しかし、徐氏にとって、正念場はその後のワリャーグをマカオまで運んでくることだった。途中、トルコ政府はワリャーグがボスポラス、ダーダネルスの両海峡を運航するのは危険であるとともに、空母の海峡通過を禁じたモントルー条約に抵触するとして、両海峡通過に難色を示した。
そこで、中国側はトルコへの観光客増加を約束するという条件を提示したことで、トルコ側は妥協し、2002年3月3日には大連港に入港。ワリャーグは10年間をかけて大幅に改修され、2012年9月25日、名前を「遼寧」に変え、中国軍初の空母として正式に就航する。
しかし、徐氏は「ウクライナから中国に曳航する費用も含め1億2000万ドルかかったが、軍からは一切支払われなかった」と証言。また、1992年まで首相を務めた朱鎔基氏も空母取得のための国家予算は組まれていないことを明らかにしており、徐氏の証言にうそがなければ、費用はすべて徐氏の持ち出しだったことになる。
これについて、米専門家は米国の海外向け放送ボイス・オブ・アメリカのインタビューに答えて、「徐氏の証言が真実とすれば、空母建造計画自体は当時の中国の最高指導部の許可を得ておらず、軍の暴走である可能性が高い。これは世界の安全保障にとって重大な脅威だ」と指摘している。