ベストセラー『がんばらない』の著者で諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏は、チェルノブイリの子供たちへの医療支援などに取り組むとともに、震災後は被災地をサポートする活動を行っている。その鎌田氏が、団塊世代の生き方について語る。
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団塊の世代は700万人いるといわれている。これからは困難な老後が待っている。そして大量死の時代がやってくる。僕は64歳。団塊世代の真っただ中にいる。 このごろ、親を見送った友人たちから、葬式の理不尽さを何度も耳にするようになった。戒名料は「院」がつくだけで、100万円も取られたとか、主にお金の話が多い。
僕の親友に住職がいる。長野県松本市にある神宮寺という臨済宗の寺の高橋卓志さんだ。彼はユニークで「神宮寺は何宗ですか」と尋ねられると「皆の衆です」と答える。どんな宗派でも、誰が来てもいいのだという。
僕は何度か彼の執り行なう葬式に立ち会ったことがある。関西から来た胃がん末期の女性が亡くなったときは、「神宮寺にお願いしたい」という生前の約束通り、葬式をやってもらった。女性は亡くなる10日前に神宮寺を訪ねて高橋住職と話し合い、葬式の仕方を決めていた。
彼女は不思議と、葬儀を決めてから明るくなった。自分が亡くなった後、どのようになるかがはっきりしたから、なのかもしれない。彼女の望みは、友人の歌手、手仕事屋きち兵衛さんのCD曲を葬儀で流してほしいということだった。
その際、住職が粋な計らいをした。きち兵衛さん本人が葬列に参加して献歌、というサプライズがあり、実に感動的な葬儀になった。
神宮寺のようなお寺が周囲にない人はどうすればいいのか。自分らしいお別れにこだわりながらも、無駄な出費をしないですむ方法はあるのか。僕は住職に尋ねた。
「縁起でもないという人もいるけれど、葬儀社や寺と葬式の仕方は概ね決めておいたほうがいい。自分で無駄だと思うこと、いらないと思うことをいっておく。ここにはこだわりたいということも伝えておくといい」
夫婦で葬儀社と一回話しておくだけでだいぶ違うし、温かなお別れができるという。
「葬儀社のいいなりで、決められたコースで弔うのではなく、派手でも質素でもいいから、自分の色を示しておくことが大事です」
※週刊ポスト2013年3月22日号