■発展途上国の哺育法だった
「完全母乳」はもともとWHO(世界保健機関)とユニセフ(国際連合児童基金)が、水道の普及率が低く、衛生環境が悪い発展途上国を対象に推進した哺育法だった。1970年代、両機関は飢餓に直面するアフリカの赤ちゃんを救うために大量の粉ミルクと哺乳瓶を援助したが、清潔な水がなかったため、母親たちは不衛生な川や井戸の水でミルクを作って哺乳瓶を洗い、赤ちゃんに感染症が爆発的に拡大した。
その教訓から、途上国に母乳推進運動を展開したのである。
その後、人工乳が普及していた先進国でも、母乳は赤ちゃんの免疫を高め、母子の絆を強くするといった利点が見直され、1989年にWHO・ユニセフは共同で『母乳育児を成功させるための10カ条』という声明を発表して、先進国にも母乳育児を広げることに力を入れた。
その第6条にこう書かれている。〈医学的に必要でない限り、新生児に母乳以外の栄養や水を与えないようにしましょう〉―─これが「完全母乳」推進の根拠とされてきた。
さらにWHOとユニセフは10カ条を長期にわたって実践する世界の約1万5000の施設を「赤ちゃんにやさしい病院」(BFH)に認定、日本では93年に発足した「一般社団法人 日本母乳の会」(当時は、母乳をすすめるための産科医と小児科医の会)が審査を行なっており、現在、全国68施設が認定されている。
審査基準は完全母乳、出産直後に母親に赤ちゃんを抱かせて母乳を吸わせるカンガルーケア、24時間母子同室、そして母乳の長所をすべての妊婦に知らせるという母乳推進活動を継続的に実践していることなどだ。3年ごとに再審査が行なわれ、基準を満たしていないと認定を返上させられる。
厚生労働省も日本母乳の会の活動を支援し、2007年には母親向けの「授乳・離乳の支援ガイド」を作成、完全母乳、カンガルーケア、24時間母子同室の3点セットを推奨したことが、日本全体に完全母乳が広まっていく契機になった。
このBFH認定は病院の経営上、大きなメリットを持つ。
「産科医不足の背景には、医療事故などのリスクが高いうえに、少子化で出産件数が減って経営が難しいという問題がある。だから医師数が減り、総合病院でも人手不足で産科を廃止するところが多い。一方、最近のお母さんたちはそのイメージから“完母”で育てたいという希望が非常に強い。BFHに認定された病院は宣伝効果が大きく、患者も人手不足の助産師も集まりやすい。そこでBFH認定を得るために、医師や助産師たちを全員、日本母乳の会のメンバーにして研修に参加させ、審査委員の先生方を講師に招いて母乳推進の講演会を開催するといった母乳推進活動に熱心に取り組んでいる病院は多い」(産婦人科病院院長)
母乳推進派は「母乳で育てた子供は頭が良くなる」「1度でも人工乳を与えたら母乳を飲まなくなる」といったキャンペーンを展開。WHOや国もそれを推奨しているのだから、ほとんどの母親が「生まれたときから完全母乳で育てたい」と希望し、医師や助産師は母乳の出が良くない母親にまで「頑張って母乳で育てましょう」と勧めるという“母乳信仰”が蔓延した。