属されていたことも明かされました。千葉さんのモノマネでおなじみの関根勤サン(68才)(と、そのモノマネをする娘さんの関根麻里サン・36才)が所属している“ご縁”だったんですよね。 その頃、千葉さんは、『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)の前身『やじうまテレビ!』の金曜レギュラーでもいらっしゃいました。コメンテーターというよりは、「千葉真一の金曜ハンター」なるコーナーに出演されていて、ここでも“いじられキャラ”だったかと。「JJ Sonny Chiba」(サニー千葉)というお名前が、海外での千葉さんの真の活躍をご存じないかたにとっては、“おもしろネーム”のように受け取られていたからかもしれません。『ヤングタウン~』で、さんまサンは、真剣佑サンと郷敦サンを「いまや立派な役者さんになって」と称賛し、千葉さんを「サニー千葉という、世界に誇れる日本の役者さんの1人」と話を締めて、しのばれました。 いまから思えば、千葉さんは、息子さん2人を日本の芸能界に売り込むために、テレビ局に連れてきたり、プロデューサーに紹介したりしていらしたのではないかな、と。『浅井企画』さんや『~御殿!!』、さらには、生ワイドの『やじうま~』と、営業先がややズレていたようにも思いますが(笑い)、さんまサンがおっしゃるとおり、真剣佑サンと郷敦サンは、アッという間に主演級の俳優さんになられました。 真剣佑サンは世界に羽ばたくべく、日本での所属事務所を飛び出し、現在、米国の「アジアン・シネマ・エンターテインメント」に所属。お父様の旅立ちには会えませんでした。 郷敦サンは現在、『プロミス・シンデレラ』(TBS系)の二番手で、撮影中だったことと、お父様はコロナでお亡くなりになったことから、「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」とコメント。初七日法要まで立派に喪主を務めあげました。 納骨までは、長女で女優の真瀬樹里サン(46才)がご遺骨を預かると、3人の子供さんでしっかり話し合いをして決めたと事務所から発表されました。 樹里サンは、ドラマ『寺子屋ゆめ指南』(NHK)や、映画『キル・ビル』で、お父様と共演。かつて千葉さんが『有吉ゼミ』(日本テレビ系)にVTR出演された際、「日本の女優さんでいまできる人はいない。あの子は日本の財産」と樹里サンのアクションを絶賛されています。「しょうがない人」と苦笑しながら野際さんは千葉さんを語った 私は、2002年から、タイトルや番組のスタイルを変えつつ、約7年間、放送していた『旅の香り』(2002〜2009年・テレビ朝日系)で、千葉さんの元妻、野際陽子さん(享年81)とご一緒していました。NHKのアナウンサー出身で当時、知的な女性の代表格だった野際さんは、退局後、広告代理店、フリー司会者を経て、念願のパリへ留学。帰国時、ツイッギーばりのミニスカート姿でタラップを下りてきた野際さんの美しくもカッコイイお写真は何度も拝見しました。旅番組では樹里サンとの共演も多く、『キル・ビル』の映像もオンエアで何度、使わせていただいたことでしょうか。 ご自宅や行きつけの中華料理店などにお招きいただいた際、オフレコで、千葉真一さんのお話を聞いたこともありました。離婚なさっていたので当たり前なのですが、千葉さんの話をなさるときの野際さんは、いつも苦笑したり、やや呆れ気味で「しょうがない人」と短く、そのお人柄を説明されていたと記憶します。 千葉さんが主宰され、真田広之サン(60才)、志穂美悦子サン(65才)、堤真一サン(57才)らを輩出した『ジャパンアクションクラブ』(JAC)は、素人目には肉体労働のように見えたこともありますし、いわゆる“役者バカ”で、真っすぐさもおありだった千葉さんと、知的なクールビューティーの野際さんが、なぜご夫婦になったのか。私はずっと不思議に思っていたものです。『キイハンター』(1968~1973年・TBS系)のキャストで結婚するのは「坊や」=谷隼人サン(74才)と「ユミちゃん」=大川栄子サン(73才)だと信じていたことも理由です。 でも、共に、日本国内には留まらず、枠に収まりきらないスケールがおありになるのは、おふたりとも、同じ。野際さん歌唱の『キイハンター』のエンディングテーマ『非情のライセンス』は、あの『伊勢佐木町ブルース』(青江三奈さん・享年59 の大ヒット曲)を思わせる“ため息”から入る、お色気ソングでもありました。繰り返しになりますが、NHKのアナウンサーだった野際さんは冒険者といえます。 そして千葉さんも野際さんも、お亡くなりになる直前まで現役選手でいらして、お忙しいなかでも、スタッフやキャストへのこまやかな心遣いを忘れなかった。子供さんのことを思い、幼い頃、なかなかそばにいてさしあげられなかった分、同業に就かれた娘さん、そして息子さんたちの応援を全力でなさった千葉さんと野際さんは“似た者夫婦”だったのではないかと、いまになって思います。 野際さんと天国で再会されたら、どんなお話をなさるのでしょう。個人的な予想ですが、『キイハンター』での啓子(野際さん)と風間(千葉さん)のように、互いに“あしらい合う”のでは? 聞いてみたかったです。合掌。構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。※女性セブン2021年9月16日号 次男の真栄田郷敦 写真4枚
2021.09.03 19:00
女性セブン
【動画】千葉真一さんが語っていた野際陽子さんとの結婚生活
【動画】千葉真一さんが語っていた野際陽子さんとの結婚生活
 新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった千葉真一さん。 生前、元妻で2017年に亡くなった野際陽子さんとの結婚生活について語っていました。『女性セブン』記者に対して千葉さんは「陽子はいつも僕の態度や目の色が変わると察知して『パパ、おいしいワインでも飲みますか?』なんて言ってくれる気遣いの人。僕は家で一度も怒ったことがないし、夫婦喧嘩もしたことないんです。彼女との結婚生活は本当に楽しい日々でした」と話していました。【↑ 上の写真クリックで動画へ】
2021.08.27 16:00
NEWSポストセブン
キル・ビル、影の軍団、柳生一族の陰謀…千葉真一さんの活躍を振り返る
キル・ビル、影の軍団、柳生一族の陰謀…千葉真一さんの活躍を振り返る
 コロナ禍でまた1人、名優がこの世を去った。世界的アクション俳優として知られている千葉真一さんが、8月19日新型コロナウイルス感染症による肺炎で死去した。あまりに突然の出来事に多くの人が驚き、そして悲しんだ。千葉さんをしのびつつ、偉大な功績を振り返る。●1962年『恋と太陽とギャング』 本間千代子(76才)と千葉さんは本作で兄妹役を演じた。東映に入って間もない本間と写るこの写真では、互いにまだあどけなさが残る。●2003年『キル・ビル』 代表作の1つとしてあげられるこの作品は、同じアジアにルーツを持ちながら世界で活躍し続けている千葉とルーシー・リュー(52才)が中心的役柄を演じた。●同、『キル・ビル』 当時高校生の栗山千明(36才)は、殺し屋・GOGO夕張役でハリウッドデビュー。作品の中でも着用している制服姿で実の親子のようなツーショットも見せた。●同、『キル・ビル』 クエンティン・タランティーノ監督(58才)もファンと公言する彼の代名詞である剣術。本作ではタランティーノ監督の前で剣術指導を行い、演出面でも携わった。●1980年『影の軍団』(関西テレビ) 撮影現場では、共演者と弁当を食べながら仲むつまじく過ごす様子なども見られた。千葉さんのほか、橋爪功、伊原剛志、まだ駆け出しだった頃の石田純一などの姿もあった。●1994年『THE WAY THINGS ARE』 映画の公開パーティーに、千葉さん、野際さん、真瀬樹里(46才)の3人が仲よく白色の洋服に身を包んで出席。ニッコリと微笑む姿からは幸せな雰囲気を醸し出していた。●1978年『柳生一族の陰謀』 両手に刀を持ちながらの難しい殺陣の演技を見事に披露した千葉さん。斬りかかってくる相手を睨むなど迫真の演技が随所に見られた。写真/『女性セブン』写真部、アフロ、時事通信社、共同通信社※女性セブン2021年9月9日号
2021.08.27 07:00
女性セブン
千葉真一さん(時事通信フォト)
千葉真一さん 離婚で辛い時期に心の支えとなった高倉健さんからの手紙
 アクション俳優として日米を股にかけて活躍した千葉真一さんが8月19日に亡くなった(享年82)。千葉さんは自ら俳優として活躍するだけでなく、世界で通用するアクション俳優やスタントマンの育成のため、1970年に「ジャパンアクションクラブ」(JAC)を設立。そこから真田広之(60才)や志穂美悦子(65才)といったアクションスターを輩出したが、私生活ではマスコミを騒がすことも少なくなかった。 その最たるものが2017年に亡くなった女優・野際陽子さん(享年81)との離婚。JACや映画プロデュースにのめり込み、家にはほとんど帰らず、事業に失敗して数億円規模の借金を抱え、1994年に離婚した際には「三下り半を突きつけられた」と伝えられた。 2人並んで離婚の記者会見を開き、円満に別れたはずだった。しかし当時は借金問題や家庭を疎かにしていたことが取り沙汰され、千葉さんは“自分勝手”などと世間からバッシングを浴びてしまう。そんな中で彼の心の支えとなったのが“永遠の師匠”と慕っていた高倉健さん(2014年死去・享年83)だった。 千葉さんは一時期、東映の先輩である健さんの付き人をしていた。千葉さんがアメリカ進出を志すようになったのも、「ハリウッド映画はすごいぞ。やはり一度は勝負しないとダメだ」という健さんからの勧めがあったからだという。生前の千葉さんは健さんとの思い出をこう語っていた。「寡黙で気難しい人だと思うかもしれませんが、全然そんなことはない。怒っているところも不機嫌なところも一度も見たことがありません。 人を驚かすのが大好きな人で、サプライズで背広や時計などいろいろなプレゼントをもらいました。なかでも驚いたのはゴールドのブレスレット。我が家の家紋が彫られていたんです。『健さん、なんでうちの家紋がわかったのですか?』と聞いたら、『千葉、俺は日本一のスパイだぞ』って笑っていました。本当に粋でお洒落なかたでしたね」 健さんからのいちばんの宝物は、野際さんとの離婚後、落ち込む千葉さんの元に届いた一通の「手紙」だった。そこには、健さんからこんなメッセージが綴られていた。《誰にでも、神から与えられた人生というハードルがある。そのハードルをひとつひとつクリアしてこそ、最後に幸せをつかむことができる。飛び越すことを喜びに変えてしまえば、今の苦しみが苦にならない。しんどかった、でも面白かったね!と、後から話せる、そういう人生を送ろうよ》 ふさぎ込んでいた千葉さんの心に変化が起きた。「当時の僕はアメリカ進出を目指し、ひとり部屋にこもって英語を勉強する日々でしたが、離婚問題で批判を受け、心が折れそうになっていた。そんなときに健さんからお手紙をいただき、感激で涙が出ました。いただいたメッセージは何度も読み返したので、そらんじて言えるほど、僕の中で大切な人生訓として刻まれています」(千葉さん) 千葉さんの人生に大きな影響を及ぼした野際さんと健さん。いま頃、天国で2人と再会して、あの屈託のない笑顔を見せているかもしれない。※女性セブン2021年9月9日号
2021.08.26 07:00
女性セブン
「本当に楽しい日々でした」千葉真一さんが語っていた野際陽子さんとの結婚生活
「本当に楽しい日々でした」千葉真一さんが語っていた野際陽子さんとの結婚生活
 その訃報はあまりに突然だった。新型コロナウイルスによる肺炎のため、千葉真一さんが亡くなったのは8月19日のこと。82才だった。千葉さんは7月末にコロナに感染して自宅療養していたが、急激に症状が悪化したことで8月8日に入院。そのまま帰らぬ人となった。 コロナ禍ゆえ通夜は行われず、死去から一夜明けた20日に故郷の千葉県君津市で家族と一部関係者のみの葬儀が行われ、千葉さんは荼毘に付された。知人はこう語る。「ついこの間まで元気そのものだったので信じられません。千葉さんが亡くなった日、病院には、次男の眞栄田郷敦くん(21才)や彼の異母姉にあたる長女の真瀬樹里さん(46才)が駆けつけました。遺族は防護服を着て対面できましたが、行っても会えないとわかっているのに仕事関係者ら多くの友人知人が集まった。2015年に離婚した郷敦くんのお母さんも京都から飛んで来たんですよ。 2回結婚して2回離婚。おカネにもルーズ。皆、千葉さんのよいところも悪いところも知っている人たち。いろいろあったけど身近でかかわった人たち皆から、彼は愛されていました」 千葉さんは毀誉褒貶の激しい人生を送ってきた。日本体育大学を中退し、東映に入社したのは1959年。アクションができる俳優として期待され、1960年に特撮ヒーロー作品の『新 七色仮面』で主演デビューした。その後は数々のテレビドラマや映画で活躍。大ヒットドラマ『キイハンター』(1968~1973年・TBS系)や、映画『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973年)で好演し、俳優としての地位を確立させていく。 さらに千葉さんは、世界で通用するアクション俳優やスタントマンの育成のため、1970年に「ジャパンアクションクラブ」(JAC)を設立。そこから真田広之(60才)や志穂美悦子(65才)といったアクションスターを輩出した。家にはほとんど帰らず、借金は数億円に 日本のアクション俳優の草分けとなった千葉さんだが、私生活ではマスコミを騒がすことも少なくなかった。その最たるものが、2017年に亡くなった女優・野際陽子さん(享年81)との「結婚」と「離婚」だろう。『キイハンター』での共演をきっかけに、千葉さんと野際さんは1973年に結婚した。「肉体派のアクション俳優と、元NHKアナウンサーでフランス留学経験もある“お嬢様女優”の結婚は世間を騒がせました。当時のマスコミはこのカップルを『美女と野獣』『水と油』などと書き立てました」(ベテラン芸能記者) 結婚3年目には、長女・樹里が誕生。やんちゃな夫と、それを支える賢妻という“おしどり夫婦”のイメージが定着したが、結婚10年を過ぎた頃から、夫婦生活の歯車がきしみ出した。「千葉さんはJACや映画プロデュースにのめり込み、家に帰るのは1年のうち3日くらい。その上、事業に失敗して数億円規模の借金を抱えてしまった」(前出・芸能記者) 千葉さんと野際さんは1994年に離婚。マスコミは当時、家庭を顧みずに膨大な借金を作った千葉さんに対し、野際さんが「三下り半」を突きつけた、というストーリーを大々的に報じた。しかし、『女性セブン』記者は生前の千葉さん本人から次のような話を聞いていた。「決して憎しみあって別れたわけじゃない。陽子はいつも僕の態度や目の色が変わると察知して、『パパ、おいしいワインでも飲みますか?』なんて言ってくれる気遣いの人。僕は家で一度も怒ったことがないし、夫婦喧嘩もしたことないんです。彼女との結婚生活は本当に楽しい日々でした。 なぜ別れたのかというと、僕は映画の夢を叶えるために、どうしてもアメリカに行きたかった。でも彼女は日本で女優を続けたいし、向こうで暮らす自信もないと言う。あくまで僕の夢のために『別れよう』と切り出したのは彼女の方でした。財産分与も慰謝料もなし。『一時的に別れよう』そんな感じだったのです。 あのとき、一緒にアメリカに行っていたら、ずっと夫婦のままだったかもしれない。そんなこと言うと2番目の妻に怒られるけどね(笑い)」 離婚後、野際さんはそれまでセーブしていた女優業に力を入れていく。野際さんは離婚の少し前に出演した『ずっとあなたが好きだった』(1992年・TBS系)で、息子の「冬彦さん」を溺愛する母親役を演じて以来、“着物姿の姑役”が定着。ドラマ界で引っ張りだこになった。「よかったと思うのは、離婚してからの彼女が女優としてハツラツと輝いてくれたこと。いま思えば、陽子は結婚に向いていなかったのかもしれない。僕の世話をしたり、ご飯を作ったり、そんなことをしてちゃダメな人だった。でも、陽子が作ってくれたパスタは、いまでも思い出すくらいおいしかったなぁ」(千葉さん) 野際さんも離婚後、親しい知人に対し、「私たちは“完婚”したの。結婚生活が途中でダメになったのではなく、完成したの。だから別れたのよ」と語っていたという。今頃は天国で再会し、仲良く寄り添っているのかもしれない。※女性セブン2021年9月9日号
2021.08.25 16:00
女性セブン
娘の真瀬樹里が野際陽子さんからの言葉を振り返る(写真は2008年ごろ撮影/事務所提供)
野際陽子さんが娘へ「苦しい思いをさせてごめん。気づかなくてごめん」
 愛する家族が遺してくれた「言葉」は、今も心に生き続けている──。野際陽子さんからもらった言葉ついて、娘の真瀬樹里が振り返る。 * * * 20歳の誕生日に母から手紙をもらったんです。「20年と28週間前にあなたを身ごもった日から、私はずっとあなたのことを私の宝と思い、神からの最高の贈り物と思って、あなたの存在を神に感謝し続けてきました。生まれてきてくれて、私の娘としてこの世に存在してくれて本当に本当に有難う」と書かれていました。 何かあった時でも、母に愛されていたことを感じることができる。その言葉がこれまでずっと支えになっています。〈NHKアナウンサーを経て1963年に女優デビューした野際陽子さんは1973年に俳優の千葉真一と結婚し、現在、女優として活動する真瀬樹里が生まれた。38歳での出産は当時「芸能人の出産最高齢記録」とされた〉 私は小中学生の頃によく人間関係に悩むことがありました。すると母から「相手に自分がどう思われていようが、相手に嫌われていようが、あなたは相手を受け入れていなさい」と言われました。まずは相手自身を受け入れるという姿勢でいれば、相手もいつか歩み寄ってきてくれるから、と。これは仕事をしていく上でも、人間関係でも、私が生きていく上で長らく役に立った教えです。 母は芸能活動については反対でした。5歳の時に父(千葉真一)の舞台に誘われて、私も役者をやりたいと母に伝えたら、幼稚園の規則で芸能活動を禁止されていたから絶対ダメだと許してくれませんでした。どうしても仕事を始めたいから転校すると言ってもダメで、「俳優になるのは高校を卒業してから」の一点張りでした。私が女優としての仕事を始めたのは大学に進学してからです。 母は、「自分さえ輝いていれば、まわりは引き寄せられてくる」「素敵な女優になる前に素敵な女性になりなさい」と常に話し、多くのアドバイスをもらいました。 人としての在り方や礼儀などにとても厳しい母でした。 私が30歳を過ぎた頃に、70歳前後の母と本音で言い合ったことがあります。母に甘えたいのに甘えられなかったことを泣きながらぶつけました。母は「苦しい思いをさせてごめん。気づかなくてごめん」と謝りながら抱きしめてくれました。〈テレビドラマを中心に活躍した野際さんは、2016年秋からドラマ『やすらぎの郷』の撮影に参加していた時に肺腺がんが再発。2017年5月7日まで撮影を続行し、翌日に肺炎を併発して入院。1か月後の6月13日に81歳で死去した〉  2016年にがんが再発してからも、母とは毎日、色々な話をしました。ドラマの撮影が続いて辛そうだったので「休めないの?」と聞いても、母は「そういうわけにはいかない」と言う。どんな状況でも一度受けた仕事の責任を果たそうとしている姿を私は見ていました。入院中には、私が出ている番組を見て「あなたはよかったけれど、出番が短い。もうちょっと見たかった」と文句を言ってくれました(笑)。普段の母はおふざけが好きな三枚目でしたが、仕事には厳しかったからそれは嬉しい言葉でしたね。 母がそう思っていたのかはわかりませんが、最後の入院をした時も私は必ず退院できると信じていました。亡くなる1週間ほど前、病室に2人でいる時に、母は私を力強く抱きしめてくれました。片手は点滴を打っているからもう一方の腕で、病気とは思えない力で、“絶対に離さない”といわんばかりに私の頭を抱きしめてくれた。その時母は何も言わなかったけれど、それが言葉以上に大きな思いとして私に伝わってきました。 その後、症状が悪くなり、話もできなくなって……。最期は親族やスタッフに見守られて、私が母を抱きしめたまま息を引き取りました。※週刊ポスト2021年8月20日号
2021.08.14 07:00
週刊ポスト
1972年、千葉真一さんとの結婚会見(共同通信社)
女子アナ人気の土台を築いた2人の“元アナ”の功績
 現代でこそ女子アナは才色兼備を象徴する「憧れの職業」となったが、黎明期にその“土台”を築いたのが元NHKアナで女優の野際陽子さん(享年81)と、元日本テレビの石川牧子アナ(70)だ。しかし2人が後進に与えた影響は対照的だという。女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏は野際を「太陽」、石川アナを「月」にたとえてこう解説する。「まだ働く女性が少なかった1958年、超難関のNHKに入局したのが野際さんです。最初の赴任地の名古屋で観測史上最大と言われた伊勢湾台風を生中継でリポートするなど花形アナとして活躍しました。その美貌は相当なもので、野際さんの上司だった石田武アナの息子・石田純一は当時の野際さんを見て『普通じゃない美しさだった』と評していました」 野際は4年後に退局し、広告代理店を経て女優に転身した。「女子アナとして知的な美女という世間の認知度を高めた上で、『キイハンター』などで大ブレイクした。いまでいう“フリー”で活躍する先駆け的な存在で、後の女子アナたちの活躍の道を照らしました」 もう1人、女子アナという職業の地位向上に貢献したのが、1970年に日テレに入社した石川アナだ。「石川さんは報道からバラエティまで広く活躍したマルチなアナ。1977年に始まった『アメリカ横断ウルトラクイズ』の総合司会で有名になりましたが、 1980年にはアフガニスタンの難民女性への取材に成功するなど目覚ましい実績を残しました」 石川はアナウンス部長として後輩への厳しい熱血指導を行なったことでも有名だったという。「その指導ぶりは“鬼教官”と呼ばれたほどで、現在は実力派として広く知られる羽鳥慎一アナや馬場典子アナを新人時代の指導中に泣かせたという逸話が残っています」 その背景には、女性の活躍が難しかった当時の環境がある。「石川さんは後年バラエティ番組で、『新入社員の頃は男尊女卑が根強く、男性とニュースを読む際には女性は男性よりも1メートルほど下がって読む決まりがあった』と話していた。その中で、確かなアナウンス力を武器に入社27年目で女性初のアナウンス部長にまでのし上がった。表舞台から退いた後も女子アナの立場を高めた人物です」 2人が残した足跡は対照的だが、アナウンサーとしてだけでなく女性の社会進出にも大いに貢献した点で共通していた。(文中敬称略)※週刊ポスト2020年1月17・24日号
2020.01.12 07:00
週刊ポスト
二宮和也、向井理もハマる「500円玉貯金」、長続きさせるコツは?
二宮和也、向井理もハマる「500円玉貯金」、長続きさせるコツは?
 コツコツ貯める派に根強い人気の500円玉貯金。続けられればあっという間に貯まるのが魅力だが、なかなか長続きしないと挫折する人も多い。そこで、勝者と敗者の違いを探るべく『女性セブン』の読者サイト『セブンズクラブ』で746人にアンケートを実施した。 アンケートでは、読者の半数以上(57%)が500円玉貯金をしたことがあるという結果が出た。「財布に500円玉があると、“貯金に回そう”という気持ちになって楽しいです。貯金箱がずっしりと重くなると、貯まったなと実感できますし、あっという間に2万~3万円になっているので、貯めがいがあります」(53才・主婦)「毎日、500円玉を貯金箱に入れたらシールを貼る。シールがたまっていくと幼い頃みたいにワクワクします」(34才・公務員) など、成功者には楽しみながら貯めているという声が多かった。ファイナンシャルプランナーの森田悦子さんは、500円玉貯金のコツを次のように語る。「貯金がうまい人は、貯めること自体を楽しんでいます。500円玉貯金ができた日はカレンダーに印をつけて、10枚貯まったらケーキを買うなど、最初はご褒美を目標にしてみましょう。続けるうちに貯めること自体が楽しくなってきますよ」 また、節約系ライターのはなさんは、「お釣りは必ず500円玉でもらう」「帰ったら必ず貯金箱に入れる」など、簡単なルールを決めることが、長続きの秘訣だと言う。 芸能人にも多くの実践者がおり、嵐の二宮和也(35才)は、80万円貯めたことをテレビ番組で公表。向井理(36才)は猫の貯金箱に貯め続けており、昨年亡くなった野際陽子さんは500円玉貯金でグランドピアノを購入したと、本誌に明かしていた。◆500円玉貯金はダイエットと同じ 500円玉貯金はちょっとした心がけで長続きすると、節約系ライターのはなさんは言う。「500円玉貯金は地味な長期戦と心得るようにしています。“500円玉をゲットしなくては!!”と気負ってしまうと続きません。“今日は500円玉がお財布にあるわ。ラッキー”くらいの気楽さとゆるさが大切。100万円貯めるなど、高い目標ではなく、1年で5万円貯めたいなくらいの気持ちでいましょう。 500円玉の確認のため、1日1回は財布の中を見ることになるので、同時にレシートもチェックすれば、自分が何にお金を使っているかもわかります」(はなさん) 500円玉貯金はダイエットと同じで、数字の変化で成果が見えると、うれしさが倍増し、成功しやすいと前出の森田さん。「時々、貯金箱を開けて数えるのも楽しいですが、使ってしまう誘惑に負けそうな人は、500円玉が入った貯金箱の重さを感じるのもおすすめです。重さで増えていることが実感できればやる気になりますよ」(森田さん) あくまで目安だが、500円玉は1枚で約7g。卵1個分(約60g)の重さで4000~4500円貯金できたことになる。※女性セブン2018年10月11日号
2018.09.29 07:00
マネーポストWEB
樹木希林さんに学ぶ、「汚れ役」を引き受ける生き方
樹木希林さんに学ぶ、「汚れ役」を引き受ける生き方
 9月15日に亡くなった女優の樹木希林さん(享年75)。彼女が芸能界に残した足跡は、他の女優には真似のできないものであった。樹木さんの女優としての生き方は、どんな分野においても通用するのではないか、と分析するのは、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏だ。中川氏が考察する。 * * * 女優・樹木希林さんが亡くなりました。「個性派女優」「演技派女優」などと言われてきましたが、樹木さんの生き方は多くのビジネスマンにとって参考になることでしょう。彼女の圧倒的才能はおいといて、彼女は「定説」をぶち破る芸能活動を続けてきたのでした。 昭和の女優といえば、基本的には「絶世の美女」だらけでした。今では自称も含め、「女優」は名乗り放題になっていますが、当時は映画で実績を挙げ、テレビに進出して主役を張りまくり、そしてCMでも引っ張りだこになる人のみが「女優」としての存在を認められました。故・原節子さんはとにかく映画女優に徹し、42歳にして表舞台から姿を消しました。 原さんに続く女優は映画だけの活動に留まりません。そして、彼女よりも20~30歳ほど年下の女優達は今でも高齢女性役を演じ続けていますが、基本的には美しい女性が清廉潔白さを維持しつつ素敵な高齢者になった――的な役柄が与えられている印象です。あまりにも大女優になっただけに、彼女達をキャスティングする側も忖度するでしょうし、事務所としても若き日の清純イメージと年を取ってからの「ステキなおばあ様」的イメージを崩したくないのでしょう。 とはいっても、現実の婆さんなんて、入れ歯を食事中にいきなり取り出したり、外を歩くにしても手押し車を押してそこかしこでその手押し車に乗って一休みしていたりする。オレオレ詐欺にひっかかって泣き喚いたり、病院へ行くタクシー代がもったいないから近所に住む息子の嫁の中でお人よしの嫁を使い倒しゴーマンに振る舞ったりするものです。電車に乗ったら乗ったで圧倒的に疲れているサラリーマンが座る前でため息をついて「あぁ、疲れたねぇ……」なんて独り言を言って、「どうぞどうぞ」と席を譲られてもお礼を言うでもなく当たり前かのようにそこに座る。 高齢者だからといって全員が立派でもないし、聖人君子でもないし、ましてや美男美女だらけなわけがない。むしろ、日々の仕事やら人間関係が少なくなっているからひがみ根性も出てくるし、自分が社会からニーズがない……と絶望している人だって大勢いるわけですよ。あっ、これは私の親族と実家の近所の人の話です。 だからこそ、『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)に出てくる素敵な高齢女性(浅丘ルリ子、有馬稲子、五月みどり、野際陽子、加賀まりこ、風吹ジュン、八千草薫)だらけの状況はあまり私自身よく分からない。認知症の母を介護する人などはよく理解できると思うのですが、後期高齢者ともなれば「恋」だの「ステキなおばあ様」でいるより、とにかくキレない、排泄物をまき散らかさない、身近な人に猜疑心を抱かない、といった状況にいることの方がよっぽど周囲の人にとっては有難い。◆人間界には必ず汚れ役がいる 樹木さんが演じてきたような、時に薄汚かったりえげつなかったり貧乏くさかったりする老婆役を演じられる女優がこれから果たして出てくるのでしょうか? 樹木さんは『寺内貫太郎一家』(TBS系)で31歳にして老婆の役を演じました。樹木さん以外に目を向けると、今年92歳で亡くなった菅井きんさんは37歳の時に『必殺仕置人』で「ムコ殿!」と中村主水(藤田まこと)に色々言う姑役を演じました。 赤木春恵さんも『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)をはじめ、イヤ~な老婆役を演じてきました。でも、現在は94歳。それよりも若い菅井さんと樹木さんが亡くなり、日本の演劇・映画・ドラマ界における薄汚く意地悪で惨め、でも時にハッと本質を突く老婆の役を演じる女優の人材は足りなくなっているのかもしれません。 そもそも日本のエンタメ界においては、『いじわるばあさん』を青島幸男さんが演じ、ドリフのコントのクソババアはいかりや長介さんが演じてきた。これは、昭和の時代の女優の多くが、年老いた意地悪で薄汚い老婆の役をやりづらかった点が背景にあるのでは。もちろん、そうした役が様々な作品で存在したのは分かるので、映画やドラマに詳しい方からは「○○という映画ではあった!」みたいな反論はあるでしょう。ただ、こうした役柄をキラキラしたスター女優が演じる土壌が果たしてあったのか? ということです。 青島幸男さんやいかりや長介さんといった男性の力を借り、成立してきた「クソババア」役。その中の2大巨頭ともいえる菅井きんさんと樹木希林さんが亡き今、案外芸能事務所は自社が抱えるクソババアキャラを売り込むチャンスかもしれません。それは、いわゆる「女優さん」が嫌がって忌避してきた汚れ役を引き受けるということです。かつて菅井さんと樹木さんがやり、その立場を確固たるものにしてきたように。 この偉大なる実績には敬意を表しつつ、今こそその後釜を取るべく動き出す時期でしょう。もちろん、比較はされ、「あの2人を超える人材はいない」と酷評されるかもしれない。 でも、人間界には汚れ役が必ずいます。そして、その役をきっちりとこなすことができる人こそ、誰よりも高く評価される。それは俳優の世界に限らず、ビジネスの世界でも同じではないでしょうか。そこに活路を見出すと案外その分野のスペシャリストになりいい思いができることはあります。
2018.09.22 16:00
マネーポストWEB
没後15年 写真家・秋山庄太郎氏が撮影した名女優たち
没後15年 写真家・秋山庄太郎氏が撮影した名女優たち
 女優のポートレートや花の写真家として第一線で活躍した写真家・秋山庄太郎氏が2003年1月16日に82歳で急逝してから15年を迎える。 戦後間もない1946年、26歳から写真家として活動を開始し、本誌・週刊ポストをはじめ数多くの週刊誌・月刊誌の表紙やグラビアなどで精力的に作品を発表し続けた。 一時は18誌もの表紙を飾り、写真家の社会的地位向上や後進の育成にも尽力。晩年には紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受章した、日本写真界を代表する氏の作品をここに紹介しよう。●撮影/秋山庄太郎、写真提供/秋山庄太郎写真芸術館※週刊ポスト2018年1月26日号
2018.01.16 07:00
週刊ポスト
追悼2017 野際陽子さん、小林麻央さん他、女性芸能人たち
追悼2017 野際陽子さん、小林麻央さん他、女性芸能人たち
 2017年を振り返れば、多くの人が旅立った。彼らの活躍や生き様は、私たちの目に、心にしっかりと刻まれている。この1年で惜しくもこの世を去った女性芸能人たちを紹介する。●月丘夢路さん(女優、享年95) 1937年宝塚音楽歌劇団に入団、娘役スターとして人気を博す。在団中に出演した映画『新雪』(1942年)が大ヒットし、退団後は映画女優として活躍。代表作は『ひろしま』(1953年)、『美徳のよろめき』(1957年)など。5月3日、肺炎のため没した。●小林麻央さん(フリーアナウンサー、享年34) 上智大学在学中に『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)に出演し注目を集め、2006年『NEWS ZERO』(日本テレビ系)のサブキャスターに抜擢。2010年に歌舞伎役者の市川海老蔵と結婚した後、2016年5月、乳がんであることを公表。今年6月22日、「愛してる」の言葉を最後にこの世を去った。●野際陽子さん(女優、享年81) NHKアナウンサーを経て、ドラマ『キイハンター』(1968年)で人気女優の仲間入りを果たす。同作で共演した千葉真一(写真左)と1973年に結婚、1975年に一女(女優の真瀬樹里)をもうけるも、1994年に離婚。『ずっとあなたが好きだった』(1992年)で見せた、息子を溺愛する母親役の怪演が話題を呼んだ。ドラマ『やすらぎの郷』放映中の6月13日、肺腺がんのため死去。●ペギー葉山さん(歌手、享年83) 大ヒットした『南国土佐を後にして』『ドレミの歌』ほか、2000曲以上の楽曲を世に送り出した昭和の歌姫。夫の俳優・根上淳とは芸能界きってのおしどり夫婦で知られ、根上が脳梗塞で倒れてから7年間在宅介護を続けた。今年デビュー65周年を迎えたが、4月12日に肺炎により死去。●京唄子さん(芸人・女優、享年89) 故鳳啓助との夫婦漫才で大ブレイク。トーク番組『唄子・啓助のおもろい夫婦』は2016年に及ぶ長寿番組となった。1965年に離婚するもコンビは継続。女優としても活躍し、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)は代表作となった。4月6日、肺炎のため死去。※週刊ポスト2017年12月22日号
2017.12.19 07:00
週刊ポスト
1980年代に女子アナの「タレント化」を決定づけた中井美穂
1980年代に女子アナの「タレント化」を決定づけた中井美穂
 まだ女子アナという言葉がなかった1958年、今年6月に亡くなった女優の野際陽子がNHKに入社した。在籍期間はわずか4年と短かったが、朝のワイドショーの司会や1959年に発生した伊勢湾台風の現地レポートなど売れっ子アナとして世間に広く認知された。 これをきっかけにテレビ番組における「女子アナ」という存在が大きくなっていった。各局の女性アナウンサーたちはどのようにして今日のようなアイドル的な地位を確立していったのか。女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏が解説する。「野際さんの時代でいえば女性アナウンサーはキャリア女性の象徴で、高学歴で容姿端麗な女性が次々と採用されていました。“女子アナ”という呼び方の語源は諸説ありますが、1987年にフジテレビ出版より発行された女性アナ14人の発言集『アナ本』がきっかけではないかといわれています」(以下同) 1980年代に入ると、女子アナの「タレント化」が急速に進む。「1987年にフジテレビに中井美穂アナが採用され、入社2年目で『プロ野球ニュース』を担当。それまでベテランアナが牽引してきた番組に、野球知識ゼロの彼女を起用し、新風を巻き起こしました。 監督や選手たちが彼女に特ダネを提供する事態にまで発展したほどです。そればかりか中井は月9ドラマ『同・級・生』にレギュラー出演し、女子アナのタレント化を決定づけた。さらに1988年、フジテレビに有賀さつきアナ、河野景子アナ、八木亜希子アナの“花の三人組”が入社したのも大きい。フジは彼女たちをまるで新人アイドルのように売り出しました」 1980年代後半から1990年代にかけて女子アナ=局の顔という構図が出来上がっていった。「フジだけでなく日本テレビも1993年に開局40周年を記念し、当時の新人女子アナ、永井美奈子アナ、薮本雅子アナ、米森麻美アナらによるユニット『DORA』を結成、CDを発売しました。 そしてこのあたりから、各局の採用傾向が如実に表われてきます。フジは若い男性層が好む王道アイドルアナ、TBSは報道キャスター向きのクール美女、テレ朝は上品なモデル系を採用していました」■取材・文/河合桃子、写真/ロケットパンチ※週刊ポスト2017年10月27日号
2017.10.17 07:00
週刊ポスト
「仕事はいつでも完璧」偲ぶ会で明かされた野際陽子さん秘話
「仕事はいつでも完璧」偲ぶ会で明かされた野際陽子さん秘話
 9月末、東京・赤坂にある有名中華料理店に、羽田美智子(49才)、吉田羊、山本圭(77才)、矢田亜希子(38才)らの姿があった。今年6月に肺腺がんで亡くなった野際陽子さん(享年81)を偲ぶ会が開かれていた。「2010~2015年に4シリーズにわたって放送され、野際さんも出演していた昼ドラ『花嫁のれん』(フジテレビ系)のメンバーやスタッフが総勢70人ほど集まりました」(テレビ局関係者) テーブルの上には、着物を着た野際さんの写真と、スタッフや共演者で撮った集合写真の2点が置かれている。「羽田さん、目を赤く腫らしていました。『花嫁のれん』で野際さんの義理の娘役を演じた羽田さんは、野際さんのことを芸能界の母と呼んで慕っていましたから。ドラマの撮影中に、よく写真を仲よく撮っていましたね…」(ドラマ関係者) 羽田は生前、野際さんの病を知る数人のうちの1人だったという。「2014年のドラマ収録中に本人から知らされていたそうです。羽田さんは、親族と親しいスタッフだけで執り行われた四十九日法要にも参列していました。もともと野際さんのお嬢さんの真瀬樹里さん(42才)は、お別れの会を開くつもりはありませんでした。野際さんたっての希望で多くの人の時間を奪うようなことをしないでほしいと言っていたそうです。そういう時間があるなら、いい作品を作る時間にあててほしいと。それでも出演者のかたたちの強い思いもある。今回の偲ぶ会は真瀬さんの許可も得て、大がかりなものは避ける形で開かれたようです」(野際さんの知人) 出演者たちが野際さんとの思い出を明かしていく。「ドラマの撮影中、何度も羽田さんは病気のことをスタッフにも伝えてスケジュールを調整してもらうよう進言したそうです。でも、野際さんは断固拒否。女優ならば、どんな状況でも引き受けた仕事は完璧にこなすべきだと譲らなかったそうです。野際さんらしいですね。羽田さんはそのエピソードを話しながら嗚咽をもらしていました。野際さんを笑顔で送り出すつもりが、思い出すと涙が止まらなかったようです」(前出・ドラマ関係者) 会に出席していた真瀬も感無量の様子だったという。「野際さんがいかにたくさんの人に愛され、慕われていたかを実感し、みなさんに感謝しきりだったようです。そして、『母のような人に近づけるようにがんばる』と話したそうです」(前出・野際さんの知人) 真瀬は黒柳徹子(84才)の激動の半生をドラマ化した『トットちゃん!』(テレビ朝日系)に野際さん役で出演する予定。「娘たち」は、これからも野際さんの背中を追っていく。※女性セブン2017年10月26日号
2017.10.14 07:00
女性セブン
田中邦衛、自宅でリハビリ 『北の国から』新作への期待も
田中邦衛、自宅でリハビリ 『北の国から』新作への期待も
 最後の放送から15年が経っても、いまだに北海道・富良野のロケ地には数多くのファンが足を運ぶ。『北の国から』の続編への期待が膨らむ陰で、独特な演技で人々を魅了した「五郎さん」も復帰に向けた道を着々と進んでいた。《灯は小さくても いつも暖かい。 “北の国から”》 横浜市内のとある飲食店の壁に、そう力強く書かれた少し日焼けした1枚のサイン色紙が飾られている。日付は「2007年春」。綴ったのは田中邦衛(84才)だ。 表舞台から姿を消して7年、老人ホームでの闘病生活2年。田中は今、自宅で必死にリハビリにはげんでいるという。 主演の石坂浩二(76才)の脇を固めたのは、元妻・浅丘ルリ子(77才)と、元恋人・加賀まりこ(73才)。八千草薫(86才)やミッキー・カーチス(79才)、藤竜也(76才)といった往年の大スターが顔を揃え、野際陽子さん(享年81)の遺作となった。9月29日、話題をさらった『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)が最終回を迎えた。「ドラマの放送が終わったらガクッときて、“やすらぎの郷ロス”になるんじゃないかな」 脚本を担当した倉本聰さん(82才)は、本誌・女性セブンのインタビューにそう答えていた。だが倉本さんには、すでに多くのファンから次回作への期待が寄せられている。 それは国民的ドラマとして親しまれた『北の国から』(フジテレビ系)の続編だ。 1981年から翌1982年にかけて連続ドラマとして放送され、1983年から2002年までに8本のスペシャル版が制作された同ドラマは、田中演じる黒板五郎が、純(吉岡秀隆・47才)と蛍(中嶋朋子・46才)を連れて生まれ故郷の北海道・富良野に帰ってくるところから物語が始まる。北海道の厳しい大自然の中で家族3人で懸命に生きる様子と、小学4年生だった純と2年生だった蛍の成長物語としても人気を博し、スペシャル版は常に視聴率20%超えを記録した。 列車の窓から手を振る母・令子(いしだあゆみ・69才)を追って川縁を走る蛍。五郎が1人で作り上げた丸太小屋の焼失。岩城滉一(66才)演じる草太兄ちゃんの事故死──挙げたらキリがないほどの名場面に彩られた同ドラマには、しかし、2002年の『遺言』を最後に続編は作られないままでいる。「連ドラ当時から携わったスタッフの高齢化や、北海道での過酷な長期ロケと制作費の高騰などさまざまな事情から、『遺言』でシリーズに幕が下ろされたことになっています。ですが、倉本さんの頭の中には最終章の構想がしっかりとあるんです。『やすらぎの郷』を終えたこのタイミングであればもしかして…とファンだけでなくテレビ業界でも待望論が持ち上がっています」(芸能関係者) その一端は、倉本さん自身の言葉からも垣間見える。ドラマの最後に結ばれた純と結(内田有紀・41才)の新居が富良野のロケ地に完成した際の2004年のイベントでは、『遺言』から新居完成までのシナリオを披露。「『北の国から』はここで進行中。新たな家も建設予定」と話し、集まったファンを喜ばせた。2011年に刊行した『獨白 2011年3月  「北の国から」ノーツ』には、さらに踏み込んだ未来が綴られている。《純はたぶん、富良野にいないと思うンだ。あいつは結ちゃんと離婚して、結局東京に出て何かやってる。(中略)親爺のことは思っちゃいるけど、定期的に仕送りをしてくるわけでもない》《蛍は正吉と関東にいる。(中略)でも忙しいから正吉も蛍も、富良野に顔はめったに出さない》《五郎は一人で相変わらずやってる。(中略)五郎って人はね、昔から税金をおさめてないンだよ。年金も勿論払ってなンかいない。だから入ってくる年金なんて全くないし、生活保護も受けてない。(中略)オラは無国籍だ。日本人とはいえん。自然人だ。自然の世話になってる自然の民だ。独居老人の毅然とした生き方》 さらに、『文藝春秋』(2012年3月号)には、「頭の中の『北の国から』――2011『つなみ』」と題した文章を寄稿した。《その後の純の人生は些か波乱に満ちている。2003年。純は結との結婚を果たし(中略)二人は蜜月を過ごすが、2006年破綻が来る。些細ないくつかのいさかいの揚句に、結は突然消えてしまう。狂ったように純は探すが結の行方は遥として判らない》《蛍は看護師の資格を生かして南相馬市立総合病院に職を得、(中略)巨大地震が東北地方を襲ったとき、蛍は入院病棟で勤務についていた》 現実に起きた震災も取り入れ、今にも登場人物たちが動き出さんとするほどのリアルな「最終章構想」。15年ぶりの『北の国から』に期待は高まる一方だが、それでも新作の制作に取りかかることができない最大の理由を、別の芸能関係者が明かす。「『北の国から』は、五郎の物語なんです。五郎が登場しない、つまり、田中さんがいない『北の国から』はありえないと、倉本さんはいつも漏らしていますから…」◆万全じゃないと家に戻れない 田中が最後に出演を果たしたのは2010年公開の映画『最後の忠臣蔵』だった。2012年に地井武男さん(享年70)のお別れ会に出席したのを最後に公の場にも姿を見せていない。「旧友だった地井さんが亡くなったときの憔悴ぶりは見ていられないほどで、その後2014年に高倉健さん(享年83)と菅原文太さん(享年81)など、同年代の役者仲間が次々逝ってしまったことが相当堪えたようです。その頃から健康不安説が囁かれるようになり、2015年の夏に高熱を出して入院。2週間ほど入院して無事回復しましたが、もともとよくなかった足の具合が悪化して、歩行が困難になってしまったんです。家族で話し合い、老人ホームへの入居を決めたそうです」(前出・芸能関係者) 横浜市内の自宅近辺では、以前から健康のために散歩する田中の姿が頻繁に見かけられていた。しかし、入居後は自宅に戻ることもほとんどなくなり、妻と次女が施設に通う日々が続いた。「まずは足をしっかり治して、田中さん本人もすぐに家に戻ってくるつもりでいたんです。ですが、思うようにリハビリが進まないこともあって、施設での時間だけが延びていった。自分の体が動かないことに、イライラが募ることもあったそうです。完璧主義者な面もあり、万全な状態じゃないと家に戻れない、と考えていたみたいですね。 認知症というような噂が出回ったことがありますが全然そんなことはなくて。本人が“この年だからせりふを覚えるのも難儀するんだ”と言ったのが独り歩きしてしまったようです。むしろ頭がはっきりしている分、体が不自由なことにさらに悩みが深くなってしまっていたみたいです」(前出・芸能関係者) だが、施設での闘病が2年を過ぎて、大きな変化が訪れていたようだ。最近になって、田中の自宅玄関に、車椅子用のスロープが設置されたのだ。「田中さんは自宅に戻る頻度が増えているんです。リハビリの成果が出て自力で歩くことができるようになったのもあって、田中さんにとっては感動の帰宅でしょうね。施設ではなく自宅でも車椅子の生活が日常的に送れるようになれば、次に見えてくるのは役者復帰。倉本さんの構想は独居老人ですから、“車椅子の五郎さん”として、『北の国から』の未来の姿を目にする日がくるかもしれません」(前出・芸能関係者) どんなに小さくても、その灯は消えない。※女性セブン2017年10月26日号
2017.10.12 07:00
女性セブン
なぜ今、黒柳徹子なのか 自伝ドラマに密着取材の番組も
なぜ今、黒柳徹子なのか 自伝ドラマに密着取材の番組も
 このところ、黒柳徹子(84)の話題が何かと取り上げられている。10月2日に始まるドラマ『トットちゃん』をはじめとして、多くのメディアに引っ張りだこなのだ。先日には、8月末に右大腿骨を骨折しながら主演舞台に立ったことが大きなニュースになった。なぜ今、黒柳徹子なのか。コラムニストでテレビ解説者の木村隆志さんが解説する。 * * * 10月2日、ドラマ『トットちゃん』(テレビ朝日系、月~金曜12時30分)がスタートします。同作は徹子さんが生まれる前の黒柳家から、「トットちゃん」と呼ばれていた子ども時代、「テレビ女優第1号」となったNHKでの日々、初めて明かされる国境を越えた恋までを描いた半生記。同作の前には『徹子の部屋』(月~金曜12時~)が放送されている上に、CMをはさまずにドラマがスタートするなど、「テレビ朝日の昼は、まるごと徹子さん」という形になります。 また、9月27日には、『1周回って知らない話』(日本テレビ系)の特番に徹子さんが出演。「今年1月に出演したばかりにも関わらず再登場」「テレビ初のプライベート30時間密着」という異例の大特集が組まれました。 土曜には1986年の初回からレギュラー出演している『世界ふしぎ発見!』(TBS系)も放送されているほか、「日本パンダ保護協会名誉会長」だけに上野動物園の赤ちゃんパンダ・シャンシャンの報道でも何度となく登場。振り返ると、8月にも『24時間テレビ』(日本テレビ系)へ38年ぶりに出演していましたし、見た目も声もそっくりのアンドロイド「totto」が開発されるなど、徹子さんを目にする機会が増えています。◆中高年層に加え、若年層の支持も獲得 前述した日本テレビの『1周回って知らない話』は、テレビ朝日の『トットちゃん!』放送開始5日前に放送されました。「このタイミングで黒柳徹子さんをフィーチャーするなんて、他局へのアシストになりかねないのになぜ?」と思った人もいるのではないでしょうか。 しかし、民放各局のスタッフは、「テレビ朝日のアシストになったとしても、徹子さんのネタを扱いたい」と思っているのです。 徹子さんは64年もの間、第一線で活躍し続けてきただけに、中高年層からの支持が厚いのは言うまでもありません。さらに、ゴールデンタイムで『徹子の部屋スペシャル』が何度も放送され、嵐やマツコ・デラックスさんなどと共演したことで、若年層の人気もアップ。実際、今年5月には女性誌『FRaU』(講談社)の表紙を飾りましたし、これまでも国民的タレントでしたが、今なおアップデートを続けていることがわかります。 昨年4~6月に放送されたドラマ『トットてれび』(NHK)も、今年のフィーチャーにつながりました。同作は好評ながら30分×全7話のみで終了したため、「もっと見たい」「もっと知りたい」という声が続出。視聴者だけでなく、テレビマンたちも「やっぱり徹子さんは面白い」と感じ、その価値を再認識したからこそのオファーではないでしょうか。 タレントたちが「『徹子の部屋』に出ることを目標にしている」という側面もあります。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の終了以降、「出演したいトーク番組」が『徹子の部屋』だけになりました。特に芸人たちは、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で「徹子の部屋芸人」が放送されてからは、同番組への出演を目標にしているようです。◆高齢芸能人の訃報が続く寂しい現実 視聴者、テレビマン、タレント。いずれも徹子さんを求める声があがっているのは、「その明るい姿を見て元気をもらえるから」だけではありません。徹子さんと親交の深かった同い年の永六輔さんが昨年7月に、3歳年下の野際陽子さんが今年6月に亡くなるなど、「近年、高齢の芸能人が次々に亡くなっている」という寂しい現実が影響を及ぼしています。 テレビ番組全体を見ても、生放送のニュース系情報番組が増えたことで、高齢の芸能人が姿を見せる場が減りました。「往年のスターたちの名前をひさびさに聞いたと思ったら訃報だった」というケースが増えているだけに、「徹子さんの姿を見てホッとしたい」という心境の人は多いでしょう。 徹子さんは現在84歳の年女。現在、舞台に出演中ですが、今年の残り3か月間でどんな姿を見せてくれるのでしょうか。引いては、いつか訪れるであろう、国民栄誉賞を受賞する日にどんな顔でどんなコメントをするのか、楽しみでなりません。【木村隆志】コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者。雑誌やウェブに月20本前後のコラムを提供するほか、『新・週刊フジテレビ批評』『TBSレビュー』などの批評番組に出演。タレント専門インタビュアーや人間関係コンサルタントとしても活動している。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』『話しかけなくていい!会話術』『独身40男の歩き方』など。
2017.10.01 07:00
NEWSポストセブン

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