辰徳は入団以来、嫌なこと(球団が落合博満をFAで獲ったり、外野にコンバートされたりなど)を我慢してきた。その我慢は、常に父親に言われた通りにやってきたことで培われたのではなかったか。「赤い糸で結ばれている」と言って結婚した時くらいしか、親に歯向かうことはなかったのではないかと思う。
2012年、原巨人が日本ハムに勝って日本一になった時、飛行機で貢と一緒になった。息子さんは立派な監督に成長しましたネと言うと、こう言っていた。
「立派になった。ただ巨人の監督としては少し不満だけどな」
貢は、野球は戦術・戦略だけではできないという監督としての持論がある。そのことを私は相模原の飲み屋に二、三度連れて行ってもらった際に聞いた。
「高校野球の審判には自営業者、特にタクシーの運転手が多い。自由な時間が多いから。だから日頃の送り迎えを頼めばネ……、“魚心あれば水心”だよ」
貢には、私が余分な東海大の人間関係を書いたせいでどやされたり、皆の前で叱られたりもした。しかし男気に溢れ、少し山っ気もあり、側にいて楽しい人だった。それに東海大の教え子たちには必ず教員免許を持たせ、系列校の就職に口を利くなど、面倒見の良さで慕われ、人がついてくる面があった。
原監督にとって、尊敬し続けた厳父を失い、本当の一本立ちができるかどうか。貢の言う「大巨人の監督」になれるかが問われている。
※週刊ポスト2014年6月27日号