「つまりこれは作者である僕自身の自画像でもあって、批判は全部自分に返ってくる。今でこそ日本の近代史に復讐されているかに思う我々も原発やバブルの恩恵と無縁ではなく、その痛みをすぐに忘れるのが私たち、東京であり日本なんです」
良くも悪くも時代の躍動感を体現した榊や曽根時代に対し、現代に近づくほど私そのものが拡散して個性や面白みを失い、やがては無数の私が〈話し合う言葉〉を持たない同士で殺し合う未来図をも、奥泉氏は描く。
「例えば紅一点のみどりにしても、男にチヤホヤされた頃よりバブル崩壊と共に転落する時の方が彼女らしかったりする。反省も経験もしない東京はいずれ滅びる運命にあるという確信が、彼らにはあるんですね。
本来は人と人が影響しあい、話し合う言葉をもってこそ、文化的空間でしょ?ところが本書の私は他人を自分のための道具と考え、カネや物質は生んでも抽象的な物事を生み出す能力がないんですよ。その最たるものが思想や文化や反省で、ここでまたしても諦めてしまうか否かは、結構正念場だと思うんだけどな……」
私=東京=誰でもなくて誰でもある私たちと、この独善極まりない独白の主語を置き換えれば、覚えるのは他人事ではない寒気だ。まして〈現在の東京の薄皮一枚を剥がしたところにそれはある〉とすれば、虚実の別などいずれ簡単に逆転する。
【著者プロフィール】奥泉光(おくいずみ・ひかる):1956年山形県生まれ。「生後すぐ東京に来て、5歳から所沢在住。東京には特に憧れも愛着もありません」。国際基督教大学教養学部人文科学科卒、同大学院修士課程修了。1986年「地の鳥 天の魚群」でデビュー。1993年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞と瞠目反文学賞、1994年『石の来歴』で芥川賞、2009年『神器』で野間文芸賞。現在近畿大学教授。芥川賞等の選考委員を務め、ジャズ演奏家としても活動。163cm、65kg、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2014年6月6日号