ライフ

原田マハの最新小説 「イメージは平成の女版・寅さんです」

〈丘えりか〉、通称おかえり。元・売れないアイドルにして現・売れないタレントの崖っぷちアラサー女子だ。唯一レギュラーを務める旅番組が打ち切られ、いざ脱ごうにも脱げるカラダのない彼女は、ひょんなことから新商売を始める。名付けて『旅屋おかえり』――わけあって旅をしたくともできない人の代わりに旅に出る〈旅代理業〉である。

 そんな『旅屋おかえり』(集英社)の著者・原田マハ氏自身、年間150日は旅路にある大の旅好きだ。内外の美術館に勤務経験を持つキュレーターでもあり、筆名はあのゴヤの名作に由来する。原田さんはこう語る。

「旅とアートなしには生きていけない、自称フーテンのマハ(笑い)。自分が旅することで誰かの役に立てるなら本当は私が旅屋をやりたいくらいで、イメージは平成の女版・寅さんです」

 先日、第25回山本周五郎賞を受賞した『楽園のカンヴァス』とは、それにしても趣の異なる作品だ。前作がルソーの幻の大作の真贋をめぐる美術サスペンスであるのに対し、本書の登場人物は〈元プロボクサー、いま社長〉こと「よろずやプロ」の〈萬鉄壁〉社長やえりかが旅先で出会う人々まで悪人不在で、笑いあり涙ありの人情劇が展開する。

「それこそ『楽園…』に“アートは大切な友達”というセリフがありますが、アートも人も美しいという意味ではそう遠くないはずなんですよね。うちは父が美術全集などのセールスマンをしていた関係で兄と私は絵本やマンガを読むように画集に親しみ、大人になってからは友達の家を訪ねるように美術館に行くのが、私の旅になりました」

 そして一たび旅に出れば必ず出会いがあり、2005年の初小説『カフーを待ちわびて』からして沖縄への一人旅が書かせた産物だった。

「民宿で『いいところさ~』と聞いた伊是名島に行ってみたら、浜でラブラドールと戯れる男性がいたんですね。犬好きの私は思わず声をかけ、名前を訊くと『カフー。島の言葉で幸福という意味だ』と。あの犬がもしシーサーとかポチだったら私はあの小説を書けなかったし、たぶん作家にもなっていない。人生つくづく度胸と直感と出会いです」

 氏のHPには「読むのに5~10分はかかります」と注意書きのついた長いプロフィールがあり、設立準備を一から手がけた森美術館を開館目前に辞め、フリーになった経緯など、大胆すぎる決断の数々が並ぶ。

「実は山本賞の発表前日が森稔会長のお別れの会で、会長にはMoMAで貴重な経験をさせていただいたり、本当にお世話になったんですが、そのままキャリアに安住するのに違和感があり、退職しました。『明日』がある、どうにかなるだろうと。その結果この本が仕上がりました、と遺影に受賞作を捧げてきました」

 端緒は落とし物にあった。黒石名物・つゆ焼きそばのロケ中、番組スポンサーの「江戸ソース」を競合社の「エゾソース」と言い間違える痛恨の凡ミスを犯したえりかは、番組終了を惜しむ一部ファンの手紙を読み耽るあまり、社長がデビューの記念に買ってくれたヴィトンを全財産3000円ごと電車に忘れたのだ。

 土曜の朝に何気なく見てしまう人も多かった旅番組は週1本のギャラが30万、月120万の減収に所属タレント約1名の弱小プロはたちまち行き詰まり、そんな矢先、事務所を訪れたのが華道・鵜野流の家元夫人だった。

 夫人はある難病で入院中の娘〈真与〉が唯一楽しみにしていた旅番組のレポーターが慌てて電車を降りる現場に遭遇、荷物を届けてくれた上でこう頭を下げたのだ。〈旅をしていただけませんでしょうか。わたくしの娘の代わりに〉

 夫〈鵜野華伝〉氏は娘を次期家元として厳しく育てる一方、よく親子で旅をしては美しいもの、一流のものを見せようとしたという。だがその期待に応えられなくなった娘は延命を拒み、母が望みを託したのが笑顔の旅人・おかえりだった。後日病院を訪ねると真与は父との最後の旅で雨に祟られ、逆に溝を深めることになった角館のしだれ桜を晴天の下で見てきて欲しいと言う。満開予定は数日後。旅屋は慣れない撮影機材を背負い、一人秋田を目指す。

(構成/橋本紀子)

※週刊ポスト2012年6月22日号

関連キーワード

トピックス

国民に笑いを届け続けた稀代のコント師・志村けんさん(共同通信)
《恋人との密会や空き巣被害も》「売物件」となった志村けんさんの3億円豪邸…高級時計や指輪、トロフィーは無造作に置かれていたのに「金庫にあった大切なモノ」
NEWSポストセブン
国民に「リトル・マリウス」と呼ばれ親しまれてきたマリウス・ボルグ・ホイビー氏(NTB/共同通信イメージズ)
ノルウェー王室の人気者「リトル・マリウス」がレイプ4件を含む32件の罪で衝撃の起訴「壁に刺さったナイフ」「複数の女性の性的画像」
NEWSポストセブン
愛子さまが佳子さまから学ぶ“ファッション哲学”とは(時事通信フォト)
《淡いピンクがイメージカラー》「オシャレになった」「洗練されていく」と評判の愛子さま、佳子さまから学ぶ“ファッション哲学”
NEWSポストセブン
年下の新恋人ができたという女優の遠野なぎこ
《部屋のカーテンはそのまま》女優・遠野なぎこさん急死から2カ月、生前愛用していた携帯電話に連絡すると…「ポストに届き続ける郵便物」自宅マンションの現在
NEWSポストセブン
背中にびっしりとタトゥーが施された犬が中国で物議に(FB,REDより)
《犬の背中にびっしりと龍のタトゥー》中国で“タトゥー犬”が大炎上、飼い主は「麻酔なしで彫った」「こいつは痛みを感じないんだよ」と豪語
NEWSポストセブン
(インスタグラムより)
《“1日で100人と寝る”チャレンジで物議》イギリス人インフルエンサー女性(24)の両親が現地メディアで涙の激白「育て方を間違ったんじゃないか」
NEWSポストセブン
藤澤五月さん(時事通信フォト)
《五輪出場消滅したロコ・ソラーレの今後》藤澤五月は「次のことをゆっくり考える」ライフステージが変化…メンバーに突きつけられた4年後への高いハードル
NEWSポストセブン
石橋貴明、現在の様子
《白髪姿の石橋貴明》「元気で、笑っていてくれさえすれば…」沈黙する元妻・鈴木保奈美がSNSに記していた“家族への本心”と“背負う繋がり”
NEWSポストセブン
イギリス出身のインフルエンサーであるボニー・ブルー(本人のインスタグラムより)
「タダで行為できます」騒動の金髪美女インフルエンサー(26)が“イギリス9都市をめぐる過激バスツアー”開催「どの都市が私を一番満たしてくれる?」
NEWSポストセブン
ドバイのアパートにて違法薬物所持の疑いで逮捕されたイギリス出身のミア・オブライエン容疑者(23)(寄付サイト『GoFundMe』より)
「性器に電気を流された」「監房に7人、レイプは日常茶飯事」ドバイ“地獄の刑務所”に収監されたイギリス人女性容疑者(23)の過酷な環境《アラビア語の裁判で終身刑》
NEWSポストセブン
Aさんの乳首や指を切断したなどとして逮捕、起訴された
「痛がるのを見るのが好き」恋人の指を切断した被告女性(23)の猟奇的素顔…検察が明かしたスマホ禁止、通帳没収の“心理的支配”
NEWSポストセブン
指定暴力団六代目山口組の司忍組長(時事通信フォト)
【七代目山口組へのカウントダウン】司忍組長、竹内照明若頭が夏休み返上…頻発する「臨時人事異動」 関係者が気を揉む「弘道会独占体制」への懸念
NEWSポストセブン