【書評】『空の拳』角田光代/日本経済新聞出版社/1680円
【評者】嵐山光三郎(作家)
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読む者がボカスカと殴りつけられるボクシング小説。右ボディ左アッパー右ストレート、文章が側腹をえぐってゴスンと響く。身ぶるいするうち、左フックが唸りをあげてこめかみにぶちあたる。ガツーン。バッティングして眉の上から血が流れてきた。ステップバックする余裕もない。
全485ページのうち、ほぼ半分が格闘シーンである。KOだけが勝負ではない。微妙な判定があり、バッティングによる試合中断があり、はてしない殴りあいがつづく。闘う道具としての肉体。
主人公は「少年院出」のタイガー立花というヒールボクサー。そこに空也というボクシング雑誌の編集者がからむ、とだけ解説しておこう。話の展開は読んでのおたのしみだが、空前絶後の肉弾格闘小説で、ボクシングの見方が違ってくる。「あしたのジョー」だけがボクシングの物語ではない。
嵐山は二十代のころは、酒に酔ってストリートバトルをくりかえし、警察に三回連行された。殴り倒した相手の弁護士に訴えられて謝罪した。しかし後楽園ホールのボクシング試合を見てからは、恐ろしくなって、ぴたりと喧嘩をしなくなった。プロのボクサーを見て震えあがった。
ライトにあたって飛び散る汗や血が目にしみる。猛練習をくりかえしても勝負は一瞬で終わる。一見すると地味な試合のなかに語りつくせないドラマがある。そのリアル感を書きつくした角田光代さんの剛腕に感服した。
聞くところによると、角田さんは学生時代からボクシングをはじめて、いまは輪島功一スポーツジムに通っているらしい。古本通の文学少女、とばかり思っていた嵐山がオロカであった。
強いボクサーはマゾヒストである、と嵐山は考えている。なぜなら、殴られることが快感だから、いくらやられても怖くない。強い者が勝つとは限らない。勝つ者が強いのである。紙一重の差で勝っていく者が強くなる。ボクサーの栄光と悲惨と孤独と虚栄と狂気がリアルに活写された傑作。
※週刊ポスト2013年1月18日号