日本を敵視しつつも、憧れを抱いてしまう中国人。日本人には理解できない、この相反する彼らの複雑な感情の揺れを、東京大学大学院法学政治学研究科教授でアジア政治外交史を専門とする平野聡氏が、日中の歴史を紐解いていくことで明らかにする。
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第二次大戦後に誕生した中華人民共和国は日本の影響を多大に受けている。そもそも「社会主義」「共産主義」という言葉そのものが、近代に入り中国が日本から輸入した和製漢語である。「人民共和国」も日本発祥の造語だ。近現代中国の政治社会は日本語の世界なのだ。
白樺派の作家・武者小路実篤は、社会問題を解決して博愛の心を育むため、個人が財産を放棄して共有財産とし、集団生活で平等な共同体を実現する「新しき村」の理想を説いた。中華人民共和国の初代国家主席・毛沢東は武者小路の考えに激しく共鳴して、格差が蔓延する中国において、武者小路が実践した平等・博愛精神あふれる「新しき村」を作ろうとして、やがてマルクス・レーニン主義に傾倒した。
その後、毛沢東が指導する中国は、博愛精神を発揮するどころか、速やかに富強を実現し平等をもたらすという美名のもと、過重な計画経済を強行した。歪んだ「大躍進」では3000万~4000万人とされる餓死者が生じた。
日本由来の「皆が豊かで幸せな社会」を目指した毛沢東の試みが失敗したのは、中国人もやはり普通の人間、エゴイストだからだ。自分、家族、知人の利益をまず尊び努力する多くの中国人は「完全なる平等」の強要には興味がなく、誰もがやる気を失って貧困の悪循環が起きた。毛沢東の死後、トウ小平が改革開放路線を推進し、経済は発展したが、現在の中国は少数民族の弾圧や他国との領有権問題、環境汚染や経済格差の拡大、人権問題に幹部の腐敗など、山積する問題が絡み合っている。