秋の長崎国体の時には、サブグラウンドで入場行進を待っているだけなのに、サインや写真を求める人の輪ができた。宿舎にも大勢の人が押し寄せたりして大パニックになりました。
この「延長18回」が人生を変えたのは事実です。色んな大学から誘われたし、プロも西鉄以外の全球団が挨拶に来た。あんなに騒がれず、プロから指名されていなければ、普通に大学に進学する予定でした。
「元祖・甲子園のアイドル」といわれますが、私は自分以降のアイドル選手とは少し違うと思っているんです。私は大会中に自然発生的に女性ファンが増えていったが、その後は大会前からマスコミが特定の選手にスポットを当てるようになった。
私の翌年は「二代目コーちゃん」として箕島(和歌山)の島本講平が騒がれましたし、定岡正二や“バンビ”坂本佳一……。甲子園では、毎年スターを作らないといけないという方向に進んでいったように感じます。それで人生が変わってしまった選手は多いでしょうね。
●太田幸司(おおた・こうじ):1952年、青森県生まれ。1968年夏、1969年春・夏と3大会連続で甲子園出場。1969年夏は松山商と決勝での延長再試合の死闘を繰り広げる。プロでは近鉄、巨人、阪神で活躍。
※週刊ポスト2015年8月14日号