4月、今年もまた桜とともにフレッシュマンたちが会社に入ってきた。彼らはまず、社会人としてデビューするための「新入社員研修」を受けるが、その内容は、日本経済の変遷とともに変化してきた。
経済成長が本格化した1960~1970年代。経済のパイが拡大する一方の時代のことだ。国民は「一億総中流」に向かい、会社はとにかくがむしゃらに働く人を育成した。
『人材教育』元編集長で、社員研修に詳しい根本英明氏が振り返る。
「当時、働けば働いただけ金銭的に報われた時代でした。そして、年功序列に、終身雇用。とにかく企業は会社のために身を粉にして働ける人材を作ろうとした。1980年代前半までの新入社員研修は“モーレツ社員”育成プログラムだったわけです」
この頃、「深夜の行軍」や「富士登山」といった研修が登場。精神修養や同僚との連帯感などを養うことに力点がおかれた。
たとえば、名古屋鉄道は1964年、新人研修の総仕上げとして、伝統の研修「みそぎ」をスタートさせた。その内容は、朝の6時半、身を切るような寒さの木曽川に、フンドシ一丁のフレッシュマンたちが一列になって飛び込むというものだ。
「禅寺での座禅や素っ裸で滝に打たれる滝行などが現われたのもこの頃でした」(同前)
1980年代に入ると、バブル経済の足音が聞こえてくる。この頃は、完全に学生優位の「売り手市場」。人手不足の企業がこぞって、卒業前の学生を青田買いした。
「社員教育研究所」社長で、管理者養成学校の校長でもある元橋康雄氏はこう述懐する。
「新人研修として、クルーズ船をチャーターしたり、高級クラブへ連れて行ったりするのは当たり前。海外研修と銘打ってハワイや海外リゾートに連れて行く会社もありました。企業が豪華な研修施設や保養所を各地に建設したのも、この時期でした」
画一性や協調性よりも、伸び伸びとした個性を──。カネ余りを背景に、バブル期は、社員の創造性(クリエイティビティ)を育てようという機運も高まった。
「広告代理店などの派手な業種ばかりか、メーカーや生保などでも『タウンウォッチング』という研修が流行りました。街に出て五感を使ってモノやヒトの動きを観察し、レポートにまとめるというものです。当時は社員教育費が潤沢でしたから、自腹では行けないような高級な飲食店に入ってみることを課す会社もあった」(前出・根本氏)