旧態依然の大学教育の見直しは今後、日本企業が生き残るための待ったなしの要件だ。だが、大前研一氏は、安倍政権の「間違った大学改革」が日本を“衰弱死”に追い込むトリガーになると警告する。
* * *
日本企業が21世紀のビジネス新大陸で生き残っていくためには、何よりも優秀な人材の確保が重要であることは言を俟たない。だが、日本の大学教育がそのためにどれほど貢献しているかといえば、はなはだ心許ないのが現状だろう。
そんな中、「大学教育改革」に向けた動きが本格化している。安倍晋三首相肝煎りの「教育再生実行会議」はこのほど、5~6年後をメドに現行の大学入試センター試験を改編し、「ペーパーテスト重視の点数主義から面接重視の人物本位へ」「複数回チャレンジ可能」を柱とする新制度への変更を提言した。
しかし、これは「大学教育改革」ではなく、小手先の「大学入試制度変更」にすぎず、日本の大学教育の問題を「入試」に矮小化している。同会議の提言を高く評価した安倍首相も文部科学省も、今の日本の大学教育の本質的な問題が「コンテンツ」にあるということを、全く理解していない(もしくは、あえて目をそむけている)と思う。
教育再生実行会議の提言にも、今後求められる教育として、グローバル人材や理工系人材、技術と経営を俯瞰できる人材、イノベーション創出を担う人材など、新たな人材育成の理想が盛り込まれている、という反論があるかもしれない。
しかし、私に言わせれば、それらはビジネスの最前線の現場も知らず、ただ“机上の教育”しかやってこなかった人間が作ったレジュメにすぎない。
試みに「では、人物本位とは何ですか?」と教育再生実行会議や文部科学省の面々に質問してみればいい。おそらく「誰とでもうまくやっていける協調性のある人」とか「日本人らしさを持ちながら英語もできる真面目な人」といった答えが返ってくるだろう。
だが、それではアップルを創業したスティーブ・ジョブズやアマゾンを創業したジェフ・ベゾスのような“突き抜けた人材”は、日本からは出てこない。