あるいは稲盛和夫が京セラの前身を立ち上げた時、家を抵当に入れてまで出資した上司など、周囲の温情を彼らは皆〈過去形〉で語り、〈たしかに「理非を越えて」とか「理屈抜き」といった言葉は、とうの昔に聞かなくなった〉と石田氏は書く。
「履歴書」は記者の聞き書きも多く、ソ連軍が満州国境を急襲した昭和20年8月9日未明、陣地死守の最前線にいた当時33歳の彫刻家、佐藤忠良の言葉が忘れられないと氏は言う。
〈ここで死んでしまうのかと思うと、俺はなんだったのだろう、という思いばかりが胸をよぎっていく〉
〈佐藤忠良殺しちゃうのもったいないなあ〉
「目の前の飄々とした老人が敵弾をかい潜り、しかもシベリア送りになったなんて想像もできなかったけど、それが戦争なんですよね。実は僕の親父も出征中は大陸にいて、終戦前に肺を病んで帰国するんですが、彼らは戦争に奪われた青春を取り返すように各々の道で奮闘し、たぶんその掛け値のなさが面白いんですよ。
最近はやれ何が流行りだの、どっちが得で損だの、目先の情報ばかり追うでしょう。そんなことより友達だったら身銭を切ってでも融通しあうとか、親子の情だとか、小津映画に描かれたようなもっと本質的な人間関係や生き方そのものが、かつては問われていた気がする」
つまり昭和とは一個人の生き方が優れた読み物たりえた時代ともいえ、明治の母の躾一つとっても「今のハウツー本で読む育児とは全然違う」と石田氏は言う。本書も単に立身出世に有効な情報というより、理非を越えた信念や情熱や友情の記録として、読まれるべきだろう。
【著者プロフィール】石田修大(いしだ・のぶお):1943年東京生まれ。父は松山中学出身の俳人・石田波郷、母あき子も俳人。早稲田大学政経学部卒。1967年日本経済新聞社入社。社会部、文化部、論説委員を経て1999年退社。「55で腎臓癌になってね、親父は56で死んだからまずいと思ったけど、腎臓を一つ取ったら何ともない。ただ会社にも飽きたし、56で辞めました」。流通経済大学教授を経て、現在は梁塵社編集長。著書に『わが父 波郷』『日本経済新聞「私の履歴書」名語録』等。175cm、74kg、A型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年7月31日号