三遊亭圓楽一覧

【三遊亭圓楽】に関するニュースを集めたページです。

林家木久扇(撮影・小倉雄一郎)
林家木久扇が見た「日曜夕方の伝説司会者たち」、その意外な素顔
 国民的長寿番組「笑点」(日本テレビ系)で、おバカキャラの“黄色い人”として大人気の林家木久扇さん。今日も日本じゅうに、バカの素晴らしさと底力を見せつけている。最新刊『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)が話題の木久扇さんに、座布団の上から見た歴代司会者の知られざる素顔を語ってもらった。(構成・石原壮一郎) * * * おバカのスーパースター林家木久扇です。おかげさまで、街を歩くと小さな子どもからも「あ、おバカの人だ」と指をさしてもらえます。こんなありがたいことはありません。 ぼくが「バカ」を看板にできているのは、ひとえに「笑点」のおかげです。大喜利メンバーになって今年で足かけ54年目。番組や寄席でよくネタにしていますが、その間に5人の司会者を送りました。そのたびに香典代が3万円ずつ……。感謝の気持ちを込めて、偉大な5人の歴代司会者と今の司会者の春風亭昇太さんについてお話しましょう。●初代司会者・立川談志さん(1966年5月~1966年11月) 初代司会者は、番組の生みの親でもある七代目立川談志さん。当時、落語が何となく敷居が高い芸になりかけていました。談志さんには「どうにかしないと、このままじゃ落語が滅びてしまう」という思いがあったんですね。それで「笑点」を立ち上げたんです。 談志さんが心配したように、もし「笑点」がなかったら、今ごろ落語はどうなっていたことか。先見の明がある人でしたね。まさに天才だったし、努力家でもありました。「笑点」の大喜利は、牢名主のイメージなんです。時代劇を見てると、牢名主は新人の畳を取り上げて、それを重ねて高いところで威張ってる。そこからの発想です。談志さんはさらに、大喜利という場を落語の世界の長屋に見立てた。司会者は大家さんで、メンバーが店子。歌丸さんが小言幸兵衛、小園遊さんはキザな若旦那、こん平さんは田舎から出てきた権助と、それぞれ役を割り振りました。 ぼくが大喜利メンバーになったのは、談志さんが衆議院選挙に立候補するからと司会を降りた次の週からです。ただ、その前から若手大喜利に出してもらったり、同じプロダクションでアドバイスを受けたりしていました。「笑点」のスタッフにぼくを推薦してくれたのも談志さんです。レギュラーメンバーになってから、談志さんに「木久蔵は与太郎だよね。その線で行ってみな」と言われました。そこでぼくの進む道が決まったんです。 味方も敵も多い人でしたが、すごい人であるのは間違いありません。ぼくや「笑点」にとってはもちろん、落語界にとっても大恩人です。●二代目司会者・前田武彦さん(1969年11月~1970年12月) 立川談志さんのあとを受けて二代目司会者になったのが、放送作家から売れっ子タレントになった前田武彦さん。談志さんの推薦だったそうです。同じ時期に「巨泉×前竹のゲバゲバ90分!」や「夜のヒットスタジオ」にも出てらっしゃいました。 司会がマエタケさんになったのと同時に、ぼくも大喜利のレギュラーになったんですけど、最初は右も左もわからず、あんまりおもしろい答も言えませんでした。「木久蔵は降ろしたほうがいい」という声もあったようです。「自分が好きなものをネタにするといいんじゃないか」という先代の円楽さんの助言もあって、半ば破れかぶれで、鞍馬天狗の声色で「杉作、ニホンの夜明けは近い!」と言い始めました。それが大ウケしたんです。 マエタケさんは器用で頭の回転も速い方でしたが、発想やリズムがバラエティ番組っぽくて、落語の世界のそれとはどうしても違いがある。メンバーにはちょっと不満があったようです。お互いにやりづらかったんじゃないでしょうか。でも、鞍馬天狗のネタを拾って伸ばしてくれたのは、マエタケさんです。とっても感謝してます。 マエタケさん時代に生まれたのが、大喜利メンバーのカラフルな着物と、今も流れているオープニングテーマです。オープニングテーマは中村八大さんの作曲で、今はメロディしか流れていませんが、歌詞もあるんです。「ゲラゲラ笑って見るテレビ」で始まるんですけど、作詞したのはマエタケさんで、ご自分で歌っていました。●三代目司会者・三波伸介さん(1970年12月~1982年12月) 50代以上の方にとっての「笑点」は、三波さんが司会のときのイメージが強いかもしれませんね。歴代最高視聴率の40.5%(ニールセン調べ、関東地区)を記録したのも、三波さんが司会をなさっていた1973年のことです。 あの方は、ぼくたち大喜利メンバーの個性を引き出しつつ、全体を楽しく盛り上げる手綱さばきが見事でした。大衆演劇の出身でコメディアンですから、いろんな笑いの寸法が頭に入ってるんですね。歌丸さんと小園遊さんの罵り合いや、ぼくの「いやんばか~ん」が番組の名物になったのも、三波さんが上手にリードしてくださったおかげです。 若い頃に浅香光代さんの一座にいたこともあって、演劇にはめっぽう詳しかったですね。番組の特番で歌舞伎の『勧進帳』をやったときに、ひとりずつ細かい動きを振りつけてくれたのはビックリしました。セリフから見得の切り方から、全部頭に入っているんです。三波さんのお得意のフレーズじゃないけど、「ビックリしたなあ、もう」でしたね。 映画のこともよくご存じで、モノマネも得意でした。ぼくが大喜利で昔の映画スターのモノマネをやると、掛け合いでモノマネをかぶせてくれるんです。「丹下左膳」の大河内傅次郎さんの口調で「シェイはタンゲ、ナはシャゼン」なんて言ったりして。「笑点」が人気番組としてお茶の間に定着したのは、三波さんのおかげです。もっとたくさん、古い映画の話とかしたかったですね。●四代目司会者・三遊亭圓楽さん(1983年1月~2006年5月) 三波さんの次が、先代の五代目三遊亭圓楽さんです。番組が始まったときからの大喜利メンバーでしたが、「落語に専念したい」と言って、1977年に番組を一回「卒業」しました。三波さんが急死して、司会者として戻ってきてくれたんです。 本人は「最初は2回だけのピンチヒッターって約束だったんだ」と言ってましたが、それから23年にわたって司会を務めました。今のところの最長記録です。圓楽さんに戻ってきてもらうのは、大喜利メンバーの願いでもありました。 圓楽さんは「落語界をどうにかしなければいけない」と、いつも考え続けていました。幕末の志士みたいに熱い想いを持った人でしたね。「笑点」を降りたちょっとあとに、師匠である六代目三遊亭圓生師匠とともに落語協会を飛び出したんですけど、それから1年ちょっとで圓生師匠が亡くなりました。 今さら協会に戻れないから自分の一派を作って、弟子たちに修行させる場が必要だからと、大きな借金を背負って「若竹」という寄席も建てたんです。結局「若竹」は4年半で閉めることになりましたが、番組の中では長くネタになっていましたね。 司会を長く続けたのも立派ですけど、「笑点」におけるあの方の最大の功績は、六代目三遊亭円楽さんと三遊亭好楽さんをメンバーに入れたことですね。ふたりが長くメンバーを続けているってことは、圓楽さんの見る目が確かだったってことです。それにしても、いくら番組の最初から関わっているとはいえ、出演者が人事をいじれたというのがすごいですよね。●五代目司会者・桂歌丸さん(2006年5月~2016年5月) 桂歌丸さんも、番組が始まったときからの大喜利メンバーです。2018年にお亡くなりになりましたが、その後も「永世名誉司会」の肩書を背負ってらっしゃいます。 あの方は「横浜バカ」でしたね。玉置宏さんから引き継いで「横浜にぎわい座」の館長をやったりとか、生まれ育った横浜をとても大事にしていました。にぎわい座でぼくと木久蔵の親子会をやったときは、とても喜んでくれましたね。会話に「横浜」って単語を入れるだけで、ニコッと笑うんです。「横浜のシウマイ弁当おいしいですよね」なんて言ったら、「そうそうそうそう!」ってすごく嬉しそうな顔をして。 あまり表に出していませんでしたけど、ぼくと同じ「チャンバラバカ」でもあったんです。このあいだ歌丸さんのご長女が、ぼくのところにチャンバラ映画のVHSのビデオを段ボールに3箱くださったんです。なかには封を切っていないのもありました。いつか見ようと思って買ってたんですね。 落語に対する情熱は言わずもがなで、古典落語を一生懸命に勉強して、自分だけの「歌丸節」を確立したのはすごいことです。ただ、若い時分から病気をたくさん抱えていて、お酒は飲まなかったんですけど、薬をたくさん飲んでいました。 以前は番組収録後にお蕎麦屋さんで打ち上げをやっていたんですが、そこには参加しませんでしたね。付き合いが悪いわけではなく、身体をかばっていたんだと思います。●六代目司会者・春風亭昇太さん(2016年5月~現在) 歌丸さんに代わって春風亭昇太さんが司会者になって、もう6年近くになるんですね。早いもんです。次は誰を司会にするのがいいかって話のときに、歌丸さんが「番組を若返らせるには昇太さんがいいよ」と推薦したらしいです。 昇太さんの司会は、とってもやりやすいですね。手を挙げて目が合うと、「はい、木久扇さん」ってパッと指される。歌丸さんは「木久ちゃん3回」「好楽さん2回」とかって、きちっと計算しながら指してました。でも昇太さんは、自然な流れでどんどん指しちゃう。いっぱい答えさせて、あとは編集に任せるんですね。答えるこっちは伸び伸びとやれます。 今年の初めから、新メンバーの桂宮治さんが入りました。彼のおかげで「笑点」に新しい笑いの波がやってきて、また次の時代がスタートしたと感じています。ぼくもまだまだ負けてはいられません。おバカパワーを炸裂させて、これからもがんばります!【プロフィール】林家木久扇(はやしや・きくおう)/1937(昭和12)年、東京日本橋生まれ。落語家、漫画家、実業家。1956年、都立中野工業高等学校(食品化学科)卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。1960年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵の名を授かる。1969年、日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーに。1973年、林家木久蔵のまま真打ち昇進。1982年、横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。「おバカキャラ」で老若男女に愛され、落語、漫画、イラスト、作詞、ラーメンの販売など、常識の枠を超えて幅広く活躍。『昭和下町人情ばなし』『イライラしたら豆を買いなさい』『木久扇のチャンバラ大好き人生』など著書多数。最新刊は『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)。波瀾万丈なバカ色の人生を振り返りつつ、バカであることの大切さ、バカの強さ、愛されるバカになる方法を伝授する。「生きづらさ」を吹き飛ばしてくれる一冊!
2022.03.20 16:00
NEWSポストセブン
三遊亭白馬がトリを務めた寄席の魅力を語る
自分自身が面白がりながら噺を進化させる春風亭一之輔の魅力
 音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の連載「落語の目利き」より、今、最も落語会のチケットが取りづらい春風亭一之輔を紹介する。 * * * 今年4月、NHK総合テレビの『プロフェッショナル 仕事の流儀』が春風亭一之輔を「落語ブームを牽引する男」として紹介した。ブーム云々はさておき、一之輔が今、最も「旬」な落語家であることは間違いない。 最近の一之輔の集客力の急上昇ぶりには目を見張るものがある。彼は2013年から毎年「ドッサりまわるぜ」という全国ツアーを行なっていて、東京公演は有楽町のよみうりホール。客席数1100の大会場だけに、以前は柳家喬太郎、柳家小三治、笑福亭鶴瓶ら強力な助っ人を迎えて観客動員を図ったが、今年(7月8日)はゲストなしで即完売となった。演じたのは『千早ふる』『お見立て』『居残り佐平次』の3席。 一之輔の『千早ふる』はアドリブのギャグに自分自身が面白がりながら成長させた素敵な作品だ。「ディスクに溜まった朝ドラ録画を消去してて忙しいから」と八五郎を帰そうとするご隠居の豪快なキャラは空前絶後、「歌を詠んだのはカリフラワーのカリフラワー」に始まり「江戸中末期の相撲取り竜田川の口が臭かったと当時の『月刊相撲』に載ってる」などと言い出す暴走っぷりは一之輔の独壇場だ。「この噺、柳家の人はもっとちゃんとやるよ」とツッコミを入れられたご隠居がキレて「『千早ふる』なんてご隠居がその場の思いつきで適当に言ってるだけなんだよ!」と言い返したのには爆笑した。本来のサゲを素通りして到達するオリジナルのサゲも「こう来たか!」と意表を突く。 お大尽の田舎者っぷりと喜瀬川花魁の傍若無人ぶりが際立つ『お見立て』は、人物造形のデフォルメが秀逸な一席。もはや「一之輔十八番」と言っていいだろう。2人に振り回されてヤケクソになっていく喜助が抜群に可笑しい。墓はカムチャッカだとでも言っておけばよかったと責める花魁に「言ったとしても行きますよあの人は!」と反論する喜助の気持ちがよくわかる。「おこわにかける」の意味をマクラで仕込んでからの『居残り佐平次』は、あっけらかんとした佐平次のキャラが一之輔らしくていい。佐平次が花魁の確定申告を手伝ったり『芝浜』をやったり、「一之輔の落語」として成長し始めたのを随所に感じた。後半、二階で稼ぎ始めた佐平次の「ワケのわからないヤツ」な感じは立川談志や先代三遊亭圓楽に通じるが、ハジケた軽さは一之輔特有のものだ。 一之輔の落語は常に進化し続けている。この日もそれを実感した。●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『僕らの落語』など著書多数。※週刊ポスト2017年9月29日号
2017.09.22 16:00
週刊ポスト
『直虎』 大河常連の前田吟の好演、中村梅雀の語りに注目
『直虎』 大河常連の前田吟の好演、中村梅雀の語りに注目
 女優の柴咲コウ(35才)が主演を務めるNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』が1月8日、スタート。初回の平均視聴率16.9%の好スタートを切った。2年ぶりに女性主人公ということもあって話題性は上昇中。時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さんは、大河の常連でもあるオーバー60の2人に注目。独自の視点で見どころについて解説する。 * * * そんなわけで、元気よくスタートした大河ドラマ『おんな城主直虎』。初回から、こども時代のヒロインおとわ(後の井伊直虎)が川に飛び込んで溺れかけるわ、馬で山谷を駆け抜けるわ、お転婆ぶり全開。一方で、当主でおとわの父直盛(杉本哲太)はじめ、井伊家の親世代は、強大な力を誇る今川家に圧迫されてキューキューする日々。そして、おとわの許嫁亀之丞の父井伊直満(宇梶剛士)は、こっそり今川に反抗しようとしていたことがバレて、今川義元(春風亭昇太)によって暗殺されてしまった!  初回にどどーんとでっかい事件を描いて「つかみ」をするのは、大河ドラマの掟ともいえるが、それにしても昇太の義元は不気味だった。顔は白いのに腹は真っ黒? 『笑点』のブラック団三遊亭圓楽からはどんなメッセージが届いているのか、気になるところだ。 今後、出家して次郎法師となったおとわ(柴咲コウ)、亀之丞(井伊直親・三浦春馬)、幼なじみの井伊家家老の息子鶴丸(小野政次・高橋一生)の微妙な関係や桶狭間の戦など、おとわがおんな城主になるまでさまざまな出来事が起こる。そんな中、私が注目しているのは、オーバー60ふたりの「大河ドラマのラッキー男」だ。  一人目は、おとわの曽祖父井伊直平役の前田吟。今川家に戦で敗れた無念の過去を持つ直平は、今川家が大嫌い。事件のたびに刀を抜いて怒りをあらわにする暴れん坊のご隠居だ。前田吟ご本人は、このキャラクターがとてもお気に入りのようで、先日出演した『土曜スタジオパーク』で「馬に乗るシーンのため乗馬クラブで練習した」とか「(脚本にはないが)刀を抜いちゃうよってね!」などと熱血トーク。横にいたおとわの母役の財前直見に「(直平が)あまりに見ていて面白い」などと言われていた。 大河ドラマは11年ぶりという前田だが、これまで彼が出演した戦国大河ドラマはどれも好評を博している。大河ドラマ史上初の「戦国ホームドラマ」といわれた橋田壽賀子脚本の『おんな太閤記』(1981年)は、全50話の平均視聴率31.8%を記録。同じく戦国から江戸初期の橋田脚本の『春日局』(1989年)も32.4%。『功名が辻』(2006年)では、主である山内一豊(上川隆也)の妻千代(仲間由紀恵)を「にこにこしているところだけが取り柄じゃ」などと勝手なことを言い合う前田と武田鉄矢が『スター・ウォーズ』のC3-POやR-2D2のような名コンビぶりを発揮し、人気となった。 ちなみに前田の大河ドラマ初出演は、北大路欣也主演の『竜馬がゆく』(1969年)で岡田以蔵役。『龍馬伝』で佐藤健が演じた役かと思うと感慨深い。 また、もうひとりの「大河ラッキー男」は、語りを担当する中村梅雀。『天と地と』(1969年)以来、11作目の大河ドラマとなるが、『八代将軍吉宗』(1995年)で言葉をうまく話せず、苦しむ徳川家重を熱演し、高い評価を得た。その後、『葵 徳川三代』(2000年)では、助さん格さんを従えた水戸光圀(黄門様)として軽妙な語りを担当。こちらも評判となっている。 柴咲コウはじめ、大河ドラマ初出演の若いも多い「おんな城主直虎」にベテランが大河ラッキー風を吹き込むか。まず、序盤は顔にバッテンの傷をつけた前田吟ご隠居の「抜いちゃうよ」の張り切りに期待したい。
2017.01.11 07:00
NEWSポストセブン
「笑点」で2017年を生きる(写真:アフロ)
笑点は笑いだけでなく「大人の教訓」を届けている
 伝統的お笑い番組の「笑点」には、大人の知恵が詰まっていた。大人力コラムニスト・石原壮一郎氏が、2017年に生きる活力を学ぶ。 * * * もし「笑点」(日本テレビ系)という番組がなかったら、日本は今よりも暗くギスギスした国になっていたことでしょう。毎週日曜日の夕方、明るくノンキな笑いを全国に振りまき続けて50年以上。2016年5月に春風亭昇太が6代目の司会者に就任してからも、メンバーが遠慮なく司会者をいじるなど、その面白さはさらにパワーアップしています。「笑点」が届けてくれるのは、笑いだけではありません。回答やメンバー同士のやり取りに笑わされながら、大人にとって大切な教訓を学び取ることができます。最近の「笑点」から、いくつか例をあげてみましょう。 11月27日放送の第2540話。「人はなぜ恋をするのか?」というお題に、恋とは縁が薄そうなメンバーが挑みます。「ほかにやることがないから」(三遊亭好楽)や「30年後が見えないから」(三遊亭圓楽)といった膝を打つ回答が続出する中、林家たい平は「そういう難しいことは、池上彰に聞いてください」と答えました。 私たちは日頃、つい何でもかんでも自分で抱え込んでしまいがち。よくわからないことに対して、わかったような顔をすることもしばしばあります。わからないことは「わからない」と白状する勇気を持ち、苦手なことはそれを得意とする人に任せましょう。それが余計なストレスをためずに、穏やかな気持ちで日々を過ごす必須条件です。 12月11日放送の第2542話。司会の春風亭昇太が「世の中、生きていると納得できないことってありますよね。腑に落ちない人になってください。私が『どうしたの?』と聞きますから、そこでひと言」とお題を出します。秀逸だったのが、三遊亭小遊三の「俺は福山雅治に似ているけど、福山雅治は俺に似てないんだよ」という回答。 主観と客観の違いを認識する大切さ、そして、主観と客観に違いがあるからこそ人生は楽しいということを教えてくれます。本人は自分を「デキるビジネスマン」だと思っていても、たいていの場合、はたから見るとそうでもありません。「部下に慕われている上司」しかり、「男を惑わす魔性の女」しかり。しかし、客観的には間違った認識だとしても、本人にとっては、そう思い込むことが励みになったり支えになったりします。大人が強く生きていく上で、客観性を無視した勘違いは大いに役に立ってくれると言えるでしょう。 12月18日放送の第2543話では、大喜利が始まる前の自己紹介で、三遊亭好楽が「さきほどトイレでディレクターに言われました。師匠、挨拶の答え、最後グズグズにならなようにしてください。あと、噛んだりしないでください。トチらないでください。……と、おホメの言葉をいただきました」と語りました。これも、物事は解釈次第でいくらでもプラスにとらえることができる、ということに気づかせてくれます。 クリスマスだった12月25日放送の第2544話では、子どもに「なんでサンタさん来なかったの?」と聞かれたときに、お母さんとしてどう答えるかというお題が出されました。素晴らしかったのが、林家木久扇の「優先順位としてはね、難民の子が先なのよ」という回答。この番組の重要なエッセンスである「いい話」の要素を満たしつつ、人生の真理、大人として忘れてはいけない心得を伝えてくれています。 人生にせよ世の中にせよ、何事にも「優先順位」は付きもの。やりたいことがたくさんあっても、優先順位をつけて取捨選択せざるを得ません。自分自身も、出世においては会社から優先順位を付けられているし、お互い様ではありますが人間関係もしかり。不本意なことがあっても、それは自分の選択や存在が否定されたわけではなく、ほかの何かや誰かのほうが優先順位が高かっただけだと考えれば、ショックを最小限に抑えられます。 ああ、なんてありがたい番組なのでしょうか。2017年も「笑点」を見てたくさん笑い、たくさんのことを学びたいもの。幸せなことに、年の初めの1月1日は日曜日。夕方4時から2時間スペシャルで「笑点 お正月だよ!大喜利祭り!」が放送されます。新年早々、あのホッとできる様式美を堪能して、楽しく実り多い大人な一年に向けての華麗なスタートを切りましょう。
2016.12.31 16:00
NEWSポストセブン
三遊亭円楽「放任主義の母ちゃんが持ってきた真打のご祝儀」
三遊亭円楽「放任主義の母ちゃんが持ってきた真打のご祝儀」
 いくつになっても男にとって母親の思い出は甘美なもの。落語家の三遊亭円楽(66)が現在95歳となった母との思い出を語る。 * * * 二ツ目の頃までは母ちゃんも高座を見に来てくれた。でも「ひやひやするよぉ。子供がしゃべっているとトチるんじゃないかと、まわりばっかり見ちゃった。だからもう行かない」って(笑い)。放任主義だから、師匠の弟子になるよと言った時も「そうかい」で終わり。 その後も「頑張れ」とか言わない。六代目の襲名についても別に話をしないね。だけど真打披露の時に誰よりもご祝儀を持ってきてくれたのが、母ちゃんだったんだ。 昔の人はそういう時のために、金を貯めていたんだね。それでも何もいわねぇんだよ。「受付に預けてきたよ」ってだけ。精算をすると、「ん!?」ってね。キザなんだよねぇ。贈与税がかかるくらい、黙って置いていった(笑い)。 俺の名前が「やすみち」で、子供の頃は「ちーくん」。噺家になってからは、「楽太郎」にちなんで「楽ちゃん」になって、それは今も変わらない。 母ちゃんは今千葉で兄貴と暮らしているんだけど、95になっても酒好きでね。一升のパック酒があると、10日くらいでなくなっちゃうんだよ。朝晩なめながら飲んでるって。 先代の師匠と、『笑点』の終身名誉司会に落ち着いた桂歌丸師匠を、実の父とは違う“ふたりの父”と言うんだけど、母はひとりだな、やっぱり。父親は引っ張ってくれるけど、母親はサポーター。身二つになるのは、母親しかいないよね。産みの親が母ちゃんなら、育ての親が先代や歌丸師匠なんだね。 母ちゃんにはもう感謝しかない。だから菩提を弔う準備はできているんだ。お経のひとつでもあげられないと、と思って坊さんの資格を取ったんだよ。●さんゆうてい・えんらく/東京都生まれ。1970年、青山学院大学在学中、五代目三遊亭圓楽に入門。1977年、27歳で『笑点』大喜利メンバーに。1981年、真打昇進。2010年、三遊亭楽太郎改め、六代目三遊亭円楽を襲名。※週刊ポスト2016年7月22・29日号
2016.07.15 16:00
週刊ポスト
三遊亭円楽 母が泣いて謝るのを見て万引きがダメと判った
三遊亭円楽 母が泣いて謝るのを見て万引きがダメと判った
 男にとって生まれて最初に接する異性である母の愛のありがたみは、遠く離れてみて初めて気づくことがほとんどだろう。「瞼の母」の思い出を、落語家の三遊亭円楽(66)が語る。 * * * 母ちゃんはずっと働いている人だった。食事をしているとか、横になっているという姿が記憶にないほど。 父ちゃんは仕事があんまり好きじゃなくて、世話好きでね。いつも家には居候がいた。金もないのに人の世話をして、働くことも金の工面も、全部母ちゃんが後ろでやっていた。苦労したんだよ。 でもね、写真を見ればわかるけど暗い顔をしていない。明るいの。あっけらかんとしていた。ないもんはしょうがねぇって。 ウチの師匠(故・五代目三遊亭圓楽)は母ちゃんが好きだった。「おめぇの母ちゃんは下町らしいな。おしゃべりでお調子もんだ」「やですよ、師匠」なんてね。俺も、酒好きでおしゃべりなところは母ちゃん似だね。 でもおしゃべりと言っても口うるさいわけじゃないんだよ。 俺が小学生の時に浅草のデパートでブリキのおもちゃを万引きしちゃって一緒に謝りに行ってくれたんだけど、その時も多くは語らない。見せるんだよね。「こいつがバカですみません」って頭を下げる。親が泣いて謝るのを見たら、もうしちゃダメと判る。 だから、すごく叱られたこともない。「私は何もしなかったよ、この子には」と前に言っていたことがあったけど、確かに放任だった。 でも節目、節目の肝心な時にはいつも親が背中を見せてくれた。『藪入り』『子別れ』といった噺をやると親が見えてくるよね。投影すると、こうなっちゃうもん(涙が出るポーズ)。●さんゆうてい・えんらく/東京都生まれ。1970年、青山学院大学在学中、五代目三遊亭圓楽に入門。1977年、27歳で『笑点』大喜利メンバーに。1981年、真打昇進。2010年、三遊亭楽太郎改め、六代目三遊亭円楽を襲名。※週刊ポスト2016年7月22・29日号
2016.07.13 16:00
週刊ポスト
笑点・山田隆夫 「自分は動きで笑い取るチャップリンの芸」
笑点・山田隆夫 「自分は動きで笑い取るチャップリンの芸」
 山田隆夫(59)が、舞台袖から大喜利メンバーの背中を真剣な表情で見つめている。袖に一番近い位置に座る林家たい平が、得意の「山田いじりネタ」で笑いを取る。その瞬間、山田が勢いよく飛び出し、たい平を後ろから突き倒して、怒ったように座布団を引っぺがす。その鉄板ギャグに会場がドッと沸く。「噺家さんの話芸に対し、自分はチャップリンの芸、つまり動きで笑いを取る芸です。出て行くタイミングが大事なので、特にたい平くんが喋っているときは、いつ出てもいいように準備しています。タイミングの取り方は、昔、『ずうとるび』でバンドとコントをやっていたことが役立っているんです」 先の5月、『笑点』(日本テレビ系、毎週日曜17時30分~)が50周年を迎え、桂歌丸の勇退、春風亭昇太の司会就任、林家三平のメンバー入りなどが大きな話題になった。山田がその国民的演芸番組の6代目座布団運びとなって今年で32年目だ。 1984年、それまでの体の大きい松崎真に代わり、「小さい男に座布団を運ばせたら面白い」と、身長155cmの山田に声が掛かった。「それ以来、会社員のように規則正しく2週に1回、2本分の収録を繰り返していたら、あっという間に30年以上経ちました。毎年春に1年先までの収録スケジュールが渡されるのですが、それをもらうと『ああ、来年までは仕事があるな』と(笑い)。その繰り返し」 山田が“新人時代”を振り返る。「当初は冒頭の挨拶にも困りました。師匠方のあとに挨拶するので、用意していたネタが使われてしまうんですよ。それで、喋りを勉強しようと、鈴々舎馬風師匠の一門に弟子入りし、落語の勉強をしました。着物を着たときの所作を身につけるため、日本舞踊の師匠にも1年間習いました」 座布団運びは誰にでもできる──と思われがちだが、そこには計算された芸があり、そのうえに「山田くん」キャラがあって笑いが成り立つ。 座布団運びを始めて数年後、当時の司会者・先代三遊亭圓楽がメンバーの林家こん平に、「山田くんを目立たせるために山田くんの悪口をいってよ。山田くんは袖から出てきて、こんちゃんをドツいて、座布団を取っちゃっていいから」 と提案し、「山田いじり」が始まった。 次の司会者・桂歌丸はさらに「頭にカビの生えた人」などと紹介し、山田をさらに目立たせた。そうして与えられたチャンスを生かし、山田以外では成り立たない「山田くん」キャラを確立した。撮影■橋本雅司 文■鈴木洋史※週刊ポスト2016年7月15日号
2016.07.04 07:00
週刊ポスト
『笑点』山田クン 重労働の座布団運びのため体を鍛える
『笑点』山田クン 重労働の座布団運びのため体を鍛える
「大本命・円楽」の下馬評を覆し、新司会者に選ばれた春風亭昇太(56才)。初司会の回はなんと視聴率28.1%。1996年に現在の放送時間(毎週日曜午後5時30分~6時)になって以来、最高記録を叩き出した。 そんな『笑点』で座布団を運び続けて32年。78才の木久扇に次ぐ古株なのに、8月には還暦を迎えるのに、いまだに「山田クン」と呼ばれ続ける山田たかお(59才)。座布団運びだからこそわかる、笑点の裏側を語ってくれた。 * * * ぼくが座布団運びを始めた時の司会は、先代の5代目三遊亭圓楽。圓楽師匠は芸事に厳しい人で、先輩の借金ネタなど、人の悪口で笑いを取ると怒り出す。ぼくらにとっては神様みたいな人でした。 歌丸師匠は優しい人だけど、落語芸術協会の会長として、落語の現場では厳しかった。だからいい緊張感がありましたね。昇太くんやたい平くんなんて、最初は緊張して楽屋に入れなくて廊下にいたぐらいなんだから(笑い)。 昇太くんの司会? 早口だし、噛むから聞き取れないんだよ(笑い)。座布団を「持ってって」「取ってって」って何度も言うし。そうしたらいちばん端に座ってるたい平くんが、「ぼくが合図するから」って言ってくれたんです。 だけど、合図が来たと思って持っていったら、たい平くんが勝手に言っただけだった。そういうハプニングも昇太くんらしいね。 たい平くんの24時間テレビのマラソンも話題だけど、実はぼくも2006年の正月に笑点の企画で50km走らされたことがある。いわば先輩だね。5代目圓楽師匠が司会だった時に「雪の中、山田を裸で走らせたら面白いんじゃないか」なんて言うもんだから。 裸じゃなかったけど、特注の着物を着て、座布団かついで走りましたよ。今のたい平くんも、その時ぼくがお世話になったトレーナーさんについてトレーニングをしているみたい。 布団運びは楽そうに見えるけど、実は重労働。1枚3kg。それが汗や湿気を吸ってさらに重くなる。ギックリ腰も4~5回はやってます。司会者は「全部きれいにしちゃって」なんて気楽に言うけど、いっぺんに持てるのはせいぜい5枚が限度。 ぼくは座布団運びのために普段からダンベルで手首鍛えたり、スクワットをしたりしてますよ。座布団を運ぶタイミングはもう体に染みついてます。「間」の取り方がとにかく大事で、ぼく以外の人が座布団運びをやった時に「やっぱり山田クンじゃないと」と言われたこともありました。 5代目圓楽師匠から「山田クン、後を頼む」と言われ、歌丸師匠には「山田クン、ありがとう」と涙を浮かべられた。大変な座布団運びだけど、やってきてよかったな、と心から思うし、100年目を元気に迎えるためにも、いっそう体を鍛えようって元気が出て来るね(笑い)。※女性セブン2016年7月14日号
2016.07.03 07:00
女性セブン
極秘肺がん闘病の野際陽子 近隣では噂になっていた
極秘肺がん闘病の野際陽子 近隣では噂になっていた
 2年ほど前に肺がんに罹患し、極秘で闘病生活を送っていたことが『週刊ポスト』に報じられた女優の野際陽子(80才)。がんの発症を伏せ続けてきた野際だが、自宅周辺では“異変”が察知されていた。 1972年に千葉真一(77才)と結婚し、都心の閑静な住宅街にある高級マンションに移り住んだ野際。1994年に千葉と離婚した後も、愛犬6匹と同じ住居に住み続けている。「毎朝7時に愛犬6匹を引き連れて散歩する野際さんの姿が近所の名物だったんですが、ここ数年はパタリと見かけなくなったんです。何かあったのかな、と周囲で噂になっていました」(近隣住人) 自宅近くのペット用品店の店員も証言する。「一昨年の12月ごろ、野際さんの知り合いというかたが店に来て、“彼女は今、体調を崩していて、私が代わりに犬の世話をしています”と話していました。散歩もそのかたがやっておられて…。彼女の愛犬はシェルティという元気な中型犬。体調が悪い高齢女性が何匹も散歩させるのは難しく、かわいがっていただけに野際さんは残念だったはずです」 野際は毎朝、スムージーときな粉入り牛乳を欠かさず、食生活は野菜中心。楽屋でもスクワットをして体調管理を徹底するなど、「健康オタク」として知られていた。 それでも寄る年波には勝てず、近年は満身創痍だった。今思えば、闘病最中の2015年5月、野際は自身の体調について本誌・女性セブンのインタビューにこう語っていた。《私、そんなに健康というわけでもないんです。胃潰瘍、腎炎、肺炎、膵炎と一通りやっていますし、骨折の経験もあるんです》 特に2009年に患った膵炎には苦しめられ、3週間の入院生活の末、体重が40kg代前半にまで落ちたという。「2011年冬には撮影が重なりすぎて、過労から血圧が180まで上がったこともあります。精神安定剤を服用し、ギリギリの状態で仕事をしていました」(野際の知人) 気がかりなのは、野際が患ったのが数あるがんのうち肺がんであること。医療の進歩に逆らうように、肺がんによる死亡者数は増加の一途を辿っており、全てのがんの中で最多となる年間約7万7000人が命を落としている。 有名人にも罹患者は多く、愛川欽也(享年80)、三遊亭圓楽(同76)、渥美清(同68)、高峰秀子(同86)、筑紫哲也(同73)ら、数多の有名人が肺がんで亡くなった。 4月下旬のある週末、女性セブンが野際の自宅を訪ねると、「留守を預かっている」という初老の女性が出てきた。野際の病状を聞くと、「彼女はおりません。私はなにも話せません」と繰り返すのみだった。 現在、野際は『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)、『コントレール~罪と恋~』(NHK)と2本の連ドラに出演中。精力的に仕事をこなしている。※女性セブン2016年5月12・19日号
2016.04.29 07:00
女性セブン
林家たい平 『笑点』メンバー故に落語ファンの評価が低いか
林家たい平 『笑点』メンバー故に落語ファンの評価が低いか
テレビ・ラジオで人気の林家たい平は1964年生まれ。立川談春や柳家喬太郎ら、今の落語人気を支える中堅層と同年代の落語家だ。1988年に林家こん平に入門、1992年に二ツ目に昇進した直後から頭角を現わして数々の賞を受賞、2000年に柳家喬太郎と二人で真打に昇進した。 たい平が師匠の代役で『笑点』大喜利に出演し始めたのは2004年。2006年には正式メンバーとなり、知名度は一気に全国区になったが、ちょうどその時期に、まったく別のところで、同年代の演者たちが中核となる「落語ブーム」現象が起こったのは皮肉だった。その数年前までは、たい平こそ「次代を担うホープ」の筆頭と目されていたからだ。 亡き古今亭志ん朝にことのほか可愛がられたというたい平は、師匠こん平の芸風とは異なる本格的な古典落語の演者で、その将来性は春風亭小朝も高く買っていた。 実際、たい平の落語は面白い。現代的なギャグをポンポン放り込み、エネルギッシュな演技で落語初心者を爆笑させる「若々しい古典」がたい平の真骨頂で、時には「いくら落語でもそんなそそっかしいヤツいねぇよ!」(『粗忽の釘』)とか「その戸棚には文楽師匠が美味しそうに食べた甘納豆が入ってるだけだ! 美味しそうに食べられない一門は開けなくていいんだよ!」(『明烏』)などと、登場人物が演者にツッコミを入れたりする「程のよいマニアックさ」もある。 等身大の「たい平」自身を前面に押し出す芸風は、今の落語ファンの好みに合致している。だが、たい平に対する評価は、意外に高くない。それはある意味、小朝に対する評価の低さと通じるものがある。 全国区の知名度を持つたい平の落語会には、普段は落語を聴かない「一般人」が足を運ぶ。彼らが求めるのは『笑点』メンバーとしてのたい平であり、サービス精神旺盛なたい平は、その期待にきちんと応える。それが時として普通の落語ファン、あるいは『笑点』を知らない人々を置いてけぼりにすることも、たい平自身は知っているはずだ。 五代目三遊亭圓楽は一時期『笑点』から遠ざかって芸を磨き、大成した。今後「落語家」たい平のスタンスがどう変化していくか。才能のある人だけに、楽しみである。※週刊ポスト2011年12月2日号
2011.11.22 16:00
週刊ポスト
三遊亭鳳楽 独特のリズムでまったりとした空気感を醸し出す
三遊亭鳳楽 独特のリズムでまったりとした空気感を醸し出す
 広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「まったりとした空気感を醸し出す」と評するのが、三遊亭鳳楽だ。 * * * 六代目三遊亭圓生が1978年に「落語三遊協会」なる新協会を設立、圓生没後は総領弟子の五代目三遊亭圓楽一門が通称「圓楽党」として独立を保った。現在、この団体の正式名称は「五代目圓楽一門会」。会長は五代目圓楽の総領弟子、三遊亭鳳楽だ。 1947年生まれ、1965年に五代目圓楽に入門し、前座名は三遊亭楽松。これは、初の孫弟子に圓生が自分の本名「山崎松尾」から「松」の一字を与えて命名したものだ。 1972年に二ツ目に昇進、1977年にNHK新人落語コンクールで最優秀賞を受賞。1979年には落語三遊協会として第一号の真打昇進を果たし、三遊亭鳳楽と改名している。 鳳楽が「三遊派の正統」を強く意識した噺家であることは間違いない。『文七元結』『百年目』『らくだ』『火事息子』『乳房榎』『山崎屋』『鰍沢』『淀五郎』といった圓生十八番の数々を演じる鳳楽の高座には、一種の風格が感じられる。 ただし、芸質は六代目圓生とはだいぶ異なる。鳳楽は、独特のゆったりとしたリズムで、鷹揚に古典の世界を描き出す。口調も声も実に心地好いが、緩急のダイナミズムは感じられない。どちらかといえば平坦な語り口で、まったりとした空気感を醸し出す演者だ。 切れ味鋭い名人芸やドラマティックな感動を求めて鳳楽の大ネタを聴くと、肩透かしを食うだろう。だが、落語は演者の個性を楽しむ芸能である。鳳楽の高座には、旬の演者が競い合う現代落語の最前線とは一味違う、ゆったりとした時間が流れている。こういう世界に浸るのもまた、落語の楽しみの一つなのだ。※週刊ポスト2011年10月14日号
2011.10.09 16:00
週刊ポスト
粋でいなせな「江戸っ子」演じて最も似合う噺家は春風亭一朝
粋でいなせな「江戸っ子」演じて最も似合う噺家は春風亭一朝
 広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「粋でいなせな江戸落語」と評するのが、春風亭一朝だ。 * * * 江戸前の芸、という言い方がある。「江戸前」とは江戸近海(芝、品川あたりの海)もしくはそこで取れた新鮮な魚のことで、転じて「江戸独特の流儀」を指す言葉となったわけだが、落語で「江戸前の芸」というと、そこに「江戸っ子の気っ風の良さ」のイメージが加わる。 イキが良くてキレがある「これぞ江戸前の芸!」という落語が聴きたければ、真っ先にお勧めしたいのが春風亭一朝。今をときめく若手のホープ春風亭一之輔の師匠としても知られる、1950年生まれの噺家だ。 一朝は、亡き五代目春風亭柳朝の一番弟子。もともと八代目林家正蔵(後の彦六)への入門を希望していたが、1968年当時、正蔵が新たな弟子を取る余裕が無かったため、一門の総領弟子である柳朝に入門することになったのだという。 1973年、二ツ目昇進に際して「春風亭一朝」を襲名、1982年に真打。「一朝」という名は、八代目正蔵が若き日に芝居噺や怪談噺を教わり、晩年の面倒を見た三遊一朝(1930年没)から譲り受けたものだ。 五代目柳朝は60年代に古今亭志ん朝、立川談志、五代目三遊亭圓楽らと共に「若手四天王」と称され、その威勢のいい芸風から「江戸前の噺家」の典型とされた。柳朝の落語家人生を描いた吉川潮氏の小説のタイトルは、そのものズバリ『江戸前の男 春風亭柳朝一代記』である。 一朝は、その柳朝の「江戸前」の芸風を見事に受け継いでいる。啖呵を切る威勢の良さは天下一品、「江戸っ子」を演じたらこれほど似合う噺家も珍しい。まさに「粋でいなせな江戸落語」の典型だ。※週刊ポスト2011年9月9日号
2011.09.02 07:00
週刊ポスト
林家木久扇 変な儲け話を持ち込むため『笑点』の楽屋で孤立
林家木久扇 変な儲け話を持ち込むため『笑点』の楽屋で孤立
 タモリを司会に起用!?といった報道まで飛び出した、今年放送45周年を迎えた『笑点』(日本テレビ系)。7月13日放送の『はねるのトびら』(フジテレビ系)では、6代目座布団運びの山田隆夫(54)から「あの男! 私は大嫌い」と、三遊亭圓楽(61)を非難する爆弾発言が飛び出すなど、楽屋裏のネタにお茶の間はどよめいた。 楽屋での人間関係といえば、ひとり孤立した感じになっているのが林家木久扇(73)だ。テレビ局関係者が語る。「他のメンバーと話すどころか、目も合わされないのが木久扇さん。嫌われているわけではなく、変なもうけ話をメンバーに持ち込むから、どうもみんな絡みづらいらしいんです。“いい木材を大量に手に入れたから彫り物にして売ろう”とか、ふいにいい出すんですよね」 テレビに映らない楽屋裏は笑えないネタばかり?※女性セブン2011年8月11日号
2011.07.31 07:00
女性セブン
六代目圓楽 山田隆夫にカップ焼きそばを要求し犬猿の仲に
六代目圓楽 山田隆夫にカップ焼きそばを要求し犬猿の仲に
『笑点』(日本テレビ系)で座布団運びを務める山田隆夫(54)は、7月13日放送の『はねるのトびら』(フジテレビ系)で、“腹黒”ネタでお馴染みの三遊亭圓楽(61)との確執を告白した。番組内では圓楽が山田くんを呼び捨てにすることが原因と説明したが、その裏にはテレビでは明かしきれない確執があった。テレビ局関係者はこう話す。「以前山田くんは、カップ焼きそばのCMに出ていたとき、スポンサーから段ボールで商品をもらっていたんです。彼には育ち盛りの子供が4人いるから、“食費が助かる”といって楽屋でも大喜びだったんです」 そんな山田くんに敏感に反応したのが圓楽だった。実は圓楽もその焼きそばの大ファンだったのだ。「圓楽さんは山田くんに“スポンサーに頼んで、うちにも段ボール送ってもらえないかな”と頼みこんだらしいんです。山田くんはそんなことできないと断った。そしたらある日、圓楽さんが他のメンバーに“山田はケチだ”といっているのを聞いてしまったんです。そういわれては仕方ないから、“どっちがケチなんだよ。自分で買えばいいじゃないか”と愚痴りながらも、自分の段ボールの焼きそばを圓楽さんに分けてあげることにしたそうなんです」(前出・テレビ局関係者)※女性セブン2011年8月11日号
2011.07.29 07:00
女性セブン

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