ライフ

ベストセラー「日本国憲法」発刊当時と状況似ていると編集者

発売30年で92万部を売り上げている「日本国憲法」

 改憲議論が高まる中、1冊の本に注目しよう。30年前に発売され、体裁も内容も変えずに累計部数が100万部に達しようかという本である。書名を「日本国憲法」(小学館刊)という。当時の担当編集者だった島本脩二さんに出版の背景を聞いた。(聞き手=フリーライター・神田憲行)

 * * *
 島本脩二さんは1946年生まれ、66歳。1970年に小学館入社、2007年定年退職。在職中は矢沢永吉の自伝「成りあがり」なども手がけた。「日本国憲法」を発売したのは1982年、写真雑誌「写楽」編集部にいたときだった。

島本:企画のきっかけは、働きすぎて身体を壊して会社を半年休んだことなんですね。それまで無我夢中で仕事をしていたけれど、振り返ると自分の価値と行動の基準というものがなかったことに気づいたんです。それで自分が影響を受けたものを改めて捉え直す作業をしていたときに、日本国憲法に思い当たった。僕は憲法と「同い年」なんですよ(日本国憲法の公布は1946年)。憲法は暮らし方の大事な約束事を決めているのに、大学で単位を取るために勉強しただけで、自分の身に引き寄せて読んだことがなかった。なんでそんな重要なことに今まで気づかなかったのか。憲法が六法全書でなく、もっと読みやすい存在なら自分も読んだだろうし、もしそういう本がないのなら、自分が作ろうと思いました。それと、当時の政治状況もあります。当時は鈴木善幸内閣だったんですが、自民党内で改憲派で知られる中曽根康弘氏が力を付けてきて次期総理を伺う感じになって、憲法の問題もクローズアップされていました。これは今の状況と大変似ていますね。

 島本さんには、確信のようなものが芽生えつつあった。

島本:そんなことをある夜に布団の中でずっと考えていたら寝られなくなってね。朝を迎えて出社してすぐ資料室に飛び込んで、大学以来初めて憲法を読んだんですよ。前文の文章が素晴らしい。戦争に負けた国が、新しい国をこれから作っていこうとする精神がそこに込められていると思いました。私の同級生には「憲一」「憲司」とか「憲」が付く男がやたらと多いんですよ。それはたぶん、新しく交付された日本国憲法を読んだ親が感激して、付けたんじゃないかなあ。

 島本さんが調べてみると、意外なことに日本国憲法に関する書籍はそれまで専門書ばかりで、読みやすく書かれたものは1冊もなかった。さらに当時の新聞の世論調査でも、「日本国憲法を1度も読んだことがない」と回答した者が40%を越えていた。島本さんは企画書にこう書いた。「この本は100万部売れます」。出来た本は、日本国憲法の条文を大きな活字で列挙し、漢字にはルビをふって、難しい語句には国語辞典からの注釈を条文の下段につけた。さらに見開きに条文、その次の見開きに写真という構成にした。条文解説も、成立過程に関する説明文も一切付けなかった。

島本:写真雑誌の編集を通じて写真に力があることを感じていたので、この本でもその力を借りて憲法を読みやすくしようと考えました。日本の四季、衣食住などいろいろなフラグメントを29枚の写真で組み上げて、一冊の本で今の日本を感じさせるようにする。原稿の著者はいないわけですから簡単に作ろうと思えば作れるんですが、写真にはこだわりました。いろいろな写真を撮ったり借りたり、29枚を選ぶのに雑誌の仕事もしながら10ヶ月はかかったかな……。

 本の扉を開けると1枚目の写真はNASAが撮影した地球の写真。そこから徐々に日本列島にズームアップしていって、突然、見開きで人の目が現れる。本文に入り、最初に現れるのは富士山だ。そこには島本さんの憲法に関する想いが込められていた。

島本:「目玉」の写真は「日本国憲法を自分の目で見よう」という意味です。富士山は日本のシンボルとしてあるんですが、よくある富士山が雪を被った写真にはしたくなかった。誰でも知っている富士山でありながら、既存の日本のイメージとして捉えて欲しくない、という気持ちがありました。とはいえ雪のない富士山の写真を探すのに苦労して、6、7人の写真家にあたったかな。結局は神田の浴衣問屋のご隠居さんが持っていることを聞きつけて、そのアマチュアの方に借りたんですよ。

 こだわりはまだある。

島本:編集者の本能として、ついつい「解説」みたいなのを入れたくなる気持ちもわかるんですが、この本では一切要らないということは確信を持っていました。本は「誰に、なにを、どうやって」伝えるかという3点が大切です。この本は日本国憲法が良いとか悪いとか伝えない。とにかく読もうよ、ということを伝えたい。本の装丁もポップで柔らかい肌触りにして、ジャーナリスティック、学術的なことを極力排除しました。

 発売前に重版がかかり、当時取材に訪れた新聞記者は「これは事件です」と興奮したという。現在同書は37刷、92万部になる。島本さんは小学館を定年退職後、現在はフリーの編集者として世界の小学生の生活を紹介する本を編集している。取材の喫茶店にソフト帽に赤いマフラーで現れて、「本当は学校の先生になろうと思ってたんだけれど、小学館に受かっちゃって」と、細身の煙草を口にくわえた。自民党の「日本国憲法改正草案」の前文について、眼鏡を外しライトの下で顔を近づけるように読んだあと、顔を上げて、ポツリとひと言だけいった。

島本:スピリッツは皆無ですね……。

関連キーワード

関連記事

トピックス

国民民主党の玉木雄一郎代表、不倫密会が報じられた元グラビアアイドル(時事通信フォト・Instagramより)
《私生活の面は大丈夫なのか》玉木雄一郎氏、不倫密会の元グラビアアイドルがひっそりと活動再開 地元香川では“彼女がまた動き出した”と話題に
女性セブン
バラエティ番組「ぽかぽか」に出演した益若つばさ(写真は2013年)
「こんな顔だった?」益若つばさ(40)が“人生最大のイメチェン”でネット騒然…元夫・梅しゃんが明かしていた息子との絶妙な距離感
NEWSポストセブン
前伊藤市議が語る”最悪の結末”とは──
《伊東市長・学歴詐称問題》「登場人物がズレている」市議選立候補者が明かした伊東市情勢と“最悪シナリオ”「伊東市が迷宮入りする可能性も」
NEWSポストセブン
日本維新の会・西田薫衆院議員に持ち上がった収支報告書「虚偽記載」疑惑(時事通信フォト)
《追及スクープ》日本維新の会・西田薫衆院議員の収支報告書「虚偽記載」疑惑で“隠蔽工作”の新証言 支援者のもとに現金入りの封筒を持って現われ「持っておいてください」
週刊ポスト
ヴィクトリア皇太子と夫のダニエル王子を招かれた天皇皇后両陛下(2025年10月14日、時事通信フォト)
「同じシルバーのお召し物が素敵」皇后雅子さま、夕食会ファッションは“クール”で洗練されたセットアップコーデ
NEWSポストセブン
高校時代の青木被告(集合写真)
【長野立てこもり殺人事件判決】「絞首刑になるのは長く辛く苦しいので、そういう死に方は嫌だ」死刑を言い渡された犯人が逮捕前に語っていた極刑への思い
NEWSポストセブン
米倉涼子を追い詰めたのはだれか(時事通信フォト)
《米倉涼子マトリガサ入れ報道の深層》ダンサー恋人だけではない「モラハラ疑惑」「覚醒剤で逮捕」「隠し子」…男性のトラブルに巻き込まれるパターンが多いその人生
週刊ポスト
問題は小川晶・市長に政治家としての資質が問われていること(時事通信フォト)
「ズバリ、彼女の魅力は顔だよ」前橋市・小川晶市長、“ラブホ通い”発覚後も熱烈支援者からは擁護の声、支援団体幹部「彼女を信じているよ」
週刊ポスト
ソフトバンクの佐藤直樹(時事通信フォト)
【独自】ソフトバンクドラ1佐藤直樹が婚約者への顔面殴打で警察沙汰 女性は「殺されるかと思った」リーグ優勝に貢献した“鷹のスピードスター”が男女トラブル 双方被害届の泥沼
NEWSポストセブン
出廷した水原一平被告(共同通信フォト)
《水原一平を待ち続ける》最愛の妻・Aさんが“引っ越し”、夫婦で住んでいた「プール付きマンション」を解約…「一平さんしか家族がいない」明かされていた一途な思い
NEWSポストセブン
公務に臨まれるたびに、そのファッションが注目を集める秋篠宮家の次女・佳子さま(共同通信社)
「スタイリストはいないの?」秋篠宮家・佳子さまがお召しになった“クッキリ服”に賛否、世界各地のSNSやウェブサイトで反響広まる
NEWSポストセブン
司組長が到着した。傘をさすのは竹内照明・弘道会会長だ
「110年の山口組の歴史に汚点を残すのでは…」山口組・司忍組長、竹内照明若頭が狙う“総本部奪還作戦”【警察は「壊滅まで解除はない」と強硬姿勢】
NEWSポストセブン