芸能

岸田健作 ホームレス生活経験すると些細なことでも幸せ感じる

ホームレス生活について語る岸田健作

屋根のない公園で、食事はゴミ箱にある残飯、体を洗うのは公衆トイレ、お金がなくなると通行人に声をかけて恵んでもらうことも――彼の告白したホームレス生活は、思いのほか過酷なものだった。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の“いいとも青年隊”などで活躍しながら約7年前、自らホームレスになる道を選んだ岸田健作(33)。第2回インタビューでは、そんな辛い生活から、どのように立ちあがり、芸能界に復帰を果たしたのかを聞いた。

――ホームレス生活をやめるきっかけは?

岸田:ホームレスをやっていた代々木公園で“カホン”っていう民族の箱型の打楽器を叩いている人と、それに合わせて踊っているダンサーを見たことです。ぼくがもともと芸能界にはいったきっかけが、ダンスだったんです。ダンサーとしてのぼくが声をかけられていいとも青年隊という形でデビューしたので、自分に何かひとつ芸があるとしたらダンスでした。

生演奏でダンスをしている光景が新鮮で、見た瞬間に「バンドでダンスをやりたい。これだ!」と思った。バンドにはギターとベースとドラムとボーカルが必要だから仲間を探さなきゃ。インターネットの掲示板に募集サイトがあるだろうと思って。まずはこの生活をあがって、漫画喫茶に行くためのお金を仕入れなくてはいけない。人を見つけた時に、コンタクトとるための携帯電話が必要だ、よし、アルバイトしようって思ったんです。

――そこからはどんな風に動いたんですか?

岸田:道ゆく人に「アルバイトってどうやるんですか?」って聞きましたね。そこしか情報源がないんで。さすがにその質問に関してはまともに答えてくれる人がいなくて。「本当にごめんなさい、自分はアルバイトをしたことがない人間で」なんて話から聞いてくれる人もいて「バイト情報誌っていうのがあるから」って教えてくれた。「お金がないんですよ」っていうと「駅とかにアルバイト求人誌のフリーペーパーもあるから」って。

――また芸能界に戻ろうとは?

岸田:芸能界っていうよりは、バンドを組んでやっていこうって思いました。そう思ってからは、ホームレス生活から完全に抜け出しました。

――ホームレス生活あけて、最初のディナーは?

岸田:何を食ったかは覚えてないんですけど、人からもらったものではなく、自分で買った“新品”のものを食えた幸せはよく覚えてます。ホームレス辞めてからは、仕分けのバイトを始めました。日給が8千円だったんですけど、そのお金でコンビニのおにぎりとか缶ジュースとかを、とにかく自分が働いたお金で買えたあの感覚が忘れられない。多分、こんな話しても経験してないと分かんないと思いますけど(笑い)

――その後はどのように活動を?

岸田:バイトして、掲示板でメンバーも見つけて、メンバーの家に居候したりしてました。そうやって活動していくなかで芸能の仕事を振ってもらったりして、ドラマとか映画とかバラエティーとかにちょこちょこ出てはいたんですけど、本格的に本腰入れて芸能界で活動し始めたのは昨年からですね。バンドは当時のメンバーが何度も入れ替わったりと色々あったんですけど、昨年の1月に「Kensaku Kishida en V」というバンド名でCDをリリースしました。

――ホームレス生活を体験して感じたことは?

岸田:ぼくがホームレスをあがっていちばん最初に「幸せだな~」って思ったのは、天井のある所でベッドで寝られることで、いまでもそれはいちばんの幸せだと思うんです。何をもって幸せなのか、キツイと思うかは人それぞれだとわかりました。ホームレスを経験したことでささいなことでも幸せに感じるし、感謝することがすごく増えますよね。ひとりで明日死んじゃうかもしれないかった自分がいま、仕事をさせていただいている。やっぱり、自分ひとりの力じゃできないことをいま色んな部分で感じるようになった。

――それ以外に学んだこと、分かったことというと?
岸田:全部ひっくるめて、これだけはっていうのはあるんです。“落ちてるものは、食べちゃいけない(笑い)”。もう二度とあんなつらい目に遭いたくないんで、食べ物はなるべく新しいものを食べる。死んじゃいますよ、あのお腹の痛さは。

――ホームレス告白後、周りの反応は?

岸田:誰にもいってなかったから、みんな驚いてましたね。あとは…、いま住んでる家とかに、親族とか、家族とか知り合いとかから、お米や味噌汁が送られてくるようになりました(笑い)。もう何年も前の話なのに、いまそういう状況だと思われている感じがありますね。でも、ぼくにとっては人生で最大ってくらい財産になる経験だったんで、もう本当にこの2か月があってよかったなと思うんです。でも、人にはオススメできない経験ですね(笑い)。

【岸田健作(きしだ・けんさく)】
1978年11月8日、東京都出身。1997年から3年間、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のいいとも青年隊として活動。その後も同番組の月曜レギュラーのほかテレビドラマやバラエティー番組に出演。現在はビジュアル系ロックバンド『Kensaku Kishida en V』のボーカルを担当。1月、2月にはライブも行う予定。2011年11月に公開された初主演映画『COOL BLUE』をはじめ、俳優やタレントとしても活動中。

撮影■矢口和也

関連キーワード

関連記事

トピックス

若手俳優として活躍していた清水尋也(時事通信フォト)
「もしあのまま制作していたら…」俳優・清水尋也が出演していた「Honda高級車CM」が逮捕前にお蔵入り…企業が明かした“制作中止の理由”《大麻所持で執行猶予付き有罪判決》
NEWSポストセブン
「正しい保守のあり方」「政権の右傾化への憂慮」などについて語った前外相。岩屋毅氏
「高市首相は中国の誤解を解くために説明すべき」「右傾化すれば政権を問わずアラートを出す」前外相・岩屋毅氏がピシャリ《“存立危機事態”発言を中学生記者が直撃》
NEWSポストセブン
3児の母となった加藤あい(43)
3児の母となった加藤あいが語る「母親として強くなってきた」 楽観的に子育てを楽しむ姿勢と「好奇心を大切にしてほしい」の思い
NEWSポストセブン
「戦後80年 戦争と子どもたち」を鑑賞された秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さま(2025年12月26日、時事通信フォト)
《天皇ご一家との違いも》秋篠宮ご一家のモノトーンコーデ ストライプ柄ネクタイ&シルバー系アクセ、佳子さまは黒バッグで引き締め
NEWSポストセブン
過去にも”ストーカー殺人未遂”で逮捕されていた谷本将志容疑者(35)。判決文にはその衝撃の犯行内容が記されていた(共同通信)
神戸ストーカー刺殺“金髪メッシュ男” 谷本将志被告が起訴、「娘がいない日常に慣れることはありません」被害者の両親が明かした“癒えぬ悲しみ”
NEWSポストセブン
ハリウッド進出を果たした水野美紀(時事通信フォト)
《バッキバキに仕上がった肉体》女優・水野美紀(51)が血生臭く殴り合う「母親ファイター」熱演し悲願のハリウッドデビュー、娘を同伴し現場で見せた“母の顔” 
NEWSポストセブン
指定暴力団六代目山口組の司忍組長(時事通信フォト)
《六代目山口組の抗争相手が沈黙を破る》神戸山口組、絆會、池田組が2026年も「強硬姿勢」 警察も警戒再強化へ
NEWSポストセブン
木瀬親方
木瀬親方が弟子の暴力問題の「2階級降格」で理事選への出馬が絶望的に 出羽海一門は候補者調整遅れていたが、元大関・栃東の玉ノ井親方が理事の有力候補に
NEWSポストセブン
和歌山県警(左、時事通信)幹部がソープランド「エンペラー」(右)を無料タカりか
《和歌山県警元幹部がソープ無料タカり》「身長155、バスト85以下の細身さんは余ってませんか?」摘発ちらつかせ執拗にLINE…摘発された経営者が怒りの告発「『いつでもあげられるからね』と脅された」
NEWSポストセブン
結婚を発表した趣里と母親の伊藤蘭
《趣里と三山凌輝の子供にも言及》「アカチャンホンポに行きました…」伊藤蘭がディナーショーで明かした母娘の現在「私たち夫婦もよりしっかり」
NEWSポストセブン
高石あかりを撮り下ろし&インタビュー
『ばけばけ』ヒロイン・高石あかり・撮り下ろし&インタビュー 「2人がどう結ばれ、『うらめしい。けど、すばらしい日々』を歩いていくのか。最後まで見守っていただけたら嬉しいです!」
週刊ポスト
2021年に裁判資料として公開されたアンドルー王子、ヴァージニア・ジュフリー氏の写真(時事通信フォト)
《恐怖のマッサージルームと隠しカメラ》10代少女らが性的虐待にあった“悪魔の館”、寝室の天井に設置されていた小さなカメラ【エプスタイン事件】
NEWSポストセブン