確かに、1990年代に海外に逃走したウイグル族がイスラム過激派を頼ってアフガニスタンとパキスタンの国境地帯で「東トルキスタン・イスラム党」を結成したことはある。しかし目立った活動はないまま、最高指導者が2003年10月、パキスタン軍のテロリスト掃討作戦による爆撃で死亡して組織は自然消滅した。その経緯は元メンバーがトルコに亡命する際に詳細に語っており、トルコ政府が裏付け調査した結果、証言を事実と認定して政治亡命を認めている。テロ組織としての実体があったなら、トルコが亡命を認めるはずはない。
事件から2か月近く経った11月末に「トルキスタン・イスラム党(※「東」は付かない)」を名乗る犯行声明が出されたが、事件に本当に関与したか明らかではない。
まして、「東トルキスタン・イスラム運動」という組織は過去も現在も存在しないのである。全くのでっち上げだ。イリハム氏は訴える。
「天安門の事件では日本人も負傷した。日本政府は自国民が事件に巻き込まれたことを根拠に、中国政府に詳細の説明を求めてほしい。我々は暴力を使わず、自治区内で起こっている事実を国際社会に伝えることで、ウイグル族の政治的な自決権を獲得できるように努めていきたい」
とはいえウイグル族の不満は極限に達しており、すでに自治区各地で漢族を襲撃する事件が多発している。
天安門前の自爆事件から20日後の11月17日には、同自治区南部のカシュガル地区マラルベシ県で刃物を持った9人組が派出所を襲撃し、警察関係者2人が死亡、2人が負傷する事件が起きた。9人は全員射殺された。
力で抑え込む習政権の方針が機能していないことは明らかだ。それは同時に、今後も少数民族への迫害、宗教や人権抑圧によって多くの血が流れることを意味している。
※SAPIO2014年1月号